銀蠅一家の爽やか担当【矢吹薫】今どうしてる?
2024年6月18日 更新

銀蠅一家の爽やか担当【矢吹薫】今どうしてる?

横浜銀蠅の弟分といえば、嶋大輔さんやロックバンド「紅麗威甦」のボーカルとして活躍した杉本哲太さんが有名ですが、矢吹薫さんもその一人。銀蠅一家の三男坊なんて言われていました。現在は芸能界を引退している矢吹薫さんですが、活動を振り返りつつ現在の活動について調べてみました。

298 view

矢吹薫さんプロフィール

 (2578670)

本名:芝一彦(しば かずひこ)
生年月日:1964年8月2日
出身地:東京都

小学2、3年生の頃に、4歳上のお姉さんの影響で洋楽に興味を持つようになったという矢吹薫さん。
ロックバンド「QUEEN」や「KISS」のレコードを夢中になって聴くようになりました。
小学校高学年の頃にはエレキギターを練習し始め、中学生になるとバンド活動を始めるように。

横浜銀蝿の弟分としてデビューしたロックバンド「紅麗威甦(グリース)」のベーシスト・ミッツさんとは中学時代の同級生。
このミッツさんとの交流が矢吹薫さんの芸能界デビューのきっかけとなりました。

初仕事は武道館

 (2578420)

デビューシングル「お前がまぶしすぎて」
1983年6月22日発売
「紅麗威甦」のベーシスト・ミッツさんのお兄さんは「横浜銀蝿」のベーシストとして活躍したタクさんです。
そのタクさんから、ある時「バックバンドの人数が足りないから手伝ってほしい」と頼まれます。
快諾した矢吹薫さんが立ったステージは日本武道館。
横浜銀蝿、紅麗威甦、嶋大輔さんが集結した銀蠅一家のライブに呼ばれ、嶋大輔さんのバックバンドでギタリストとして参加しました。

それ以降もギタリストとしてバックバンドに参加するようになったある日、銀蠅一家が所属する事務所「ユタカプロダクション」を訪れると、突然デビューを告げられます。
思いも寄らない事態に戸惑いつつ、1983年1月12日にユニット「嶋大輔&杉本哲太+1」で芸能界デビュー。
さらに、同年6月22日にシングル曲「お前がまぶしすぎて」でソロデビューを果たしました。

ギタリスト「+1」として芸能界デビュー

 (2578419)

銀蠅一家の中でもすでに歌手デビューして人気上昇中だった嶋大輔さんと杉本哲太さんの二人がリリースした「大輔★哲太のRock'n Roll」。

ユニット名は「嶋大輔&杉本哲太+1」となっているのですが、この「+1」が矢吹薫さん。
当時は本名の芝一彦として活動していました。

矢吹薫さんは嶋大輔さんと杉本哲太さんが歌う後ろでギタリストとして参加。
ユニット名でも分かるように、メインとなっているのは嶋大輔さんと杉本哲太さん。
矢吹薫さんは間奏の時に少し前に出てくるくらいで、この時はあまり目立ってはいませんでしたが、その後ソロデビューすることに。

アイドル歌手「矢吹薫」としてソロデビュー

 (2578674)

2ndシングル「ポニーテールBaby」
1983年9月21日発売
ギタリスト・芝一彦として芸能界デビューしてから約5か月後の1983年6月、「矢吹薫」の芸名をもらいソロデビューすることになりました。

「嶋大輔&杉本哲太+1」の頃は硬派なイメージをもって活動されていた矢吹薫さんでしたが、ソロデビューされてからはアイドル歌手として活動することに。

デビューシングル「お前がまぶしすぎて」をはじめ、7枚のシングルレコードと3枚のアルバムをリリースされました。
 (2578422)

矢吹薫さんグッズも販売されていました。

鉛筆4本入り&ステッカーセット


アイドル番組「レッツゴーヤング」に出演

 (2578666)

サンデーズのメンバー。
上段左が矢吹薫です。
1974年から1986年にかけて放送されていたアイドル番組「レッツゴーヤング」にも出演されていた矢吹薫さん。
番組内で結成されたオリジナルグループ「サンデーズ」のメンバーとして活躍されていました。

矢吹薫さんが出演されていたのは1984年4月から約1年間。
その頃のサンデーズのメンバーを調べてみたところ、

☆男性メンバー
・矢吹薫
・麻見和也
・中村繁之
・山本陽一
☆女性メンバー
・新井由美子
・太田貴子
・高橋美枝
・千葉湖吹美
・成清加奈子
・山口由佳乃

といった顔ぶれでした。

「歌って踊れてしゃべれる歌手の育成」をコンセプトに結成され、当時はアイドルの登竜門だったサンデーズ。
番組のアシスタント的存在でもありましたね。
矢吹薫さんが出演される以前には、川崎麻世さん、田原俊彦さん、ひかる一平さん、松田聖子さん、倉田まり子さん、日高のり子さんなどが在籍されていました。

「ハリケーントリオ」

 (2578421)

風見しんごさん、嶋大輔さんと共にユニット「ハリケーントリオ」を結成。
東京、大阪をはじめ全国を回ってコンサートを開催していました。
ですが、メンバー三人の所属レコード会社が異なっていたこともあり、ハリケーントリオとしてレコードを出すことは叶いませんでした。

5年で芸能界引退。その後は?

27 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

『銀蠅一家』を追ってみた!!

『銀蠅一家』を追ってみた!!

THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL、1980年にデビューしたロックバンドを本体とし、その弟分や妹分からなる銀蠅一家を追ってみました。
ギャング | 95,949 view
【横浜銀蠅】「ツッパリ」「暴走族」全盛の時代に人気を博しました!

【横浜銀蠅】「ツッパリ」「暴走族」全盛の時代に人気を博しました!

「横浜銀蠅」が大活躍した80年代前半は「ツッパリ」「暴走族」全盛の時代でした。リーゼントにサングラス、ドカンはまさに定番。私は少し下の世代でしたが、この個性的なファッションはよく憶えています。
青春の握り拳 | 23,357 view
サンプラザ中野くんが「くん」だけに?懐かしい爆風スランプ時代も

サンプラザ中野くんが「くん」だけに?懐かしい爆風スランプ時代も

JR中野駅前の複合施設「中野サンプラザ」が7月2日に閉館し、50年の歴史に幕を下ろしました。そこで気になるのは爆風スランプのボーカルとして1980年代に一世を風靡した同施設と同名のサンプラザ中野くんです。サンプラザ中野くんの芸名はどうなってしまうのでしょうか?今回はサンプラザ中野くんの芸名の行方や爆風スランプ時代の活躍についてもご紹介します。
そうすけ | 411 view
映画「夜をぶっとばせ」の主題歌を担当したThe Street Sliders!デビュー40周年プロダクツリリース第3弾でアナログ盤をリリース!!

映画「夜をぶっとばせ」の主題歌を担当したThe Street Sliders!デビュー40周年プロダクツリリース第3弾でアナログ盤をリリース!!

デビュー40周年を迎えた“The Street Sliders”。映画「夜をぶっとばせ」の主題歌を担当した伝説のバンドのデビュー40周年プロダクツリリース第3弾はアナログ盤をリリース!!

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト