琴錦 対 曙(1991年9月場所5日目)
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琴錦 対 水戸泉(1991年9月場所8日目)
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琴錦 対 舞の海(1991年9月場所千秋楽)
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貴花田、若花田には敗れたものの13勝2敗の成績を上げ、7月場所に優勝した同部屋の琴富士に続き平幕優勝を成し遂げた。
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再び大関取りのチャンスが到来したが…
優勝した琴錦は、翌11月場所で小結に復帰。
初日に霧島、9日目に新入幕の貴ノ浪に敗れるも13日目を終え、1敗のトップ小錦を2敗で琴錦が追走していた。
14日目の直接対決で当時最強力士だった小錦を押し出し、ついに2敗で並ぶ。
奇跡の大関昇進への道は大きく開かれた。
前々場所4勝11敗と負け越しているのにも関わらず、場所中に二子山理事長から「連覇なら大関も検討する」と言われ、過去に例のない「関脇以下での連続優勝」および前田山以来の「関脇を飛び越えての大関昇進」に期待が高まった。
だが千秋楽、若花田に負けて12勝3敗と優勝次点に留まり、連覇にあと一歩及ばなかった。
しかもその相撲で古傷の左足首を負傷してしまう。
1992年1月場所は関脇に返り咲き大関昇進を目指すも、前場所でのケガの回復が遅れて7勝8敗と負け越し、大関取りは振り出しに戻ってしまう。
翌3月場所で前頭筆頭で9勝6敗、5月場所で小結で9勝6敗の成績を上げ7月場所で関脇に返り咲くも6勝9敗に終わりあえなく三役から陥落、9月場所には前頭筆頭で11勝4敗、11月場所では小結に復帰。
この場所大関曙と優勝を争い千秋楽まで1敗をキープ。
しかし千秋楽に翌場所に大関昇進の望みを繋ぎたい関脇貴花田に敗れまたも優勝を逃す。
それでも13勝2敗の好成績で翌1993年1月場所に関脇に返り咲き、今度は貴花田とともに大関取りとなったが、場所直前の膝の故障が響いて稽古不足。
10日目までは7勝3敗でしのぐも終盤5連敗で7勝8敗と負け越し。
結局大関昇進の大チャンスに3度も手を掛けておきながら、大関昇進が実現することは無かった。
初日に霧島、9日目に新入幕の貴ノ浪に敗れるも13日目を終え、1敗のトップ小錦を2敗で琴錦が追走していた。
14日目の直接対決で当時最強力士だった小錦を押し出し、ついに2敗で並ぶ。
奇跡の大関昇進への道は大きく開かれた。
前々場所4勝11敗と負け越しているのにも関わらず、場所中に二子山理事長から「連覇なら大関も検討する」と言われ、過去に例のない「関脇以下での連続優勝」および前田山以来の「関脇を飛び越えての大関昇進」に期待が高まった。
だが千秋楽、若花田に負けて12勝3敗と優勝次点に留まり、連覇にあと一歩及ばなかった。
しかもその相撲で古傷の左足首を負傷してしまう。
1992年1月場所は関脇に返り咲き大関昇進を目指すも、前場所でのケガの回復が遅れて7勝8敗と負け越し、大関取りは振り出しに戻ってしまう。
翌3月場所で前頭筆頭で9勝6敗、5月場所で小結で9勝6敗の成績を上げ7月場所で関脇に返り咲くも6勝9敗に終わりあえなく三役から陥落、9月場所には前頭筆頭で11勝4敗、11月場所では小結に復帰。
この場所大関曙と優勝を争い千秋楽まで1敗をキープ。
しかし千秋楽に翌場所に大関昇進の望みを繋ぎたい関脇貴花田に敗れまたも優勝を逃す。
それでも13勝2敗の好成績で翌1993年1月場所に関脇に返り咲き、今度は貴花田とともに大関取りとなったが、場所直前の膝の故障が響いて稽古不足。
