くるま館
建物は高さ36メートルで、直径30メートルの円柱の周りをスパイラル状にチューブ(スペースハイウェイ)が巻き付いている形だった。夜になると円柱をスクリーンに見立てて自動車のシルエットなどが映し出されていた。
富士通パビリオン
テーマは「人間・ゆめ・技術」。
建物の壁面には滝が流れ、高さ15メートルに位置する幅5.3メートルのフレームが浮いているような建物だった。これはテンセグリティ構造体を応用して作られたフレームで、設計は当時日本大学理工学部助教授の斉藤公男。長さ5メートル、直径16センチメートルのパイプを一辺とする正三角形のトライアングル4つを組み合わせ、直径2.5センチメートルのワイヤで組み立てて、さらにこれを4段に積み上げた。風速60メートルの風や、マグニチュード7の地震にも耐えられる設計だった。
芙蓉ロボットシアター
テーマは「人間を大切にあしたの科学」。
建物は、銀河系に浮かぶ地球をイメージしたもの。
世界初のロボットショーが上演され、入館前に選ばれた子どもとフレンドロボット「マルコ」との対話や、ロボット同士の恋物語、ボール型ロボットを使ったサッカーゲームなどで連日観客を楽しませた。ロボットはルイジ・コラーニによる曲線的なデザイン。またアリーナで司会を担当したコンパニオンはローラースケートにワイヤレスマイク内蔵のヘルメット付きコスチュームで登場し、当時としては斬新だった。
TDKふしぎパビリオン
テーマは「科学する心・創造する心」。レーダーや医療機器に使用されている超音波レーダーはコウモリの研究から。赤外線レーダーはガラガラヘビの研究から生まれたもので、人間の感覚を超えた動物の特技は科学的発見に大きな役割を果たして来ていることから、様々な動物の視覚、聴覚、触覚を体験してもらうパビリオン。
50万年後の未来から来た不思議な生物で、象と昆虫と鳥が融合している「象昆虫」をイメージした建物だった。
日本電信電話公社(電電公社)(会期中の1985年4月1日より民営化され、日本電信電話株式会社(NTT)となった)のパビリオン。
テーマは「INSがひらく夢のある暮らし」。当時、東京の三鷹・武蔵野のモデル地区でしか使えなかった高度情報通信網INSを利用した暮らしを万博会場で体験してもらうのが狙いだった。
立方体の上に、かまぼこ型の屋根が乗っている建物だった。
講談社のパビリオン。
テーマは「宇宙、人間、未来」。
高さ25メートル、直径22メートルの円筒が垂直に立っている形の建物で、左脳と右脳を表現していた。建物の天井にはLEDや電球、グラスファイバー、スチールワイヤーが張り巡らされ、脳の神経細胞「ニューロン」を表現し、建物全体で人間の脳の100万倍の大きさの脳を表現した。
三菱グループのパビリオン。
テーマは「すばらしい地球・人間」。
建物は、大小ふたつの三角柱を組み合わせた独特の形で、外側に大きくせり出した外壁のミラーが特徴的だった。
松下グループのパビリオン。
テーマは「日本人と日本文化の源流を探る」。
最先端技術で古代の文化を説明する、前方後円墳を模した建物だった。
つくば万博ーCブロック
テーマは「開発による平和-行動する国連」。
建物は、青と白に塗り分けられた半球ドーム型。地球儀を形作る紙の形をしたコンクリート片40枚を組み合わせて作られた。
つくば万博ーDブロック
SONYジャンボトロン
テーマは「夢は大きい方がいい」。
縦20メートル・横40メートルの2000インチ超巨大テレビの形をした建物。
内容は、各種映像の表示。会場風景、TV番組、ゲーム画面などを写していた。
画面には偏向膜が覆われていて、3D映像を流す事ができた。
同社から発売されていたMSX版「ロードランナー」のゲーム大会も行ったこともある。
1984年のNHKゆく年くる年で、いち早くお披露目された。
つくば万博ーEブロック
日本政府出展のパビリオン。
テーマは「人間・居住・環境と科学技術」。
高さ42メートルの透明なシンボルタワーと「我が国土」がテーマのA館と「我が暮らし」がテーマのB館の2棟からなるガラス張りの建物だった。
日本政府出展のパビリオン。
テーマは「日本の科学技術のあゆみ」。
U字型の白い建物だった。
日本の技術発展の歩みを展示。弥生時代の農機具、明治時代作られた国産の蒸気機関車(国鉄860形蒸気機関車)や発電機、現代のエレクトロニクスまで展示されていた。
つくば万博ーFブロック
ダイエーのパビリオン。
テーマは「人みな詩人、物みな光る」。
半地下式板張りのピラミッド型建物で、階段状の屋根は3600名が休める巨大ベンチとなっていた。
直径16mのドームスクリーンで詩が朗読や映像で表現されていた。
テーマは「科学する心育む-21世紀への遺産」。
建物は、□の上に△が○を囲むような形で建っている。「□△○」がキーワード。配布していたパンフレットにも大きく描かれていた。設計は黒川紀章。