2004年是枝裕和監督の映画「誰も知らない」は巣鴨子供置き去り事件がモチーフだった
2021年11月2日 更新

2004年是枝裕和監督の映画「誰も知らない」は巣鴨子供置き去り事件がモチーフだった

映画「誰も知らない」は実際にあった「巣鴨子供置き去り事件」だった!ここでは「巣鴨子供置き去り事件」の真相を見ていきます。原因は何だったのか?そこで何が起こっていたのか?事実に勝るものはなしです。映画よりも現実に起きた出来事の方がやはり凄惨…、ここでは真実に基づきまとめています。

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映画「誰も知らない」

誰も知らない(プレビュー)

2004年公開の映画『誰も知らない』は初オーディションで主役の座を手にした当時新人の柳楽優弥が史上最年少の14歳で、2004年度カンヌ国際映画祭主演男優賞に輝いたとして話題になった作品です。

この作品は1988年に起きた「巣鴨子供置き去り事件」が題材になっていて映画公開時、監督の是枝裕和氏は40代になっていましたが、監督が20代の頃から15年かけて構想を練り映画化された作品です。
現在でこそ「ネグレクト」という言葉もその意味も世間に知られていますが、この事件が起こった時代や映画公開のときにはまだその様な言葉で「育児放棄」を表現していませんでしたが実際にあった事件だったことで衝撃を与えた作品として話題になりました。

是枝監督の代表作「万引き家族」より以前に社会に問題提議した作品です。

巣鴨子供置き去り事件とは

『巣鴨子供置き去り事件』とは1988年7月、東京都豊島区巣鴨のマンションの一室で暮らしていた家族に起こった「母親が半年以上行方不明、子供だけでの生活で部屋の中に赤ちゃんの遺体発見。」事件です。


1988年の日本は世界最長の青函トンネルの開通、東京ドーム完成、韓国ソウルオリンピックの開催、東北新幹線・上越新幹線開業、そして子供服のD.Cブランドが人気、ドラゴン・クエストIII大人気、三億円事件時効など話題になった年ですが事件の内容を知ると、こんな時代にそんなことが!?と世間に衝撃を与えました。

事件の詳細が報じられると悲惨な状況がさらに衝撃でした。

概要~大家からの通報で発覚

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『巣鴨子供置き去り事件』の現場となったマンションにもともと住んでいたのは母親(当時40歳)、そして4人の子供たちです。

・長男(14歳)
・長女(7歳)
・次女(3歳)
・三女(2歳)


ただ母親は事件が発覚する前の年1987年秋ごろから交際男性の元に入り浸っていて徐々に自宅マンションに帰らなくなり、1988年1月に生活費約20万円を置いて出ていったのを最後に戻っておらず、たまに現金書留でお金が送られてくるだけで事実上、行方不明の状態だったと言うことです。

このようなことでマンションには中学生の長男を筆頭に子供だけの生活となってしまいます。マンション1階にあったミニストップのコンビニで廃棄のお弁当をもらってしのいだこともあったようです。

長男以外の子供たちは周りに知られていなかったということです。ということは家から出ていなかったということです。そんなことが実際できていたのでしょうか。

事件の発覚のきっかけは1988年7月、このマンションの大家の通報でした。「家賃が滞納になっている」「子供だけで住んでいる」「中学生のたまり場になっている」という内容でした。

巣鴨署員と福祉事務所の相談員が訪れ、部屋の中を確認していくと押し入れの中から1歳くらいの赤ちゃんらしき白骨化した遺体が発見されました。そして驚いたことにそこに住んでいた子供たち全員が出生届が出されていなかったため、学校にも通っていない事実も判明しました。

そしていたはずの2歳・三女がいなかったということです。

発見時の部屋の状況

事件現場となったマンションに一家が引っ越してきたのは1987年10月。このマンションの家賃は9万円ほどで一家は4階建ての2階に住み、真下にミニストップのコンビニがありました。部屋の中には一通りの家電もあったというので考えられるのは引っ越してきた当初は食べていくのに困らないレベルの生活は出来ていたというのがわかります。

そして母親が帰ってこなくなる状況でも長男はコンビニでご飯の調達をしたり、自炊もし、まだおむつの妹たちの面倒を見たり洗濯もしていたということです。ただ相変わらず帰ってこない母親でしたが、子供たちの生活が急激に変化したのは、母親は家賃や光熱費の支払いをしなかったためでした。
大家が家賃の催促で自宅に行き、長男が払うこととなり、そのため生活費は時折送ってくる数万円のみとなってしまいます。1988年夏頃にはガスや電気、電話も止まってしまいます。

