自然消滅したROCK BAND 「紳助バンド」
ロックバンドとして活動した島田紳助率いる「紳助バンド」(SHINSUKE-BAND)。
漫才ブームの1980年に結成された。その後バンドは自然消滅。
結成のきっかけは「ABCヤングプラザ」に出演した際、キダ・タローに言われ結成。京都花月を皮切りになんば花月など近畿圏中心にライブを行った。
元ヤンの島田紳助(リーダー、ボーカル)の他にも個性的なメンバーが多数在籍していた。
Mr.オクレやパンチみつお、コンビ「紳助・竜介」の相方・松本竜介も参加。
同じ1980年にメジャーデビューしたロックバンドの「アナーキー」を意識した曲も見られた。
(アナーキーの「団地のオバサン」を「おばはんルート24」等)
なお、同時期に太平サブロー・シローは人気に便乗してS・S・T・BAND(サブロー・シローバンド)を結成し、ライブも行なっている。
漫才ブームの1980年に結成された。その後バンドは自然消滅。
結成のきっかけは「ABCヤングプラザ」に出演した際、キダ・タローに言われ結成。京都花月を皮切りになんば花月など近畿圏中心にライブを行った。
元ヤンの島田紳助(リーダー、ボーカル)の他にも個性的なメンバーが多数在籍していた。
Mr.オクレやパンチみつお、コンビ「紳助・竜介」の相方・松本竜介も参加。
同じ1980年にメジャーデビューしたロックバンドの「アナーキー」を意識した曲も見られた。
(アナーキーの「団地のオバサン」を「おばはんルート24」等)
なお、同時期に太平サブロー・シローは人気に便乗してS・S・T・BAND(サブロー・シローバンド)を結成し、ライブも行なっている。
関西の珍○…もとい重鎮
— sanchan@今年も全力夏菜子推し❗ (@chabo7041) December 31, 2018
キダ・タロー先生
ありがとうございます🙇#ももいろ歌合戦 pic.twitter.com/nIYesFEQFB
本物のROCKを目指した「紳助バンド」!
このバンドを知っている人は相当な通だ。漫才ブームの絶頂期に出された彼らのアルバムは、真面目にロックンロールをしたいという気概に満ちあふれていた。流石に一世を風靡した島田紳助。一味違うのである。
極めつけはベースのMr.オクレ!当時吉本で唯一ベースを弾けた人らしい。
「一見テクノ。実はただのイモ」とメンバー紹介されていた。
極めつけはベースのMr.オクレ!当時吉本で唯一ベースを弾けた人らしい。
「一見テクノ。実はただのイモ」とメンバー紹介されていた。
SHINSUKE BAND 紳助バンド LIVE - YouTube
1980年頃に録音された紳助バンドのライブ音源。
via www.youtube.com
紳助曰く「生(ライブ)でしか俺たちのパワーは伝わらない。でもレコードで少しは俺達をわかってほしい。」とのこと。
紳助以外も個性的なメンバーがズラリ!!
元々ベーシストだった Mr.オクレ
「オクレ」という名前は、物乞いの「おくれ」ではなく、「トロい(遅れる)」から来ている。ザ・パンチャーズ時代、他のメンバーからワンテンポ遅れてズッこけ「遅い遅い!」と突っ込まれるのが唯一の芸であった。ただしこれはあくまでも芸としてのもので、本来のベースの腕前は大した物である。島田紳助率いる「紳助バンド(SHINSUKE-BAND)」のメンバーでもあった。かつてレギュラーだった「MBSヤングタウン」では、オクレがベースを弾き、リスナーが曲を当てるというコーナーがあった。
元々ローディー(楽器の手配や積み込み、メンテナンス等を行う人)をしていた。
弱弱しさが売りの「死に神」こと Mr.オクレ
ギター大好き パンチみつお
第1次Wヤングの平川幸雄(現在の平川幸男)門下となり、漫才コンビ「Wパンチ」を結成。1980年2月の京都花月下席でデビュー。
同年、同期の島田紳助らと「SHINSUKE-BAND」を結成。ギターおよび作曲を担当した。
現在も様々な場面で腕前を披露!
via www.amazon.co.jp
1983年にWパンチ解散後はピン芸人として活躍。
「クイズ!紳助くん」でも島田紳助と共演する等、「紳助バンド」の自然消滅後も関係は続いた。
また、パンチみつおはギターを多く所有しており、自身のホームページで思い入れのあるギターを紹介している。
「クイズ!紳助くん」でも島田紳助と共演する等、「紳助バンド」の自然消滅後も関係は続いた。
また、パンチみつおはギターを多く所有しており、自身のホームページで思い入れのあるギターを紹介している。
「紳助バンド」結成のきっかけはこの人!関西のテレビやラジオのテーマ曲を多く手掛けている。