マルチな活躍ぶりを見せた大空眞弓さん
大空眞弓さんの経歴
1940年、父親は沖縄県出身、母親は広島県出身、二人のご両親のもと、東京に次女として生まれた大空眞弓さん。父親が貿易関係の仕事をしていたため、1歳のときに一家で中国・北京に転居されました。
終戦間際に帰国し、一時的に母親の故郷である広島で暮らします。1945年、広島に原爆が落とされ、その被害は大空眞弓さんの一家も襲いました。爆心地が遠かったこともあって、そのときは家族の誰も症状は出ませんでしたが、大空眞弓さんの姉は白血病のために20代後半の若さでお亡くなりになっています。
終戦後は父親は大分県で家具製造の会社を設立したために引っ越し。その後、大空眞弓さんが小学2年生のとき、父親が北京で培った人脈を活かし、東京で再び貿易事業を始めたことで一家で上京しました。
中学・高校は私立の名門校として有名な白百合学園で中高一貫教育を受け、大学は東洋音楽短期大学・声楽家に入学。
しかし、その在学中、母親と歌舞伎見物をした際に芸能関係者からのスカウトを受けたことで大学を中退し、1958年に新東宝の専属女優となります。
しかし、その在学中、母親と歌舞伎見物をした際に芸能関係者からのスカウトを受けたことで大学を中退し、1958年に新東宝の専属女優となります。
この時期、新東宝が制作した映画『不如帰』『汚れた肉体聖女』『日本ロマンス紀行』などのタイトルに出演されますが、東京映画に移籍。
via www.tbs.co.jp
『愛と死をみつめて』をプロデュースした石井ふく子さんも、大空真弓さんを気に入ったようで、その後も、大空真弓さんは石井ふく子さんが関わる作品に出演されています。
活躍の場は映画・テレビドラマだけではなく、演劇・舞台にも及び、1990年公開『人生は、ガタゴト列車に乗って…』では菊田一夫演劇賞を獲得されました。
現在に至るまで、これまで数々の作品に出演されており、ベテラン女優としての存在感は今も健在です。
活躍の場は映画・テレビドラマだけではなく、演劇・舞台にも及び、1990年公開『人生は、ガタゴト列車に乗って…』では菊田一夫演劇賞を獲得されました。
現在に至るまで、これまで数々の作品に出演されており、ベテラン女優としての存在感は今も健在です。
大空眞弓さんにまつわるエピソード
『汚れた肉体聖女』がエロい
大空眞弓さんは清純派としてイメージが強く、濡れ場らしい濡れ場を演じたことはないようです。しかし、デビュー当初の映画『汚れた肉体聖女』だけは別。
修道尼同士の同性愛を描いた作品で、お互いの肉体をむさぼり合う大空眞弓さんの姿を拝見できます。
修道尼同士の同性愛を描いた作品で、お互いの肉体をむさぼり合う大空眞弓さんの姿を拝見できます。
via www.youtube.com
そもそもタイトルからアダルト作品を思わせるかのような妖艶さがありますね。
穢れを知らない修道尼、同性愛、そして、若き日の大空眞弓さんの吐息といった要素に興奮が止まらないです。観ているだけで禁忌を犯しているかのような背徳感があって、夜のオカズとしてもご覧いただけると思います。
穢れを知らない修道尼、同性愛、そして、若き日の大空眞弓さんの吐息といった要素に興奮が止まらないです。観ているだけで禁忌を犯しているかのような背徳感があって、夜のオカズとしてもご覧いただけると思います。
俳優・勝呂誉さんとの結婚
平成最後の特撮アーカイブで三沢京助役の勝呂誉さんのトークショー!怪奇大作戦の当時の現場の様子をお聞きできて感無量です…☺️☺️#怪奇大作戦#スーフェス80#スーフェス pic.twitter.com/egJM7pFh4x
— 伍長 (@1972_gotyo) April 28, 2019
1968年、大空眞弓さんは映画での共演知り合った俳優・勝呂誉さんと結婚し、二人の間には息子が誕生しています。しかし、約14年の結婚生活を経て、1982年には離婚されました。
驚きなのは、その後、勝呂誉さんは一般女性と再婚しているのですが、その結婚式に大空眞弓さんも新郎の友人として出席していたそうです。どうやらスピーチもされたようで、大空眞弓さんは「私との結婚は何かの間違いでした。私のことは忘れてどうかお幸せに!」と話し、会場は爆笑の渦に包まれたみたいですよ。
息子・中田元博さんの逮捕歴
勝呂誉さんと大空眞弓さんとの間に生まれた息子・中田元博さん。ご両親の背中を見てきたこともあって、中田元博さんも俳優として活動していたそうです。しかし、俳優として芽は出ず、芸能界を退かれたのだとか。
生年月日:1940年3月10日
出身地 :東京都港区
血液型 :AB型
職業 :女優
活動期間:1958年~