瀬川瑛子について
瀬川 瑛子(せがわ えいこ、本名:清水 瑛子、旧姓:(瀬川)、1947年7月6日 - )は、日本の演歌歌手・女優。歌手瀬川伸の次女。身長168cm、血液型B型。既婚。
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瀬川瑛子さんは人気歌手だった瀬川伸さんの次女として生まれ、幼少期からしっかりとしたレッスンを受けていたそうです。お父様の影響から、子供の頃から音楽にふれ合う環境だったのですね。
そんな瀬川瑛子さんが19歳の1967年に「涙の影法師」でデビューしました。なかなかヒット曲が出ないなか、地道な活動を続けたそうです。
そして、ようやく初ヒットとなる「長崎の夜はむらさき」を歌うことになりました。
さっそくこの曲から確認してみたいと思います。
そんな瀬川瑛子さんが19歳の1967年に「涙の影法師」でデビューしました。なかなかヒット曲が出ないなか、地道な活動を続けたそうです。
そして、ようやく初ヒットとなる「長崎の夜はむらさき」を歌うことになりました。
さっそくこの曲から確認してみたいと思います。
瀬川瑛子 公式ホームページはこちら
初のヒット曲「長崎の夜はむらさき」
「長崎の夜はむらさき」は1970年3月に発売された瀬川瑛子さんの7枚目のシングルです。
「涙の影法師」でデビュー以来、累計売上約50万枚と初ヒットとなった記念すべきシングルです。
「涙の影法師」でデビュー以来、累計売上約50万枚と初ヒットとなった記念すべきシングルです。
デビューしたのが1967年であり、この「長崎の夜はむらさき」を発売したのが1970年ですから、3年間はなかなか売れなかったのが判ります。
この後ふれますが、瀬川瑛子さんはこの3年間なんて目じゃないくらい大変な時期を迎えることになります。
ちなみに、この曲を作詞した古木花江さんは、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人である星野哲郎さんの別名でした。力のある方に作詞して貰った曲だということが判りますね。
この後ふれますが、瀬川瑛子さんはこの3年間なんて目じゃないくらい大変な時期を迎えることになります。
ちなみに、この曲を作詞した古木花江さんは、戦後歌謡界を代表する作詞家の一人である星野哲郎さんの別名でした。力のある方に作詞して貰った曲だということが判りますね。
長崎の夜はむらさき(瀬川瑛子)
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瀬川瑛子 不遇の時代
さて、ここからなのですが・・・
累計販売数50万枚と言われた「長崎の夜はむらさき」を世に出した後、瀬川瑛子さんにとっては不遇の時代が続きます。
その期間、なんと15年くらいになるので、ご本人は相当苦しい時期だったことに違いありません。
あまりにもヒットが出ず沈んだままだったので、「潜水艦歌手」なんて呼ばれていたそうです。
累計販売数50万枚と言われた「長崎の夜はむらさき」を世に出した後、瀬川瑛子さんにとっては不遇の時代が続きます。
その期間、なんと15年くらいになるので、ご本人は相当苦しい時期だったことに違いありません。
あまりにもヒットが出ず沈んだままだったので、「潜水艦歌手」なんて呼ばれていたそうです。
そんな心無い呼ばれ方をされていて、ご本人は大変辛かっただろうなぁと思います。
ただ、鳴かず飛ばずだった瀬川瑛子さんは1983年にちあきなおみさんや細川たかしさんとの競作である「矢切の渡し」で30万枚を売り上げることになります。この辺りから、少し浮上し始めているのが今になって振り返ると判ります。
そして、瀬川瑛子さんの代表曲となる「命くれない」に出会うことになるんですねぇ
ただ、鳴かず飛ばずだった瀬川瑛子さんは1983年にちあきなおみさんや細川たかしさんとの競作である「矢切の渡し」で30万枚を売り上げることになります。この辺りから、少し浮上し始めているのが今になって振り返ると判ります。
そして、瀬川瑛子さんの代表曲となる「命くれない」に出会うことになるんですねぇ
大ヒット曲「命くれない」
「命くれない」は1986年3月に発売された瀬川瑛子さんの40枚目のシングルです。
累計では170万枚を売り上げたと言われる大ヒット曲となりました。
累計では170万枚を売り上げたと言われる大ヒット曲となりました。
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この大ヒット曲も、発売当初は鳴かず飛ばずだったといいます。
しかし、発売された翌年の1987年には有線で徐々に上位へランクインされる様になります。
そしてようやく大ヒット曲となったんですね。
瀬川瑛子さんのはこの曲で念願の紅白歌合戦に初出場を果たします。そしてこれは親子2代に渡って紅白歌合戦に出場したという史上初めての快挙となりました。しかもこの曲は昭和最後のミリオンセラーであり、歴史にも残る様な曲でした。
永い永いトンネルを抜けた瀬川瑛子さんは、ほんとに嬉しかったと思います。
ほんとに良かったですよね(^_^)
しかし、発売された翌年の1987年には有線で徐々に上位へランクインされる様になります。
そしてようやく大ヒット曲となったんですね。
瀬川瑛子さんのはこの曲で念願の紅白歌合戦に初出場を果たします。そしてこれは親子2代に渡って紅白歌合戦に出場したという史上初めての快挙となりました。しかもこの曲は昭和最後のミリオンセラーであり、歴史にも残る様な曲でした。
永い永いトンネルを抜けた瀬川瑛子さんは、ほんとに嬉しかったと思います。
ほんとに良かったですよね(^_^)
瀬川瑛子 命くれない 演歌百撰
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