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黒豹
黒豹(The Black Panther)または黒い真珠(The Black Pearl)の愛称で呼ばれた1960年代から1970年代を代表するフォワード。
時代背景
当時(1960年代)、ヨーロッパの国にはアフリカ系黒人選手など、どこにもいなかった。
アフリカのチームも参加していなかったし、黒人選手がいるのはブラジルとポルトガルくらいのもの。
ポルトガルではキャプテンのマリオ・コルナをはじめ、エウゼビオなど何人もの黒人選手が活躍していた。皆、当時はまだポルトガル領だったモザンビーク出身の出身だ。
上記のコメントは、1966年のイングランド・ワールドカップの記録映画『Goal』に関する記事。(Text by 後藤 健生)
当時の状況を考えると、黒人選手がヨーロッパ勢を相手にサッカーをする事自体が珍しく、その中でも目立った活躍をしたエウゼビオを「黒豹」と呼んだのかも知れませんね。
当時の状況を考えると、黒人選手がヨーロッパ勢を相手にサッカーをする事自体が珍しく、その中でも目立った活躍をしたエウゼビオを「黒豹」と呼んだのかも知れませんね。
エウゼビオの経歴
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1961年サッカーのポルトガル代表デビュー。
’66年W杯イングランド大会にFWとして出場、準々決勝で北朝鮮に3点リードされたが、その後立て続けに4点を奪い勝利をもたらした。9ゴールを挙げて得点王を獲得。
同年ヨーロッパ最優秀選手、世界最優秀選手に選ばれる。
サッカーの王様ペレと並び称された。
世界の名門チームから誘われたが、国家的英雄のため政府により移籍が認められずベンフィカに16年間在籍。’80年引退。
ポルトガル代表46試合36得点。
ポルトガルリーグで優勝11回、得点王7回、ゴールデン・ブーツ賞2回。
2000年FIFA選定の20世紀ベストイレブンにアフリカ出身選手として唯一選ばれた。
受賞バロンドール(欧州年間最優秀選手)〔1965年〕;ゴールデン・ブーツ賞〔1968年・1973年〕
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伝説の北朝鮮戦
25分の時点で3-0と北朝鮮がリードしていた。
北朝鮮にとって不幸なことに、ポルトガルには黒豹と呼ばれるストライカー、エウゼビオがいた。
まず27分、強烈なシュートが北朝鮮のネットに突き刺さる。
まだ2点のリードがありながらエウゼビオの底知れぬポテンシャルに北朝鮮の選手は恐怖すら感じ、混乱に陥っていた。
42分にはPKを得たエウゼビオがきっちり決めて3-2で前半を折り返す。
そして57分、またしてもエウゼビオがゴールを決め同点とすると、そのわずか2分後の59分、この試合二度目のPKを決め1人で4得点を挙げてしまった。
結局5-3でポルトガルが大逆転勝利を収めた。
スーパープレイ集
Eusebio some great goals and actions - YouTube
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Eusébio - 1966 FIFA World Cup Classic Players - YouTube
※英語のナレーションです。
via www.youtube.com
ワールドカップサッカー 英雄列伝4 エウゼビオ 2/2 - YouTube
via www.youtube.com
上記動画、「ワールドカップサッカー 英雄列伝4 エウゼビオ」は、日本語のナレーションです。
エウゼビオの単独インタビューやイングランド戦の長尺動画等、見どころが多いです。
イングランドは、綿密なエウゼビオ対策をして試合に臨んでいたようです。
エウゼビオの単独インタビューやイングランド戦の長尺動画等、見どころが多いです。
イングランドは、綿密なエウゼビオ対策をして試合に臨んでいたようです。