10日目までは7勝3敗でしのぐも終盤5連敗で7勝8敗と負け越し。
結局大関昇進の大チャンスに3度も手を掛けておきながら、大関昇進が実現することは無かった。
引退を撤回し、史上初の2度目の平幕優勝
1998年1月場所では小結で武蔵丸、若乃花の2大関を下し10勝5敗と二桁勝利をあげ技能賞を受賞。
翌3月場所は6勝9敗と負け越し平幕に下がるも5月場所は横綱昇進を目指す若乃花、4年間勝てなかった横綱曙を下し11勝4敗の好成績を挙げ3年ぶりの殊勲賞を受賞する。
しかし7月場所の貴乃花戦で右足を痛め途中休場。
公傷申請できるほどの怪我だったがあえて公傷を申請せず出場した9月場所では東前頭7枚目で5勝10敗と負け越し、11月場所には西前頭12枚目に下がった。
30歳を迎え体力、気力の衰えを感じていた琴錦は場所前に師匠の佐渡ヶ嶽親方に引退を相談。
年寄名跡を所得していなかったため、引退後は協会に残らず、自動車整備工の仕事に就きたいという意向を示した。
そんな琴錦に師匠は烈火の如く怒り慰留。
当時36歳で十両を務める琴稲妻を例に出し「(琴)稲妻を見てみろ、今でも頑張っているじゃないか!それに転職なんかこの不景気の中予想以上に物凄く大変なんだぞ!甘ったれるのもいい加減にしろ!!もう一度死ぬつもりでやってみろ!」と長時間にわたって叱責したという。
師匠の言葉にもう一度思い直した琴錦は引退を撤回する。
次の11月場所は初日から見違えるような相撲を取り、初日から11連勝し優勝争いの筆頭に立つ。
「このまま十両に落ちちゃうだろう。」と考えるとプレッシャーを感じず、相手の顔だけでなく観客の顔までよく見えたという。
12日目に横綱若乃花に惜敗し連勝がストップしたが黒星を喫した相撲はその一戦のみで、その後13日目にこれまで15連敗中だった横綱貴乃花に完勝し、金星を獲得。
九州場所の館内は沢山の座布団が乱れ飛んでいた。
この相撲を協会の役員室でテレビで見ていた佐渡ヶ嶽親方は取組後役員室を飛び出し、琴錦に握手を求めにいったほどの会心の相撲を見せた。
14日目にも大関貴ノ浪を圧倒、2敗で追いかけていた平幕土佐ノ海が貴乃花に敗れ、琴錦の二度目の平幕優勝が決定した。
この日審判長を務めていた佐渡ヶ嶽親方は感極まって涙ぐむシーンも見られた。
それと同時に佐渡ヶ嶽親方は「あいつは相撲も速いが気も早い。やれば出来るんだよ。(琴)錦本人がそれに気付いていないんだから」と苦笑いしながらコメントしていた。
翌3月場所は6勝9敗と負け越し平幕に下がるも5月場所は横綱昇進を目指す若乃花、4年間勝てなかった横綱曙を下し11勝4敗の好成績を挙げ3年ぶりの殊勲賞を受賞する。
しかし7月場所の貴乃花戦で右足を痛め途中休場。
公傷申請できるほどの怪我だったがあえて公傷を申請せず出場した9月場所では東前頭7枚目で5勝10敗と負け越し、11月場所には西前頭12枚目に下がった。
30歳を迎え体力、気力の衰えを感じていた琴錦は場所前に師匠の佐渡ヶ嶽親方に引退を相談。
年寄名跡を所得していなかったため、引退後は協会に残らず、自動車整備工の仕事に就きたいという意向を示した。
そんな琴錦に師匠は烈火の如く怒り慰留。
当時36歳で十両を務める琴稲妻を例に出し「(琴)稲妻を見てみろ、今でも頑張っているじゃないか!それに転職なんかこの不景気の中予想以上に物凄く大変なんだぞ!甘ったれるのもいい加減にしろ!!もう一度死ぬつもりでやってみろ!」と長時間にわたって叱責したという。
師匠の言葉にもう一度思い直した琴錦は引退を撤回する。
次の11月場所は初日から見違えるような相撲を取り、初日から11連勝し優勝争いの筆頭に立つ。
「このまま十両に落ちちゃうだろう。」と考えるとプレッシャーを感じず、相手の顔だけでなく観客の顔までよく見えたという。
