マルチな活躍ぶりをみせた藤真利子さん
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藤真利子さんの経歴
1955年、直木賞作家として有名な藤原審爾の娘として東京都内に生まれた藤真利子さん。そんな父親の職業柄か、実家には有名な女優や映画監督が訪れることが日常だったそうで、幼い藤真利子さんは華やかな芸能界に憧れるようになり、自然と女優になりたいと思っていたのだそうです。
1977年公開の映画『北村透谷・わが冬の歌』に出演し、その後もTBS系列で放送されたテレビ小説『文子とはつ』やドラマ『青春の門』といった作品でも活躍されました。
1979年にシングル『シ・ナ・リ・オ』を発売して歌手デビュー。
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その後は歌手としてだけではなく、作詞・作曲も手掛けるようになり、ミュージシャンとしても頭角を現すようになります。アイドルとして活躍された榊原郁恵さんや・早見優さん・近藤真彦さん・沢田研二さんなどの顔ぶれにも楽曲を提供されています。
中でも近藤真彦さんは彼女のお気に入りだったようで、その親密ぶりはマスコミから熱愛報道されるほど。
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歌手として有名な松任谷由実さんとは親友で、プライベートでも大の仲良しという話も有名なエピソードです。
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1984年には父親・藤原審爾の肝臓ガンが発覚。
女優業に反対されていたため、それまで一切の交流を断っていたそうですが、余命宣告を受けるほど病状は深刻で、藤真利子さんは全ての仕事をキャンセルして父親と余生を過ごすことを決めました。
そんな彼女の決心とは裏腹に、再開してから10日後には、君が輝き続けていたら、きっとまた巡り会えるだろうと言い残して息を引き取ったのだそうです。
女優業に反対されていたため、それまで一切の交流を断っていたそうですが、余命宣告を受けるほど病状は深刻で、藤真利子さんは全ての仕事をキャンセルして父親と余生を過ごすことを決めました。
そんな彼女の決心とは裏腹に、再開してから10日後には、君が輝き続けていたら、きっとまた巡り会えるだろうと言い残して息を引き取ったのだそうです。
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1987年公開の映画『吉原炎上』は、女優・藤真利子さんを代表するコンテンツとして多くのファンを魅了しました。
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2005年には最愛の母親が脳梗塞に倒れ、要介護5の認定を受けてしまいます。
すると藤真利子さんは芸能活動より母親の介護を優先。女優としては休業状態となってしまい、仕事が激減したことで貯金も底を尽き、生活にも苦労するようになったのだとか。
止むなく芸能活動を再開させることになりますが、介護支援制度によってヘルパー費用の負担が軽減され、それからは生活も少し安定するようになったそうです。母親の介護生活は11年にも及びましたが、2011年に見送り、藤真利子さんは一人暮らしに戻ります。
すると藤真利子さんは芸能活動より母親の介護を優先。女優としては休業状態となってしまい、仕事が激減したことで貯金も底を尽き、生活にも苦労するようになったのだとか。
止むなく芸能活動を再開させることになりますが、介護支援制度によってヘルパー費用の負担が軽減され、それからは生活も少し安定するようになったそうです。母親の介護生活は11年にも及びましたが、2011年に見送り、藤真利子さんは一人暮らしに戻ります。
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まだまだ女優・タレントとして活躍されている藤真利子さん。年齢的には60代後半となりましたが、これからの活躍ぶりにも期待したいです。
藤真利子さんのヌード・濡れ場情報
デビュー当時の藤真利子さんは週刊誌でもヌードを披露されていたようです。残念ながら雑誌タイトルや掲載号の特定には至りませんでしたが、悩ましい画像を公開しているサイトを発見しましたので、そのリンク先だけでも紹介させていただきたいと思います。
愛称 :微美杏里
生年月日:1955年6月18日
血液型 :A型
出生地 :東京都
職業 :女優・歌手
作詞家・作曲家
活動期間:1977年~