2016年11月25日 更新

もしかしたら最強の横綱になれたかも知れない『双羽黒』(北尾光司)を懐かしむ

北尾光司、そう呼ばれた期間の方が長いかもしれないが、じつは第60代横綱「双羽黒光司」 スポーツ冒険家と名乗ったのは、過去にも未来にも北尾光司しかいない。そんな色々あった双羽黒を好きになってもらいたい。

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199cm・157kgという恵まれた体をもった双羽黒光司。
その体格を生かした取り組みで番付を駆け上がった。千代の富士が圧倒的な力を見せ付けていた時代、そのライバルとして担ぎ上げられた時から転落が始まっていたのかも知れない。
第60代横綱 双羽黒光司

第60代横綱 双羽黒光司

北尾 光司(きたお こうじ、1963年8月12日 - )は、三重県津市出身の元大相撲力士・元総合格闘家・元スポーツ冒険家・ナイフ評論家、元プロレスラー。

大相撲横綱時代(第60代横綱)の四股名は双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)。

デビュー~大関昇進まで

中学校時代から長身を生かした取り組みで有名だった双羽黒(北尾)。
そんな双羽黒(北尾)を角界が放っておくわけがありません。
「5年で関取になれなかったら帰って来る」との条件付きで、中学校卒業と同時に立浪部屋に入門した。
(右)中学校時代の「双羽黒(北尾)」

(右)中学校時代の「双羽黒(北尾)」

双葉黒は、中学卒業とともに角界に入門、1984年9月場所に21歳で入幕を果たし、3場所目に三役、9場所目の1986年初場所に大関となりました。大関昇進までの8場所中、5場所は2桁勝利をおさめるという抜群の成績を残しました。

大関時代の名一番

小錦の横綱昇進という夢を諦めさせたと言われる膝の怪我。
そのケガのきっかけが双羽黒(北尾)による鯖折りが原因だと言われている。これを見た小中学生のなかでイジメのひとつとして鯖折りが流行したとかしないとか。

小錦の膝は体重だと個人的には思う。

北尾 KITAO vs. 小錦 KONISHIKI (May 1986) - YouTube

鯖折り(さばおり)とは、相撲の決まり手のひとつである。 廻しを取って強く引き付け、上からのしかかるようにして相手の膝を土俵に付かせる技。この技をかけられた場合、腰や膝に大きな負担がかかるため、小中学生等の大会では禁止される場合が多い。 巨漢力士として知られた元関脇の出羽ヶ嶽文治郎や元小結の大起男右エ門が得意とした...

優勝経験無しに横綱に昇進してしまう

優勝経験がないまま、1986年秋場所に22歳で横綱に昇進し「双羽黒」と改名。
この後、横綱昇進の基準が厳しくなってしまうため優勝経験の無い横綱としては、現時点では最後の横綱である。

昇進の基準まで変えてしまう双羽黒(北尾)が恐ろしい。
双羽黒(北尾)の土俵入り

双羽黒(北尾)の土俵入り

1986年7月場所の千秋楽から2日後、横綱審議委員会が開催されて北尾の横綱昇進が討議された。同年5月場所は12勝3敗(優勝次点、千秋楽結びの一番で横綱千代の富士と優勝を賭けた相星決戦に敗れる)、今場所は14勝1敗(優勝同点、再び千秋楽結びの一番で千代の富士に勝利して同点に並ぶも、優勝決定戦での再戦にて惜敗)と2場所続けて千秋楽まで優勝争いに絡む活躍を見せたことで昇進を決定する動きが見られた。

突然の廃業

こんな唐突に廃業した力士はあまり記憶に無い。と思ったが、朝青龍がいた。
当時は、「ファミコンのデータを女将さんに消されたから嫌になって辞めた」という噂を本当のように信じていたが、時代がたつと双羽黒と当時の師匠の関係性に問題があったことが明らかになった。
大晦日に記者会見を開き、頭を下げる双羽黒

大晦日に記者会見を開き、頭を下げる双羽黒

そして、その場所後に事件はおきます。師匠の立浪親方ともめた末、女将さんにけがを負わせ、部屋を飛び出したのです。その間に親方が日本相撲協会に廃業届を提出、双葉黒は24歳の若さで大相撲を去りました。

この事件の裏には、双羽黒の収入を立浪親方が横領するなど、積りに積もった確執があったとされています。マスコミによって報道された双羽黒の悪行とされる行動の多くは、親方サイドの一方的なリークでした。

双羽黒現役最後の一番(対千代の富士戦) - YouTube

昭和62年九州場所千秋楽、14戦全勝の千代の富士に13勝1敗の双羽黒。双羽黒はこれまで横綱として優勝経験もなく、成績もふるわず、世間の冷たい視線にさらされていました。再起をかけていどんだこの場所、ついに初優勝の期待を背負ってぶつかります。 残念ながら双羽黒は場所後騒動を起こし、力士を廃業。奇しくもこの取組が現役最...

双羽黒/失踪ニュース 1987.12 - YouTube

失踪から数日間のニュースを数本つないでみました。

廃業から立浪部屋のアドバイザーへ

週刊プロレス (1989年6月20日号 北尾光司氏プロ...

週刊プロレス (1989年6月20日号 北尾光司氏プロレス転向, 321)

 その後、双羽黒は『スポーツ冒険家・北尾光司』の肩書きでタレント活動を行なうようになり、1990年にはプロレスデビューを果たした。そして総合格闘家などの経験を経て、現在は立浪部屋のアドバイザーに就任し、再び角界で活動している。

大相撲の通算成績

通算成績:348勝184敗24休 勝率.654
幕内成績:197勝87敗16休 勝率.694
大関成績:46勝14敗 勝率.767
横綱成績:74勝33敗13休 勝率.692
現役在位:53場所(番付上は54場所)
幕内在位:20場所(番付上は21場所)
横綱在位:8場所(番付上は9場所)
大関在位:4場所
三役在位:5場所(関脇3場所、小結2場所)
連勝記録:13(1987年11月場所初日 - 同場所13日目)
連続6場所勝利:69(1985年9月場所 - 1986年7月場所)
通算連続勝ち越し記録:10場所(1983年9月場所 - 1985年3月場所)
幕内連続2桁勝利記録:7場所(1985年7月場所 - 1986年7月場所)

双羽黒(北尾)をもっと知るために

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あの千代の富士に対抗できたのは、後にも先にも双羽黒だけでした。
インタビューなどを読むと廃業した24歳の時点で体はボロボロだったようなので、そこまで活躍は出来なかったかも知れません。しかし、最強の横綱としての双羽黒に思いを馳せるのは私だけではないはず。
強い日本人力士が誕生することを待ち望んで。
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