12日目に横綱若乃花に惜敗し連勝がストップしたが黒星を喫した相撲はその一戦のみで、その後13日目にこれまで15連敗中だった横綱貴乃花に完勝し、金星を獲得。
九州場所の館内は沢山の座布団が乱れ飛んでいた。
この相撲を協会の役員室でテレビで見ていた佐渡ヶ嶽親方は取組後役員室を飛び出し、琴錦に握手を求めにいったほどの会心の相撲を見せた。
14日目にも大関貴ノ浪を圧倒、2敗で追いかけていた平幕土佐ノ海が貴乃花に敗れ、琴錦の二度目の平幕優勝が決定した。
この日審判長を務めていた佐渡ヶ嶽親方は感極まって涙ぐむシーンも見られた。
それと同時に佐渡ヶ嶽親方は「あいつは相撲も速いが気も早い。やれば出来るんだよ。(琴)錦本人がそれに気付いていないんだから」と苦笑いしながらコメントしていた。
琴錦、2度目の平幕優勝
結果琴錦は、千秋楽も勝って14勝1敗の好成績で、史上初(現時点で唯一)となる2度目の平幕での幕内優勝を飾った(同時に殊勲賞と技能賞も受賞)。
43場所ぶりの優勝は史上最長間隔である。
また、最高位が関脇以下の力士で唯一複数回の優勝を経験した力士でもある。
43場所ぶりの優勝は史上最長間隔である。
また、最高位が関脇以下の力士で唯一複数回の優勝を経験した力士でもある。
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度重なる怪我により現役引退
翌1999年1月場所には小結に復帰、初日に横綱貴乃花を破り、前場所の優勝がフロックではないことを証明した。
この場所は6勝9敗と負け越したがそれ以降も幕内上位で活躍。
史上初の平幕2回優勝を決めた1998年11月場所からは、6場所連続で対横綱戦勝利(最高位が関脇以下の力士としては史上初)を挙げていた。
しかし、2000年1月場所では東前頭3枚目で3勝12敗と大敗。
西前頭8枚目まで大きく番付を下げた翌3月場所の4日目、それまで39勝8敗と大の得意としていた安芸乃島との相撲で、前日の相撲で痛めていた右肘内側側副靱帯をさらに損傷し悪化させたために途中休場。
翌場所には初めて西十両筆頭に陥落した。
その場所は公傷認定され全休し、7月場所は8勝7敗と勝ち越したが、翌9月場所の番付は半枚上の東十両筆頭に留まり、幕内復帰が見送られた。
同場所は初日から5連敗し7日目に敷島に敗れたのを最後に現役を引退、準年寄・琴錦を襲名した。
師匠の佐渡ヶ嶽親方はこの時は琴錦の引退の決意を翻意できず、琴錦の引退会見では「やる気があればまだこれからなのに…辞めるのには早過ぎる」と惜しんでいた。
この場所は6勝9敗と負け越したがそれ以降も幕内上位で活躍。
史上初の平幕2回優勝を決めた1998年11月場所からは、6場所連続で対横綱戦勝利(最高位が関脇以下の力士としては史上初)を挙げていた。
しかし、2000年1月場所では東前頭3枚目で3勝12敗と大敗。
西前頭8枚目まで大きく番付を下げた翌3月場所の4日目、それまで39勝8敗と大の得意としていた安芸乃島との相撲で、前日の相撲で痛めていた右肘内側側副靱帯をさらに損傷し悪化させたために途中休場。
翌場所には初めて西十両筆頭に陥落した。
その場所は公傷認定され全休し、7月場所は8勝7敗と勝ち越したが、翌9月場所の番付は半枚上の東十両筆頭に留まり、幕内復帰が見送られた。
同場所は初日から5連敗し7日目に敷島に敗れたのを最後に現役を引退、準年寄・琴錦を襲名した。
師匠の佐渡ヶ嶽親方はこの時は琴錦の引退の決意を翻意できず、琴錦の引退会見では「やる気があればまだこれからなのに…辞めるのには早過ぎる」と惜しんでいた。
最も印象に残った力士は若乃花
引退後の会見やテレビの取材で、印象に残る力士に若乃花の名を挙げている。
