Imagine - John Lennon
反戦運動のバイブル的な曲になってしまいました。
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息子の誕生と夫・ジョンの死
1974年10月9日、レノンの35歳の誕生日に二人の息子ショーン・タロー・オノ・レノンが誕生した。ショーン誕生後、二人は夫婦の役割を見直し、育児と家事をレノンが担当し、家計とビジネスを洋子が担当することになる。洋子はこの数年間で、不動産や畜産などへの投資を積極的に行い、ビジネスの才覚を発揮したと言われている。
1980年、ショーンが5歳になったことを契機としてレノンは音楽活動を再開し、二人は共作アルバム『ダブル・ファンタジー』("Double Fantasy")を発表した。
その直後1980年12月8日、レノンは自宅、ダコタ・アパートメンツ前で、多方向から銃弾を受け死去する。銃口は洋子にも向けられたが難を逃れている。
1980年、ショーンが5歳になったことを契機としてレノンは音楽活動を再開し、二人は共作アルバム『ダブル・ファンタジー』("Double Fantasy")を発表した。
その直後1980年12月8日、レノンは自宅、ダコタ・アパートメンツ前で、多方向から銃弾を受け死去する。銃口は洋子にも向けられたが難を逃れている。
芸術家として現在も活躍!!
洋子は現在も芸術家として精力的に活動しており、ここ数年でオノの作品は高く評価されている。オンタリオ美術館(Art Gallery of Ontario)のディレクター、マシュー・タイテルバウム(Matthew Teitelbaum)は次のように述べている。「オノ・ヨーコは世界で最もオリジナルで、最も感動を与えるビジュアル・アーティストのひとりだ」。ニューヨーク・タイムズの美術評論のチーフであったマイケル・キンメルマンは言った。「オノ・ヨーコのアートは鏡だ。彼女の作品『ボックス・オブ・スマイル("a Box of Smile")』のように、我々は彼女の作品に対する自身の反応の中に、自身を見ることになる。自己啓発への小さな刺激を与えてくれる。まるで禅のようだ」。
2001年、洋子は自身の芸術活動40年間を振り返る回顧展、『イエス、ヨーコ・オノ』("YES YOKO ONO")は、アメリカ美術批評家国際協会(International Association of Art Critics USA Award)のニューヨークでの最優秀美術館展賞 (Best Museum Show Originating in New York City)を受賞した(この賞は美術業界の中では最も名誉ある賞のひとつと考えられている)。2002年には、マルチ・メディア部門でスカウヒーガン・メダル(Skowhegan Medal)を、2005年には、ニューヨーク日本協会から特別功労賞を授与されている。2001年には、リヴァプール大学(Liverpool University)より名誉法学博士号(Honorary Doctorate of Laws)を授与されている。2002年には、バード・カレッジ(Bard College)より名誉美術学博士号を授与されている。スコット・マクドナルド(Scott MacDonald)客員教授は、このように語った。「彼女の作品は作品として賞賛に値するし、彼女がメディアの歴史の中で、そして世界の中で、主張してきた事も賞賛に値する。その勇気、不屈さ、粘り強さ、独立心、そして何よりも、創造力。そして、平和と愛こそが輝かしくて多様性に富んでいる人類の未来へと導いてくれるのだ、という信念はすばらしい」。
2009年6月、現代美術の世界的祭典、第53回ヴェネツィア・ビエンナーレで、生涯業績部門の金獅子賞を受賞した。金獅子賞が1974年に同祭典に導入されて以降、初の日本人受賞者となった。ビエンナーレ事務局は、オノの受賞理由について、「パフォーマンス・アートとコンセプチュアル・アートの先駆者。現代においてもっとも影響力を持つアーティストのひとり。ポップ・カルチャーと平和活動のシンボルとなるずっと前から芸術的な表現方法を開拓し、日本と欧米の双方において永続的な痕跡を残してきた」と説明している。
現代アートということもあり、日本ではあまり話題にはなっていませんが、世界ではその芸術性を高く評価しているようです。
via en.wikipedia.org