【訃報】阪神タイガースの元監督・吉田義男さん死去。1985年に球団を初の日本一へと導く
2025年2月6日 更新

【訃報】阪神タイガースの元監督・吉田義男さん死去。1985年に球団を初の日本一へと導く

阪神タイガースの元監督で、1985年に同球団を初の日本一へと導いたことで知られる吉田義男さん(よしだ よしお)が3日、脳梗塞のため兵庫県西宮市の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。91歳でした。

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【訃報】阪神タイガースの元監督・吉田義男さん死去。

阪神タイガースの元監督で、1985年に同球団を初の日本一へと導いたことで知られる吉田義男さん(よしだ よしお)が3日、脳梗塞のため兵庫県西宮市の病院で亡くなっていたことが明らかとなりました。91歳でした。

第一報はこちらです!

吉田さんは1933年7月26日、京都府京都市出身。京都府立山城高校、立命館大学を経て、1953年に阪神タイガースへと入団。俊足巧打・好守の遊撃手として、50年代から60年代にかけて不動のレギュラーとして活躍し「牛若丸」と称されました。1969年の現役引退後は、テレビ解説者などを経て1975年から1977年、1985年から1987年、1997年から1998年の3度にわたり阪神の監督に就任。1985年には、三冠王で知られるランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布といった強力打線で球団を21年ぶりのリーグ優勝、史上初の日本一へと導きました。その功績を称え、阪神は吉田さんの現役時代の背番号である「23」は永久欠番とし、また1992年には競技者表彰で野球殿堂入りを果たしています。なお、海外でも吉田さんの活躍は知られており、1989年からはフランスでも野球の指導を行い、2011年にはその貢献からフランス野球ソフトボール連盟の名誉会員に選ばれています。

そんな吉田さんですが、2007年に監督業から勇退。甲子園歴史館の運営会議顧問に就任するなどしていましたが、近年は体調を崩しており、このたびの訃報となりました。訃報を受けて、阪神の藤川球児監督は「チームをしっかりまとめて、闘志あふれるプレーを見せられるように」と語り、決意を新たにしていました。

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