ガス・電気が止まってしまったことで、お風呂は水風呂、調理することもできなかったためか、生肉や生のお米を口にしていたということもあったようです。次第に生活費も底をつく状況になっていきます。そして発見されたときの部屋の状態は衣服が散乱し、トイレのドアも開けっ放しで便までもがドアの外に転がっていて、とにかく悪臭たちこめる悲惨な状態だったようです。

またその時、部屋で長男は電熱器でみそ汁を作っていた、長女と次女は毛布にくるまって寝てましたが次女は栄養失調だったということです。どれだけの状況で過ごしていたのか想像を絶するという言葉しか浮かびません。昭和の恵まれた日本のマンションの1室でしかも東京です。昭和63年、平成の時代になる前の年の出来事です。

いなくなった三女の真相

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お金も無くなり、衛生状態も悪くなる劣悪な生活環境の一方で、まだ幼い妹たちは長男の言うことも聞かなくなることもあったと言います。そんな時、面倒を一所懸命兄として見ていた長男も折檻してしまうようになったということです。

学校に行っていない長男は昼間でも街をぶらぶらすることもあり、1987年11月ごろ、中学1年生の不良中学生と知り合いになってしまいます。学校に行っていない長男にとって初めての”友達”の存在だったんですね。親がいない長男の自宅マンションは不良中学生達の都合のいいたまり場になっていきます。

そしてある日、不良少年が長男の自宅においておいたカップ麺がなくなっていることに気づくとそこに口に青のりを付けていた三女がいて疑われます。次に長男も含め不良中学生が三女に殴りますが三女はどんなに恐ろしかったことでしょう。

失禁した三女をさらに一人の中学生が暴挙に出ます。まるで三女を人形のように押し入れの上の段から叩き落し、殴る蹴る....。何の抵抗もできない2歳の子です。

ぐったりして動かなくなった三女を目の前にしても長男は母親に連絡することもなく、病院に連れていく事もしなかったために翌朝、三女は亡くなっていたということです。

そして、三女の遺体を消臭剤をいれたポリ袋にいれて押し入れて隠します。すぐに悪臭が出てたので結果的に1988年4月26日夜、ボストンバックに入れた三女の遺体を長男と不良中学生が一緒に、東京の巣鴨から電車に乗って埼玉の秩父まで行き、公園の雑木林に遺棄してしまいます。

事件報道で母親が自首

テレビで大きくこの事件が取り上げられ、母親の知るところとなり、自首します。母親は「保護責任者遺棄致死」の容疑で逮捕され、母親の供述から三女がいないことが判明します。そして長男に事情聴取したことですべて明るみに出ます。

マンションの自宅の押し入れから赤ちゃんの腐敗した遺体が発見されたこと、そしているはずの2歳の三女が行方不明だったこと、これがこの事件の一番の核心になります。

母親の供述から押し入れで腐敗した遺体として発見されたのは1983年9月に生まれた次男でした。巣鴨のマンションに引っ越してくる以前の出来事です。

次男は体が弱かったということで1984年2月ごろに突然死してしまったことで出生届をだしていなかったことから母親は遺体をどうしたらいいのか分からず”消臭剤をいれたポリ袋にいれて押し入れて隠した”と言うことです。

これは長男と不良中学生が三女を死なせて遺体を押し入れに隠したのと同じ方法です。次男の死亡後、引っ越し先にも遺体を連れてきています。母親としての罪の意識からなのか、本当に遺体の処分に困ったのか...。
長男は当初、「傷害致死ならびに死体遺棄の疑い」の容疑で逮捕されましたが14歳という年齢と親の育児放棄などその境遇にかなり同情的な東京地検の見解があり、少年院ではなく教護院へ送られるのが相当とされ、東京家裁に送致したということです。

不良中学生も刑事責任が問えない年齢ということで補導された後に教護院に送致されたようです。

母親の境遇と戸籍のない子供たち

母親は全員で6人の子供を産んでいますが、どの子供も父親が違うと言います。
長男は1979年に生まれていますが、それより前に結婚を反対された恋人との間に第一子をもうけていて養子に出しているということです。

この第一子と事件の長男は同じ父親ですが、その父親に当たる男性とは同棲していて内縁関係のまま一緒にいたようです。そして男性は1979年に母親の元から蒸発してしまいます。

内縁の夫がいなくなったことで生活が大変になり都内を転々とし、食べていくために売春、窃盗をしていたということです。その間に父親違いの子供を病院ではなく、自宅で産んだことで出生届けは出さずじまいでずーっといたようです。

母親は供述の中で自分が恋人のもとに入り浸りになっても連絡先は長男に伝えていたので何かあったら連絡が黒と思っていたと話していますが、長男だけではなくまだ小学生の子や3歳、2歳と親の手がいる子供の育児をせずに家を長期間空けていること自体はどう思っていたのか?

そもそもこの事件の発端はそこに大きな問題があったのに違いありません。

事件のその後

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