同じ小柄な体格ながらも横綱まで昇進した若乃花に対して琴錦は一目置いており、「若乃花関も動きの速い力士で、対戦すると何かを学べるから楽しい」と語り、若乃花も「琴錦関は自分と同じ瞬発力で相撲を取るタイプ。取り口を真似したことがある。良い手本で、学んだり盗んだりした」とお互いに認め合っている。
土俵上でも両者は熱戦を展開しており、琴錦が優勝した2度の場所では、いずれも琴錦は若乃花に敗れている。
両者の通算対戦成績は、琴錦の16勝25敗。
同じ小柄な体格ながらも横綱まで昇進した若乃花に対して琴錦は一目置いており、「若乃花関も動きの速い力士で、対戦すると何かを学べるから楽しい」と語り、若乃花も「琴錦関は自分と同じ瞬発力で相撲を取るタイプ。取り口を真似したことがある。良い手本で、学んだり盗んだりした」とお互いに認め合っている。
土俵上でも両者は熱戦を展開しており、琴錦が優勝した2度の場所では、いずれも琴錦は若乃花に敗れている。
両者の通算対戦成績は、琴錦の16勝25敗。
若乃花 対 琴錦 〜切磋琢磨〜
共にスピード・テクニックが魅力の小兵力士。 この2人もまた、互いに相手を認め合う 良きライバルだった...!
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最も大関に近かった史上最強の関脇、琴錦
平幕優勝を二度も成し遂げ大関となる実力は十分にあった琴錦。
ダッシュを利かせた立ち合いからの滑らかな出足、流れるようなスリ足は天下一品。
大横綱・千代の富士も琴錦の実力を現役中から買っており、引退後も琴錦を常に中心に据え、優勝争いを予想していた。
舞の海曰く「琴錦関はスピードが段違い。取り口もそうだが、仕切りの所作も並の力士より0コンマ何秒か先を行っている」と舌を巻いていた。
正攻法の速攻相撲が基本だが、八艘飛びなど奇襲戦法もたびたび用いて成功させることがあった。
ダッシュを利かせた立ち合いからの滑らかな出足、流れるようなスリ足は天下一品。
大横綱・千代の富士も琴錦の実力を現役中から買っており、引退後も琴錦を常に中心に据え、優勝争いを予想していた。
舞の海曰く「琴錦関はスピードが段違い。取り口もそうだが、仕切りの所作も並の力士より0コンマ何秒か先を行っている」と舌を巻いていた。
正攻法の速攻相撲が基本だが、八艘飛びなど奇襲戦法もたびたび用いて成功させることがあった。
琴錦の八艘飛び(1998年・初場所) - YouTube
源義経が壇ノ浦の戦で船から船へと八艘彼方へと飛び立ったという伝承から由来している。
1992年1月場所・北勝鬨戦で技のデパート舞の海が立ち合いでジャンプし相手の後ろに回りこんだ。
これを当時の二子山理事長に「八艘跳び」と評して有名になった。
相撲協会の規定する決まり手ではない。
1992年1月場所・北勝鬨戦で技のデパート舞の海が立ち合いでジャンプし相手の後ろに回りこんだ。
これを当時の二子山理事長に「八艘跳び」と評して有名になった。
相撲協会の規定する決まり手ではない。
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横綱・貴乃花にも多く勝利している
貴花田時代からの対琴錦戦、全取組。
通算対戦は琴錦の14勝34敗(うち不戦勝1)。
武蔵丸と並んで、貴乃花と最も多く対戦し、 曙・武蔵丸に次いで、対貴乃花戦の勝利数は第3位。
通算対戦は琴錦の14勝34敗(うち不戦勝1)。
武蔵丸と並んで、貴乃花と最も多く対戦し、 曙・武蔵丸に次いで、対貴乃花戦の勝利数は第3位。
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小兵同士の熱戦が予想されたが琴錦は立会いの当り一発で舞の海を土俵の外に吹っ飛ばし見事に優勝を決めたのだった。