Raphael(ラファエル)
via yaplog.jp
バンドコンセプトは「等身大の自分たち」。音楽雑誌『Vicious』などで大きく取り上げられ、コーナーも作られたりもしたが、ギター兼コンセプトリーダーであった華月の死後、活動は再開されていない。
バンド名は熾天使ラファエルから。かっこよさそうという理由で華月が名付けた。ラファエルが「音楽」や「癒し」を司ることから、音楽性を「癒しの旋律」とする。
ルックスからヴィジュアル系として認知されることが多く、また、HR/HMの評論家和田誠が日本の若手有望ヘヴィメタルバンドとして紹介したこともあったが、実際は歌謡曲をベースにした楽曲が多かった。
メンバー紹介
YUKI(ボーカル)
1981年7月11日生まれ。
本名は櫻井有紀。シンボルカラーは紫。少年合唱団の経験があり、クラシック調の独特な歌い方をする。Raphael活動停止後はドラムのHIROと「rice」を結成。2015年11月1日、自身の単独公演「独唱 -悠久の檜舞台-」にてRaphaelの楽曲を演奏し、2016年の活動再開を発表した。
本名は櫻井有紀。シンボルカラーは紫。少年合唱団の経験があり、クラシック調の独特な歌い方をする。Raphael活動停止後はドラムのHIROと「rice」を結成。2015年11月1日、自身の単独公演「独唱 -悠久の檜舞台-」にてRaphaelの楽曲を演奏し、2016年の活動再開を発表した。
YUKITO(ベース)
1981年5月23日生まれ。
本名は本田之人。シンボルカラーは赤。Raphael活動停止後はバンド「BLACK LOVE」を結成し、ボーカルとベースを兼任。神奈川県川崎市で友人とHELL'S BARを経営。2003年5〜8月に自宅で大麻を栽培、所持したとして大麻取締法違反(所持、栽培)で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を受けたが、その際裁判官は「犯行は悪質だが、被告の音楽の才能を認める多くの人がおり、音楽を生業とすることができる環境にあることを考慮して、今回に限り執行を猶予する」と述べた。2016年11月1日に音楽引退後はジュエリーブランド「KOUHAKU」の運営及び古美術商を経営している。
本名は本田之人。シンボルカラーは赤。Raphael活動停止後はバンド「BLACK LOVE」を結成し、ボーカルとベースを兼任。神奈川県川崎市で友人とHELL'S BARを経営。2003年5〜8月に自宅で大麻を栽培、所持したとして大麻取締法違反(所持、栽培)で逮捕され、懲役2年6月、執行猶予3年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を受けたが、その際裁判官は「犯行は悪質だが、被告の音楽の才能を認める多くの人がおり、音楽を生業とすることができる環境にあることを考慮して、今回に限り執行を猶予する」と述べた。2016年11月1日に音楽引退後はジュエリーブランド「KOUHAKU」の運営及び古美術商を経営している。
HIRO(ドラム)
1981年11月17日生まれ。
本名は村田一弘。シンボルカラーは黒。Raphael活動停止後はボーカルのYUKIとriceで活動。大塚愛、鈴木亜美、BoAなどのバックバンドドラマーとしても活躍している。
本名は村田一弘。シンボルカラーは黒。Raphael活動停止後はボーカルのYUKIとriceで活動。大塚愛、鈴木亜美、BoAなどのバックバンドドラマーとしても活躍している。
華月(かづき)
1981年4月7日生まれ。
本名は渡辺和樹。シンボルカラーは青。殆どの楽曲を手がけ、Raphaelのほかでも活発な活動を行っていた。愛称「かじゅりん」。百合十字団のリーダーでもある。2000年に19歳で死去した。死因は市販の鎮痛剤の大量摂取による中毒とされる。
