作詞家・売野雅勇氏と荻野目洋子さんが「六本木純情派」の誕生秘話を明かす!
中森明菜やチェッカーズ、森口博子、中谷美紀with坂本龍一などの楽曲の作詞を数多く手掛けてきた作詞家・売野雅勇氏が、トークショーを行った。
東京・渋谷のHMV&BOOKS TOKYOで行われたトークショーには、かつて「六本木純情派」の作詞と歌でタッグを組んだ歌手・荻野目洋子さんも駆け付け、ギターの弾き語りで同曲を披露するなど会場を盛り上げた。
東京・渋谷のHMV&BOOKS TOKYOで行われたトークショーには、かつて「六本木純情派」の作詞と歌でタッグを組んだ歌手・荻野目洋子さんも駆け付け、ギターの弾き語りで同曲を披露するなど会場を盛り上げた。
売野氏と荻野目さんは、終始リラックスした様子で言葉を交わし、まさに旧知の仲という関係だ。
売野氏はトークショー前に行われたマスコミ向けの取材会で、「(1968年12月10日生まれの荻野目さんは)三億円事件の日に生まれたんですよ」と荻野目さんを紹介し、笑いを取った。それに柔らかな笑顔で応える荻野目さんが印象的だった。
そして、話は「六本木純情派」の制作の頃へと移り、売野氏は当時を振り返り、デモテープで音源を聴いた時に「楽曲がマイナーのロックだったので、すごく得意だから自信があった。」とコメント。
また、「この音に自分の歌詞を乗せればOK!とヒットを確信した。」と作詞前から売れ行きを予感できたそう。
歌詞の内容に関しては、「荻野目さんの声を想像して、格好良くなるよう慎重に書いた。」と当時を思い出すようにしみじみと語った。
売野氏はトークショー前に行われたマスコミ向けの取材会で、「(1968年12月10日生まれの荻野目さんは)三億円事件の日に生まれたんですよ」と荻野目さんを紹介し、笑いを取った。それに柔らかな笑顔で応える荻野目さんが印象的だった。
そして、話は「六本木純情派」の制作の頃へと移り、売野氏は当時を振り返り、デモテープで音源を聴いた時に「楽曲がマイナーのロックだったので、すごく得意だから自信があった。」とコメント。
また、「この音に自分の歌詞を乗せればOK!とヒットを確信した。」と作詞前から売れ行きを予感できたそう。
歌詞の内容に関しては、「荻野目さんの声を想像して、格好良くなるよう慎重に書いた。」と当時を思い出すようにしみじみと語った。
荻野目洋子「六本木純情派」 売野雅勇×荻野目洋子トークショーより(2016年9月29日)
via www.youtube.com
「六本木純情派」を発売した1986年10月当時は、まだ17歳の少女だった荻野目さん。
本人は当時を振り返り、「(実際には)六本木で遊んだこともなかった。当時は悪いイメージだったので、聞いてその世界観に入る感じでしたね」とコメントした。
また、売野氏と荻野目さんのタッグで忘れてはならないのは、1987年に売野氏プロデュースで発売されたコンセプトアルバム『246コネクション(によんろくコネクション)』だろう。
全ての歌詞を売野氏が書き上げ、大ヒットした名盤だ。
収録曲には国道246号にちなんだタイトルの「北青山3丁目4番地」や「続・六本木純情派」、当時フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』でも歌唱された「軽井沢コネクション」などが並ぶ。
売野氏は「(発売から)あっという間に75万枚いっていた。」と発売直後の様子を語り、「80年代を代表するアルバムと自分で誇れる。」と胸を張った。
本人は当時を振り返り、「(実際には)六本木で遊んだこともなかった。当時は悪いイメージだったので、聞いてその世界観に入る感じでしたね」とコメントした。
また、売野氏と荻野目さんのタッグで忘れてはならないのは、1987年に売野氏プロデュースで発売されたコンセプトアルバム『246コネクション(によんろくコネクション)』だろう。
全ての歌詞を売野氏が書き上げ、大ヒットした名盤だ。
収録曲には国道246号にちなんだタイトルの「北青山3丁目4番地」や「続・六本木純情派」、当時フジテレビ系『夜のヒットスタジオ』でも歌唱された「軽井沢コネクション」などが並ぶ。
売野氏は「(発売から)あっという間に75万枚いっていた。」と発売直後の様子を語り、「80年代を代表するアルバムと自分で誇れる。」と胸を張った。
今回のトークショーは、朝日新聞出版から発売された売野氏の自伝的著書『砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代 疾走の日々』の出版記念の催しとなっている。
本書では、売野氏がコピーライターから作詞家として転身し、活動を始めた経緯や作詞へのこだわり、今では考えられないようなバブル期らしいエピソードなどが明かされ、売野氏の素顔がわかると同時に、かつての空気感をも思い起こさせるような一冊となっている。
また、80年代を駆け抜けた歌手やアイドルとの関わりに触れながら、冷静に分析し、彼らの意外な一面を表出させている。
"言葉のプロ"らしい繊細で魅力的な語り口で、中森明菜「少女A」やチェッカーズ「涙のリクエスト」、矢沢永吉「Somebody's Night」などの作詞に込めた想いが語られている。
本書では、売野氏がコピーライターから作詞家として転身し、活動を始めた経緯や作詞へのこだわり、今では考えられないようなバブル期らしいエピソードなどが明かされ、売野氏の素顔がわかると同時に、かつての空気感をも思い起こさせるような一冊となっている。
また、80年代を駆け抜けた歌手やアイドルとの関わりに触れながら、冷静に分析し、彼らの意外な一面を表出させている。
"言葉のプロ"らしい繊細で魅力的な語り口で、中森明菜「少女A」やチェッカーズ「涙のリクエスト」、矢沢永吉「Somebody's Night」などの作詞に込めた想いが語られている。
≪中谷美紀に詞を提供した楽曲「砂の果実」をタイトルに、売野氏が作詞家人生を綴った一冊≫
via www.amazon.co.jp
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