メジャーデビューシングル『花咲く命ある限り』のプロモーションビデオは、華月の思い描いていたシチュエーションとして地平線が見えるほどの野原や、歴史を感じさせる建物、外国人の女の子といった条件があり、様々なイメージを具現化できる場所としてフランスで撮影。そこで海外のファンと出会ったことに感動したことが雑誌のインタビューで紹介されている[要文献特定詳細情報]。歌詞はメジャーデビュー作ということで、それまでと違った視点から作詞したと華月は話している。「“主人公=僕ら”じゃなく、僕らの音楽を聴いている人達が主人公で、アナタと書かれているのが僕ら。つまり、僕らの音楽に触れて癒されていく少女(少年)を、僕らとの恋愛の物語に例えて歌ってるんですね」「メジャーになって、この曲から僕らの音楽を聴く人も多いじゃないですか。より多くの人に伝わりやすくなるためにメッセージ的なものを物語に仕立ててみた。“本当に正しいと思えば貫きなさい”っていうメッセージは変わらず。主人公を自分らに例えて聴いてほしいですね」と話している。カップリング『「・・・」〜或る季節の鎮魂歌〜』は1998年4月に行った恵比寿GUILTYでの初ワンマンライブで曲目が足りず急遽作ったものへ、音源化をきっかけにそれまでの歌詞を基に、光をテーマに作詞し直した。
Raphael Clips - 05.花咲く命ある限り
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1999年7月26日にデビュー後、初ライヴ「白の集い」を渋谷公会堂で行う。その時に全身に白を纏って来場した人のみに当日限定のシングル『タッチ』を無料配布しています。
バンドは、全国ツアーやイベントを開催していきました。そして、1999年10月1日にシングル『eternal wish〜届かぬ君へ〜』をリリースします。
バンドは、全国ツアーやイベントを開催していきました。そして、1999年10月1日にシングル『eternal wish〜届かぬ君へ〜』をリリースします。
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また、1999年10月4日、5日には赤坂BLITZ二夜連続公演「現想夢物語 白中夢」を開催。同年の11月20日にシングル『promise』リリースをリリースし、12月1日 には1st.フルアルバム『mind soap』を発売します。
翌日からツアー「mind soap」を開始する。ファイナルは19日、渋谷公会堂。18歳になり、高校を卒業出来る年齢になり初めて年齢を公表しました。
翌日からツアー「mind soap」を開始する。ファイナルは19日、渋谷公会堂。18歳になり、高校を卒業出来る年齢になり初めて年齢を公表しました。
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2000年2月2日 にシングル『lost graduation』をリリース。
シングル『lost graduation』は1998年4月に行った恵比寿GUILTYでの初ワンマンライブの前にできた楽曲で、公演2日前に華月から歌詞を渡され、華月の部屋でどんな思いで書いたのかという話をした。「歌詞中の“1輪の白い花”は、実は自分だけの卒業式(高校を辞めた学期末)に自分のために自分で買ってあげた白い花、カラーだったとか。結構深いところまで話してくれた」とYUKIが話している。
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2000年3月4日に日本武道館で卒業式を意識したスペシャルライヴ「graduation」を行い、第二期Raphaelの開始を宣言します。
2000年3月に行った日本武道館でのワンマンライブにて入場者全員にCD『雪の人形』を無料配布。武道館でのワンマンライブを前に華月の大ファンだったとある同い年のファンが亡くなり、その事を受けて華月が作曲したもの。「僕ら全員ラジオをやってるじゃないですか。ゆきこちゃんって子だったんですけど、彼女のお友達から電話がかかってきて。ゆきこちゃんはうちのライブも全国どこでもついて来てたし、結構目立つ格好で僕も知ってる子だった。突然の訃報を聞いて事務所に行ったら彼女からの手紙が来てて。でももう返事を書いても届かない。だから僕は手紙を書いて、それを届けるためにお通夜に行ってあげようと思って、僕の衣装とか写真とかも色々持って行ったんです。そしたら棺の上に僕の写真があったりして、本当に色々考えた。死んでまで持っていってもらうくらいに好かれていて、その一方的な愛の形に僕は何も返す事ができなかった。しかもそんな事に、彼女が死んでからしか気付けなかった自分の愚かさなり何なりを。だからとりあえず彼女のために曲を作ろうと、強い使命感に駆られて、どうしても明朝までに仕上げよう、告別式に持って行って身体のあるうちに聴かせてあげよう、と。結局、朝5時半頃にできあがったのかな?そんな信じられない勢いで曲ができたのは、本当に彼女の力だったと思うんですけど」「皆に聴かせることを彼女も望んでいると思うんです」と、告別式に参列した翌日のインタビューで華月は話している。
2000年8月23日 - シングル『Evergreen』をリリース。しかし、2000年10月31日にリーダーである華月が急逝。
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そんな中、2000年11月1日にシングル『秋風の狂詩曲』がリリースされます。
シングル『秋風の狂詩曲』はアイリッシュ系とバンドサウンドとの融合がテーマにあったという。「Blackmore's Nightを、今からちょうど1年くらい前に聞いて、それを聞いたのがきっかけで、アイリッシュものにハマった時があったのね。それで『いつかRaphaelでもやりたいなぁ〜』と思ってて、今回、遂に実現したの」「メロディーを聴いただけで“秋”も浮かんだし、これはラブソング以外の何物でもないって思ったからね。後は80年代を意識して書いたの」と華月が話している。カップリング『不滅花』は16歳くらいの時に作った楽曲で、当時書いた詩について「凄く客観的に見れますよね。16で『うたかたの恋』って言葉が、どこから出てきたんだろうってね(笑)。それは『不滅花』に限らず、全ての楽曲に感じる」と話している。インディーズ時代からライブでずっと演奏してきた楽曲で、『秋風の狂詩曲』と季節感も似て相性がいいとしてカップリングに収録したが、両A面にしたいくらいの楽曲だとも話している。
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2000年11月19日に日比谷野外音楽堂で執り行われた華月のお別れ会では約15,000人のファンが献花しました。そして、華月のいなくなったバンドは、ツアー「Raphael Tour 2000-2001 新世紀を駆けぬけろ!」ではギターを入れずに行い、2001年3月に開催されたイベント後に12年にもわたる活動休止期間へ入ることとなります。
ライブツアー『2000-2001 新世紀を駆けぬけろ!』が終了した1ヶ月半後の2001年3月5日、所属事務所&レコード会社の声明文と、メンバーを代表してYUKIからファンへの声明文をマスコミ各社に発表及びオフィシャルサイトに掲載。所属事務所&レコード会社からの発表として「昨年に、本年(2001年)はメンバーそれぞれのレベルアップを行う計画を立てておりました。そして、充分な時間を頂き考えた答えは、その計画を実行することであり、そしてメンバーそれぞれがさらに成長する事により、母体であるラファエルは、より成長すると確信しました。ここでラファエルは少しお休みをもらいます。そしてメンバーはそれぞれの挑戦を行います」として、同月後半のファンクラブイベント終了後にYUKIとHIROはriceを始動、YUKITOはソロプロジェクトの始動準備を始める事を発表。
2012年にバンド再開するが、2016年11月に解散します。
Raphaelの存在は封印されたかのように思われたが、2012年、メンバーの意思によって復活。賛否両論も巻き起こる中、Zepp Tokyoで行われた2days公演は大成功を収め、これを機に華月の家族からYUKIがギターを託される等、止まっていたRaphaelの時間は再びゆっくりと動き出した。