【王道の伝道師】全日本プロレス愛にあふれた渕正信の男気!【全日本プロレスLOVE】
2018年1月12日 更新

【王道の伝道師】全日本プロレス愛にあふれた渕正信の男気!【全日本プロレスLOVE】

ジャイアント馬場に憧れて、全日本プロレスの門を叩いた渕正信。馬場亡き後も全日本から離れる事なく団体を支えてきました。彼は全日本プロレスを愛し、生涯全日本を宣言しています。男気あるエピソードをご紹介!

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渕の言わずと知れた伝家の宝刀である。

海外遠征から帰国した頃は長州力のような高角度の捻り式バックドロップをジャンプしながら放っていた事から「ジャンピング・バックドロップ」と呼称された。しかし元祖ルー・テーズから「バックドロップで大切なのは叩きつけるスピード、高さはあまり関係ない」とアドバイスされ、現在の低空高速でブリッジを効かせたヘソで投げるタイプに変更。

一時、全日本プロレスにおいてジャンボ鶴田・スティーブ・ウイリアムス・小川良成と並びバックドロップの四大名手と呼ばれた。大一番になると連続して相手に繰り出し、1ダース(12発)以上連発することもあり、特に第10代世界ジュニア王者時代の防衛戦で菊地毅に繰り出した連発は、伝説的なものとなっている。
菊地選手を相手にしたジュニアヘビー級選手権試合は名勝負となりました。
衰えを見せない渕のバックドロップ

衰えを見せない渕のバックドロップ

和田京平レフェリー40周年&還暦記念大会で、第37代王者青木篤志に挑戦者として5年ぶりに挑み、全盛期さながらのバックドロップを放ちました。

延髄切り

一連のコンビネーションの中でタイミング良く決める。タメを効かせて大きく弧を描くように決めるのが特徴。隠れた名手として知られ一撃で強豪ダニー・クロファットを沈めた事もある。長期政権を築いた第10代世界ジュニア王者時代には、バックドロップに次ぐフィニッシュとしても使用されていた。

フィスト・ドロップ

仰向けに倒れた相手の喉元に拳を落とす技。トップロープからのダイビング式はここ一番で使用したり、長期政権を築いた第10代世界ジュニア王者時代などには隠しフィニッシュ的に使用されていた。ブードゥー・マーダーズと一時的に共闘し、AKA-ONIを名乗っていたときは、メインフィニッシュホールドとした。
トップロープからのフィスト・ドロップ

トップロープからのフィスト・ドロップ

各種拷問関節技

若手時代に指導を受けたカール・ゴッチ直伝で、その数は48手(実際のところは不明)に及ぶと言われる。上記の脇固め、チキンウィングアームロック、膝折固めなども含まれる。代表的なものとしては、コーナー上に相手を仰向けに寝かせて、その上に乗りかかり、片足で相手の顎を踏みつけ、もう片方の足で相手の片足を踏みつけて乗りかかるようにして、相手をコーナーポストを支点に弓反りにして痛めつけるものがある。

Masa Fuchi - A to Z Brutality - YouTube

これぞ渕正信!非情な技攻めは全日本の若手の前に壁として立ちはだかりました。

ラッシャー木村のマイク

ラッシャー木村マイクパフォーマンス - YouTube

1989

ラッシャー木村マイクパフォーマンス - YouTube

1991
結婚経験がなく、『週刊ゴング』や『週刊プロレス』の読者コーナーに度々渕独身ネタが投稿・掲載されることがあるほか、ラッシャー木村からネタにされたことも多い。永源遙が「渕が結婚しないのは、マザコンだからだ」とネタにしている。
還暦を越えた現在も未だに独身です。

新日本との交流

2000年に起こった大量離脱騒動で、中堅レスラーとして活躍していた渕はトップを張らざるを得なくなった。

同年8月の新日本プロレスG1 CLIMAX大会において、スーツ姿でリングに上がり「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスとの間には、厚い壁がありました。今日、その壁をぶち破りに来ました。全日本プロレスは選手2人しかいませんが、看板の大きさとプライドは新日本に負けてはいない!」と歴史に残るマイクアピールを行い、新日本プロレス現場責任者(当時)の長州力と固い握手を交わした。

またこのとき現れた蝶野正洋が「ここはテメェの上がるリングじゃねぇんだオラ! とっとと降りろ!」と激怒して被っていた帽子を投げつけたが渕は余裕綽々の態度を崩さず、蝶野の帰り際には「蝶野、忘れ物だ」と帽子を放り返し、格負けしない振る舞いを見せ付けた。

最後には「我々は逃げも隠れもしない! 蝶野、来るなら来い!」「新日本プロレスのファンの皆様、どうも大変お騒がせしました」としめくくったことから、会場からは異例の大「フッチー」コールが沸き起こった。
この新日本プロレスマットでのマイクアピールの後、2000年9月2日に全日本プロレス日本武道館のリングで渕VS蝶野がおこなわれ、遂に全日本と新日本の壁が破られました。試合には破れてしまいました渕ですが、全日本プロレスを守るべく奮闘しました。
武藤敬司、小島聡らが移籍し、徐々に所属選手も増え団体として活気を徐々に取り戻してくると、再び中堅ベテランレスラーとしてガッチリ脇を固め、リング外ではスポークスマンとして今日まで活躍している。
現在もNOAHから復帰した秋山社長のもと、全日本プロレスでのファイトを続けています。

レスラー40周年で僚友だった大仁田とタッグ結成

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