ほとんど失敗?!アントニオ猪木が起こしたサイドビジネス特集
2017年12月30日 更新

ほとんど失敗?!アントニオ猪木が起こしたサイドビジネス特集

プロレス界で数々の伝説を残した偉大なる男・アントニオ猪木。その豪快な生き様を語る上で欠かせないのが、彼の手掛けてきたさまざまなビジネスです。そのほとんどが失敗であり、時に数十億円もの借金を拵えながら、果敢にあれこれ手を出していったその軌跡を振り返っていきます。

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不世出の傑物・アントニオ猪木

「小学5年生だった頃の猪木は教室に入ってくるとき、よく扉の上枠に頭をぶつけていた」

これは、アントニオ猪木と同じ母校だった筆者の小学校に残る逸話です。当時、見上げるほど高かった教室の扉。それ以上の長身だったという40年前に卒業した郷里の英雄の話を聞き、そのスケール感に圧倒されたものです。

実際、アントニオ猪木という人物は、規格外のスケールを有した傑物です。現代プロレスの礎を築いただけではなく、モハメド・アリとの異種格闘技戦をしたり、スポーツ平和党を結成したり、湾岸戦争で日本人人質解放のために尽力したりと、特にプロレス好きではない筆者でも知っているほどのトリックスターぶりで、世間に多大なインパクトを与え続けています。そんな旺盛な好奇心ゆえか、猪木はさまざまなビジネスにも着手しているのですが、そのほとんどがプロレスラーや政治家ほどの成果を挙げられていません。しかし、いずれの事業も猪木らしいユニークさに溢れているので、今回はそんなアントニオ猪木が推進したサイドビジネスについてまとめてみたいと思います。

アントン・トレーディング

の名が示す通り貿易会社です。70年代に設立された同社は、マテ茶やスペアリブ、ひまわりのタネ(アントンナッツ)といったブラジルの物産販売を目的としていました。中でも有名なのが、タバスコの代理店契約。もともと終戦直後、進駐軍によって持ち込まれたタバスコは、アントン・トレーディング社誕生以前から喫茶店に置かれるなど、国内で一定の市民権を得ていました。しかし、この有名プロレスラーが輸入に携わったことで、一気に知名度が上昇。「タバスコを持ち込んだのは猪木だ」との俗説を生むきっかけとなったのです。

今ではすっかりおなじみの嗜好品となっているタバスコですので、さぞかし大儲けしたのだろうと思いきや、決してそんなことはありません。当時の猪木は、別件で多額の負債を抱えていたために代理店契約をすぐに解除してしまったのです。彼が利権を手放してから、「激辛ブーム」の影響によりタバスコの需要は飛躍的に向上。まさに逃した魚は何とやら…です。
Tabasco タバスコ ペッパーソース

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アントン・フーズ

こちらは、アントン・トレーディング社が輸入してきた食品・食材の販売を担う会社です。基幹事業は、スペアリブ(アントン・リブ)料理を提供する六本木のレストランチェーン。他にも健康食品などを取り扱っていましたが、やはり業績は振るわなかったようです。
スペアリブ

スペアリブ

アントン・ハイセル

1970年代のブラジル政府は、石油の代わりにサトウキビから精製したアルコールをエネルギー源として使用する研究を進めていました。しかし、その精製過程で出来るアルコール廃液と絞りかす(バカス)が問題に。バカスを放置すれば土質が悪化し、牛などの家畜に与えてみても下痢をしてしまう…。そこで立ち上がったのが、我らがアントニオ猪木です。
サトウキビ

サトウキビ

猪木は妻・倍賞美津子の友人から紹介された男に「バカスの中に含まれる下痢の元となるリグニンという物質を食べる細菌がある」と聞かされ、この事業の可能性に着目。もしも、リグニンを食べる物質が実用化されれば、バカスによる公害はなくなるし、バカスを食べた牛の糞を有機肥料として資料すれば農業生産率のUPにもつながるではありませんか。
倍賞美津子/さよなら

倍賞美津子/さよなら

ということでアントン・ハイセルが立ち上げられたわけですが、日本とブラジルの気候の違いによりバカスを食べる物質がつくられない、ブラジル国内のインフレによる生産コストの急騰、そもそも牛がさとうきびの絞りかすを食べるのか不確定など問題が山積し、結果として、数年のうちに経営破たん。猪木は数十億円にも上る莫大な負債を抱えるに至ったのでした。

永久電気

事業家・アントニオ猪木には、2人の男のマインドが宿っています。一人は師匠の力道山。もう一人は父親の猪木佐次郎です。力道山はプロレスラーの傍ら、総合スポーツレジャービル「リキ・スポーツパレス」、高級賃貸住宅「リキマンション」、ナイトクラブ「クラブ・リキ」などを経営したバリバリの実業家。一方の猪木が5歳の時に逝去した父・佐次郎は、石炭問屋の経営者。2人の遺伝子を受け継いだ猪木だからこそ、力動山のように果敢に事業へチャレンジした末に、無き実父が志したエネルギー事業の究極系「永久電気」へとたどり着いたのでしょう。

2002年3月12日。ホテルオークラで多くのマスコミ関係者が見守る中、永久電気「Inoki Natural power-VI」の開発記念記者会見が行われます。人類恒久の夢がついに実現したとして誇らしげな猪木。そして、いよいよデモンストレーションとして起動スイッチをオン!…しかし、点灯するはずの電光板に光は灯らず。「午前中は動いていたんですけどね。一週間くらい調整して、それで動かないようならダメですね!ガハハハハ!」と豪快に爆笑。もちろん、一週間後も動きませんでした。
アントニオ猪木という名のパチンコ機オフィシャルDVD

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(こじへい)
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