ロベルト・ファルカン
1982年ワールドカップで、黄金のカルテットと称されたブラジル代表の黄金の中盤の指揮者。高い想像力とテクニックを持ち、自由自在にゲームを支配した。
代表では少し下がり目の位置でプレーしたが、そのパスは非常に正確で想像力に富み、決定的な場面を何度も演出した。
チャンスメークだけでは無く、好機と見るや自身も積極的にゴールに絡みに行き、ユーティリティーなプレーでチームに貢献した。
1982年ワールドカップでは、パオロ・ロッシのハットトリックの前に屈したが、今もって1982年大会のブラジル代表こそが最強だと信じるファンは多い。
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1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で85位に選出された。
黄金のカルテット
四人共に世界サッカー史上でも屈指の評価を得ているMFであり、その四人がブラジル代表として形成した中盤の豪華さを表す語として、他国メディアが羨望をこめて使用し浸透した通称。
セレーゾ、ファルカン、ソクラテス、ジーコの四人を指す。
1982年スペインW杯では、テレ・サンタナ監督率いるブラジル代表を優勝候補筆頭に挙げる声が多かった。
動画
サッカー史上最高のボランチ ブラジル代表・ファルカン スーパープレイ集 「Golaco de Paulo Roberto Falcão」 - YouTube
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ブラジル VS イタリア (82` FIFA WC スペイン大会) - YouTube
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セリエA 「ローマの鷹」
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ローマの町では今もなお「8代皇帝」、「ローマの鷹」として尊敬と崇拝の対象となっている選手です。
「智将」リードホルムに率いられた”伝説のチーム”の中心に、常にいたのがファルカン。
82-83シーズンにはスクデットを獲得し、コンティらと組んだ中盤は世界最高と謳われました。
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日本代表監督
1994年にハンス・オフトの後任として日本代表監督に就任する。
当初、日本サッカー協会は経験豊富な監督をとテレ・サンターナらとの間で交渉を進めていたが、金銭面で折り合いが合わず決裂し、その結果の人選であった。
数年後を睨み、小倉隆史や前園真聖ら多くの若手選手を代表に抜擢するが、就任直後のキリン杯においてフランス代表に惨敗、広島で行われたアジア大会準々決勝で韓国代表に敗れると責任を問われ解任された。
その後もブラジル国内のクラブを指揮したが、目立った成績を残せなかった。
ファルカンは数年後を睨み、オランダ2部エクセルシオール-ロッテルダムから帰国した小倉隆史や前園真聖ら多くの若手選手を代表に抜擢するも、前任の代表監督であるハンス-オフトの細かい戦術的指揮から、ほぼ選手の自主性に任せたファルカンの指導法に選手らが戸惑い、「オフトと違う」と監督としてのファルカンを疑問視する声が出始める。