1970年代の事件で死刑判決を受けて現在も収監中の死刑囚とは?
2023年10月9日 更新

1970年代の事件で死刑判決を受けて現在も収監中の死刑囚とは?

21世紀に入って既に四半世紀が経とうとしています。昭和も遠くなりました。1970年代というと遠い昔に感じますが、その頃に起きて死刑判決を受けながら、現在も収監中の事件がまだありました。冤罪もありますから、執行には慎重になるのもわかります。長年に渡り収監されている事件とは、どんな事件だったのでしょうか?今回は1970年代の事件で現在も収監中の死刑囚5人についてご紹介します。

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益永利明

連続企業爆破テロ 40年目の真実~極秘資料が明かす警察と爆弾犯の攻防260日~

まずは連続企業爆破事件を起こして死刑判決を受けた、益永利明からご紹介します。
本名:益永利明(旧姓片岡)
生年月日:1948年6月1日
出身地:東京都

益永利明は元東アジア半反日武装戦線「狼」所属のテロリストです。
1973年(昭和48年)4月から職業訓練校の機械科で爆弾製造に必要な技術知識を身につけます。
その後は爆弾製造の中心的役割を担い、三菱重工爆破事件をはじめとした連続企業爆破事件を起こしました。

益永利明が属する「狼」グループは、1974年8月30日に「三菱重工ビル(現・丸の内2丁目ビル)」を爆破し、死者8名・重軽傷者376名という大惨事を引き起こしました。
「狼」グループは同年11月25日にも、東京都日野市にある帝人中央研究所の配電盤室を消火器爆弾で爆破する事件を起こします。
ただしこちらは、不幸中の幸いで軽微な被害ですみました。
1975年5月19日に逮捕され、1987年3月24日に死刑が確定しました。
現在も末執行の理由としては、連続企業爆破事件に関与した佐々木規夫および大道寺あや子が、日本赤軍が起こした2件のテロ脅迫事件(クアラルンプール事件・ダッカ日航機ハイジャック事件)において、日本政府が日本赤軍側の要求を呑んだことにあります。

佐々木則夫と大道寺あや子が超法規的措置として出獄し、日本赤軍に合流後に海外で消息が不明となり、裁判が終了していないためとされていました。

そのため、2016年時点で東京拘置所に拘留中となっています。

渡辺清

続いては連続4人殺人事件の犯人で、犯行時未成年だった渡辺清です。

本名:渡辺清
犯行日時:1967年4月24日~1973年3月20日
犯行時年齢:19歳

売春婦相手の女遊びを生き甲斐とし、日雇い人夫として働いていた渡辺清は1967年4月24日朝、愛知県内で当時36歳の売春婦に追加の売春代金を支払いましたが、コンドームを使用しない性交を拒否され激高し絞殺し、現金を奪いました。

同年8月、通行人からお金を奪おうと当時26歳の男娼をナイフで刺殺し、200円を奪っています。
1972年4月に性交後に「金はない」といったところ、憤慨した売春婦(当時39歳)を絞殺し、2000円を奪いました。
1973年3月には、当時40歳の売春婦を性交後絞殺し22000円を奪っています。

わずか6年の間に4人もの人命を奪うという、残虐な事件を起こし、1988年6月2日に最高裁で死刑が確定しました。

【ゆっくり解説】無名の死刑囚…?渡辺清【男娼等連続強盗殺人事件】

4人もの人命を金銭目的で奪った、稀に見る非道な事件ですが、現在も再審請求中で刑は執行されていません。
1988年6月2日に死刑が確定していますが、
渡辺は1967年と72年の2件の事件に関して無罪を主張し、現在も再審請求を続けています。
2件の殺人事件について、無罪を主張し再審請求中ということです。

藤井政安

続いてはほとんど情報がないのですが、殺し屋連続殺人事件の犯人、藤井政安です。

本名:藤井政安(旧姓・関口)
犯行日時:1972年2月13日~1973年4月15日
3人殺害しています。
確かに遅すぎますね❗
藤井(関口)政安~殺し屋連続殺人は、1978年におこり、1989年に死刑確定してますが、30年ですね❗
幼い長男以外の3人が殺害されたと有りましたが、何故な、ほぼ関連記事は削除されています。
実行犯は一審で死刑判決を受けましたが、2審で無期懲役に減刑されて刑が確定しています。
藤井政安は一部無罪を主張していて、現在再審請求中ということです。

佐々木哲也

続いては、千葉県市原市で1974年に起きた両親殺人事件の佐々木哲也です。

本名:佐々木哲也
犯行日時:1974年10月30日
事件当時年齢:21歳

ドライブイン従業員だった佐々木哲也は、交際していた女性(ソープランド勤務)との結婚を両親に反対されたことで激高。
2人を登山用ナイフで滅多裂きにして殺害しました。
遺体を五井海岸の養老川河口から遺棄します。

事件から10日後に、海面を浮き沈みしていた両親の遺体が発見され、その後佐々木哲也が逮捕されました。
佐々木被告は逮捕当初こそ否認したが、後に捜査段階で犯行を認めた。しかし再び否認した。一審の初公判でも、全面否認し、「父親を殺したのは母親で、母親は自分の知っている第三者に殺された」と主張した。
弁護側は、「父親の殺害後に母親を見かけたという目撃証言がある」ことや「被告の衣類についていた血痕と母親の血液型が一致しない」「殺害動機」などを中心に争い、「犯行を認めた捜査段階の供述は無理な取り調べによるもので有罪の証拠にならない。父親を殺したのは母親で、母親は自分の知っている第三者に殺された」と主張した。
1984年3月15日に千葉地裁で死刑判決を受け、1992年に最高裁で死刑が確定しました。
そして現在(2023年)も、東京拘置所に収監されています。
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