本名は渡辺和樹。シンボルカラーは青。殆どの楽曲を手がけ、Raphaelのほかでも活発な活動を行っていた。愛称「かじゅりん」。百合十字団のリーダーでもある。2000年に19歳で死去した。死因は市販の鎮痛剤の大量摂取による中毒とされる。
バンド経歴
別々の中学に通っていた華月とYUKITOが中学2年の頃にパンク系バンドを組み、しばらく離れた頃に偶然カラオケでYUKIの歌を聴いたYUKITOが気に入り「すごいボーカルが居る」と華月に紹介。ドラムを探そうという時にYUKITOの中学の同級生であるHIROがこっそりドラムをやっている話を聞いて華月に紹介し、4人が出会った
1997年3月にYUKITOを中心に4人で結成。当時メンバー全員が10代でした。
ライブを行いながらデモテープ「eternal wish~届かぬ君へ~」やVHSで「謎」を無料配布していました。
ライブを行いながらデモテープ「eternal wish~届かぬ君へ~」やVHSで「謎」を無料配布していました。
バンドを結成して最初に生まれた楽曲は『eternal wish〜届かぬ君へ〜』。YUKIがトイレに居る時にメロディを思い付いた。忘れないうちに3パターン作ったサビの部分をパイプオルガンの音色で電話越しに華月に聞かせた。他のアーティストの曲をコピーして先々はオリジナル曲ができたら、とバンド内で話していた頃だったため華月は驚き感動し、すぐに「じゃあね」と電話を切った。その後すぐギターラインを作り、1時間後には今度は華月からYUKIに電話をかけて聞かせた。翌朝に華月が電車内の短い時間に作詞し、そのあと直接顔を合わせたYUKIに読ませ、楽曲が完成していった。
そして、1998年4月7日に恵比寿GUILTYにて初ワンマンライヴを行い、ミニアルバム『LILAC』をリリースしました。
アルバム『LILAC』のタイトルであるライラックの花言葉は「若さ」であり、この作品を「処女作ゆえの勢い、少年期ゆえにできたものにしたかった」「小さな種の状態から、聴いた人が育ての親となり、きれいな花を咲かせてほしい」という思いからあえてタイトルに花の名前を選んだと華月は話している
via raphael.jp
癒しというコンセプトで活動していく中で、平井光一に才能を見出され、プロデュースされることになります。
1998年11月1日に1st.シングル「White Love Story」を発売。
1998年11月1日に1st.シングル「White Love Story」を発売。
シングル『White Love Story』は1997年のクリスマスイヴに初めてRaphaelとしてライブを行う事になった時、せっかくだから1曲くらいクリスマスソングを演奏したいということで華月が作曲した。大人達への恋へも憧れているちょっと背伸びしたがっている少年が主人公で、2人の恋の行方を天使であるメンバー4人が空から見守っている、という歌詞の内容。レコーディング時期は真夏の7月で、雰囲気を出すためにクーラーでスタジオを寒くしていたという。
via raphael.jp
1999年2月20日にシングル『「Sick」〜XXX患者のカルテ〜』をリリースし、1999年4月29日にシングル『夢より素敵な』『Sweet Romance』2タイトル同時リリース。
そして、1999年5月28日に渋谷公会堂での初のホールワンマン「天使の檜舞台」で、メジャーデビューを発表。チケットは即日完売。1999年7月23日にシングル「花咲く命ある限り」でフォーライフ・レコードからメジャーデビューします。
そして、1999年5月28日に渋谷公会堂での初のホールワンマン「天使の檜舞台」で、メジャーデビューを発表。チケットは即日完売。1999年7月23日にシングル「花咲く命ある限り」でフォーライフ・レコードからメジャーデビューします。
via www.amazon.co.jp
公式ファンクラブ名は「聖天使学院天々団」(1999年 - 2001年)、「聖天使学院天々団リターンズ」(2016年 - )。キャッチコピーは、「神が授けた最後の奇蹟、光を奏でる癒しの旋律」。