「ソープに行け」という回答は、初出は1988年7月25日号の「初体験がスムーズにできない」というお悩みを一喝したもの。HIV騒動以降には「コンドームも忘れるな」がセットになったほか、「タクシーに乗って『堀の内!』と叫べ」などのパターンもあったそうだ。
消しゴム版画家・ナンシー関のコラム
ナンシー関としてのデビュー作は1985年3月10日号の『ホットドッグ・プレス』の萩原健太のコラムに彫った消しゴム版画。
その後も同誌のコラムや連載、読者投稿欄のイラストを消しゴム版画で担当する。ナンシーは依頼された仕事を全て編集部の中で行った。
当時のライターはみな編集部に通って書いていたが、イラストレーターとしては異例だった。
1年後、1986年6月25日号から芸能人に関するコラム「対岸に火をつけろ」を連載。これがナンシーにとってはじめての文章の仕事だった。ペラ(200字詰め原稿用紙)3枚ほどの分量だったが、書き方がわからず改行なしで書いてしまったという。
ぶっ飛んだHな特集が多く、多くの性少年を本屋に走らせたホットドッグ・プレス。
そのぶっ飛んだ特集ゆえ、それらの根拠となるデータに実証性が乏しく「童貞が書いた童貞のバイブル」と揶揄されてもいた。
しかし、それでも見たいと願う哀しい男の性も感じていた・・・。
そのぶっ飛んだ特集ゆえ、それらの根拠となるデータに実証性が乏しく「童貞が書いた童貞のバイブル」と揶揄されてもいた。
しかし、それでも見たいと願う哀しい男の性も感じていた・・・。
<ホットドッグ・プレスに登場した美女達の記事>
<ライバル雑誌 POPEYE>
via ameblo.jp
変態紳士 2020/7/25 10:37
家に遊びに来るモデルに毛が生えた程度の女の子がホットドックのアンケートに答えた(当然事務所の仕事)。
童貞をどう思うかとか言う質問だったらしいが、彼女は何とも思わないと答えた。
しかしホットドックに載った彼女の答え(しかも写真付き)は「童貞気持ち悪い」でした。