お風呂を楽しくしてくれたバスクリン
子供のころから慣れ親しんできた入浴剤といえば、誰もがバスクリンを思い浮かべるでしょう。
母親の「今日バスクリンいれてあるからね」の一言で、ついお風呂遊びが盛り上がってのぼせたなんて経験も懐かしいです。
疲れを感じる訳もない子供時代。あのバスクリンの色と香りが、お風呂を楽しくしてくれました。
母親の「今日バスクリンいれてあるからね」の一言で、ついお風呂遊びが盛り上がってのぼせたなんて経験も懐かしいです。
疲れを感じる訳もない子供時代。あのバスクリンの色と香りが、お風呂を楽しくしてくれました。
via art7.photozou.jp
1982年、欽ちゃんが登場したポスター
当時は6種類だったバスクリン。
ジャスミン、レモン、ローズ、木の香、コロン、ホワイト(ノンカラー)とありますが、代表的だったのはジャスミンでした。
実はジャスミンの香りを日本に広げたのはバスクリン。
そしてホワイト(ノンカラー)はあまり人気がでなかったというあたり、時代を感じずにいられません。
ジャスミン、レモン、ローズ、木の香、コロン、ホワイト(ノンカラー)とありますが、代表的だったのはジャスミンでした。
実はジャスミンの香りを日本に広げたのはバスクリン。
そしてホワイト(ノンカラー)はあまり人気がでなかったというあたり、時代を感じずにいられません。
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あのケミカルカラー、当時だったらバスクリンかスライムといったところでしょう(笑
現在のように地中化が進んでいない排水溝、ケミカルカラーの排水で「お前ん家、昨日バスクリンだっただろ~!?」なんて子供の会話もあったのではないでしょうか。
現在のように地中化が進んでいない排水溝、ケミカルカラーの排水で「お前ん家、昨日バスクリンだっただろ~!?」なんて子供の会話もあったのではないでしょうか。
バスクリン、そして津村順天堂
始まりは、津村順天堂の「浴剤中将湯」
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「バスクリン」が発売される前、銭湯には「くすり湯 浴剤中将湯」が販売されていました。「くすり湯浴剤中将湯」は、津村順天堂の社員が「中将湯」という婦人薬をつくっている時にでる「生薬の残り」を持ち帰り、お風呂(当時はタライで行水するのが自宅のお風呂でした)に入れたところ、体がぽかぽか温まったり、 湿疹がよくなったりしたことから、銭湯向けの入浴剤として製品化した、リサイクル製品でした。
1930年、バスクリンが誕生
温泉成分をベースに色と芳香を加えた芳香浴剤「バスクリン」が誕生。
保温や発汗性に優れた「浴剤中将湯」に対して、「バスクリン」は夏用入浴剤として発売されたのだそうです。
保温や発汗性に優れた「浴剤中将湯」に対して、「バスクリン」は夏用入浴剤として発売されたのだそうです。
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ちなみに津村順天堂創業者の津村重舎氏は宣伝好きな方で、宣伝には思い切ってお金をつぎ込んだそうです。
私たちの記憶にバスクリンが強く残っているのは、もしかするとTVなどで思い切ってCMを流してきた同社の姿勢が影響しているのかもしれませんね。
私たちの記憶にバスクリンが強く残っているのは、もしかするとTVなどで思い切ってCMを流してきた同社の姿勢が影響しているのかもしれませんね。
戦時中の物資不足などで一旦は生産中止も、1950年に再び生産開始
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