大橋巨泉、1994年から続くコラムを終了させた!
がんとの闘いを続けているタレントで元国会議員の大橋巨泉(82)が、休載していた週刊現代のコラムを27日発売号で最終回として終了させた。
体力が戻らず、意識不明に陥ったこともあり、「何時まで生きられるかわからない」と深刻な病状を告白した。
体力が戻らず、意識不明に陥ったこともあり、「何時まで生きられるかわからない」と深刻な病状を告白した。
08年から「今週の遺言」と改題して続けてきたが、体調不良で今春から休載していた。
大橋は「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と理由を説明している。
大橋は「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」と理由を説明している。
via www.kyosen.com
肩書の多い大橋巨泉!芸名の由来は!?
有名タレントの大橋巨泉であるが、テレビ番組司会者やラジオパーソナリティ、放送作家等の放送に関する肩書だけに留まらず、エッセイスト、評論家(競馬評論家、音楽評論家、時事評論家)、馬主、元政治家(参議院議員)、実業家・芸能プロモーター(オーケープロダクション=旧:大橋巨泉事務所創業者・元取締役会長兼エグゼグティブタレント、オーケーギフトショップグループ取締役社長)等、多岐に渡って活動を行ってきた。
「巨泉」の由来
本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)であり、巨泉は自身の俳号である。
また、「大橋」と呼ばれる事は少なく、「巨泉(さん)」と呼ばれている。
アイデアが泉のように湧き出るようにと、最初「大泉」を考えたが、それでは、名字も名前も大がつくので、大の巨人ファンということから大を巨に変えて「巨泉」となった。
2年後輩の寺山修司と出会った時に「こいつにはかなわん」と思って俳句の道から足を洗ったという。
ちなみにMBS・TBS『世界まるごとHOWマッチ』では「巨ちゃん」と呼ばれたことがある。
また、「大橋」と呼ばれる事は少なく、「巨泉(さん)」と呼ばれている。
アイデアが泉のように湧き出るようにと、最初「大泉」を考えたが、それでは、名字も名前も大がつくので、大の巨人ファンということから大を巨に変えて「巨泉」となった。
2年後輩の寺山修司と出会った時に「こいつにはかなわん」と思って俳句の道から足を洗ったという。
ちなみにMBS・TBS『世界まるごとHOWマッチ』では「巨ちゃん」と呼ばれたことがある。
via 777news.biz
50代での「セミリタイア」も話題に!
「セミリタイア」を宣言し、『ギミア・ぶれいく』以外の全番組を降板した大橋巨泉。
完全に芸能界・放送界と縁を切る「リタイア」ではないことを強調したものである。
なお巨泉は50歳には「セミリタイア」をする人生設計を描いていたが、各方面からの慰留、また49歳の時に司会を始めた『世界まるごとHOWマッチ』に本人の意向で起用した石坂浩二やビートたけしとの絡みが楽しかったこともあり、56歳まで仕事を継続した。
完全に芸能界・放送界と縁を切る「リタイア」ではないことを強調したものである。
なお巨泉は50歳には「セミリタイア」をする人生設計を描いていたが、各方面からの慰留、また49歳の時に司会を始めた『世界まるごとHOWマッチ』に本人の意向で起用した石坂浩二やビートたけしとの絡みが楽しかったこともあり、56歳まで仕事を継続した。
via pbs.twimg.com
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