日本代表監督 ファルカンの評価
ファルカンは就任してからW杯予選まで3年間の期間があった。
そのためW杯予選をターゲットにした選手登用を行ったと思う。
ファルカンは3年あるので、選手開拓・育成に基盤を置いていた。
そのためJで活躍している旬の選手を合宿に呼び寄せた。
A代表の試合があれば、何らかの形でほぼ全員起用された。
Jで活躍すれば代表に呼ばれる。代表に呼ばれたら何らかの形で機会を与えられる。
となれば、Jは当然活性化する。
そして、代表は新しい選手が登場し活気に溢れた。
ファルカンの方針は間違っていなかった。だが、日本サッカー協会との意思の疎通に掛けていた。
それまで代表の「10番」はラモスが背負っていたが、ファルカンは若い岩本輝雄を司令塔に指名した。
ほかにも小倉隆史や前園真聖ら伸び盛りの選手を積極的に起用し、代表の様変わりを印象付けた。
結局、ファルカンは94年の広島アジア大会準々決勝で韓国代表に敗れた責任を取らされるかたちで解任された。
結果に責任が伴うのは当然だが、もう少しファルカンの目指すサッカーを見たいな、と思ったことも事実である。
日本サッカー協会は「(選手との)コミュニケーション不足」を解任の理由に挙げたが、一方で協会のサポート不足を指摘する声もあった。
ファルカンの育成法は、その後に日本代表監督となるジーコにも通じるものがありました。
選手の自主性に任せる(当然最低限のルールはありましたが)。ある程度の期間があれば、そこに向けて選手間の連携を強化していけると考えていた点などです。
ただ、鹿島アントラーズで選手等として過ごしたジーコと違って、ファルカンは(サッカー通以外の)日本人に知られた存在でなかった点が、協会としても切りやすく、短命監督に終わったのかなと思います。
2014年W杯前には、本田や香川の名を挙げ、海外で活躍している選手が多くなって良い状況だと発言しています。また、自分が日本代表監督の時は、海外経験がある選手はカズだけだったと、ある意味自嘲気味に話していました。
選手の自主性に任せる(当然最低限のルールはありましたが)。ある程度の期間があれば、そこに向けて選手間の連携を強化していけると考えていた点などです。
ただ、鹿島アントラーズで選手等として過ごしたジーコと違って、ファルカンは(サッカー通以外の)日本人に知られた存在でなかった点が、協会としても切りやすく、短命監督に終わったのかなと思います。
2014年W杯前には、本田や香川の名を挙げ、海外で活躍している選手が多くなって良い状況だと発言しています。また、自分が日本代表監督の時は、海外経験がある選手はカズだけだったと、ある意味自嘲気味に話していました。