ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【クラーク・ゲーブル編】
2018年10月6日 更新

ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【クラーク・ゲーブル編】

前回の「ハリウッド映画全盛期を支えた男優列伝【ジェームズ・ステュアート&マーロン・ブランド編】」に続いて、今回もハリウッド男優について話を進めましょうか??

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5.“King of Hollywood”の異名を持つ、クラーク・ゲーブル!!

1940年頃のクラーク・ゲーブル

1940年頃のクラーク・ゲーブル

クラーク・ゲーブル(Clark Gable, 1901年2月1日 - 1960年11月16日)は、米国オハイオ州カディズ出身の映画俳優。第二次世界大戦前後の時代を代表するビッグスター。本名はウィリアム・クラーク・ゲーブル(William Clark Gable)、愛称はビリー(ファースト・ネームのウィリアムの愛称)。

本名 William Clark Gable
生年月日 1901年2月1日
没年月日 1960年11月16日(59歳没)
出生地 米国オハイオ州カディズ
国籍 米国
職業 俳優

逞しく、セクシーで、包容力ゆたかなクラーク・ゲーブルは“キング・オブ・ハリウッド”の異名を持つスーパースターだ。
若かりし頃のクラーク・ゲーブル

若かりし頃のクラーク・ゲーブル

1901年2月1日、米国オハイオ州カディズで油田鉱夫で農業にも従事していた父ウィリアム・H・ゲーブルと母アデリーン・ハーシェルマン・ゲーブルの間(両親はドイツ系移民の子孫) に、一人息子として生まれ、ウィリアム・クラーク・ゲーブルと名のった。(ファースト・ネームのウィリアムは25年以後使わなくなったようだ)
身体が弱かった母親はクラーク・ゲーブルの生後7ヶ月に癲癇により死去し、祖父母のもとで父親が再婚する2才まで育てられた。 オハイオ州ホープデールの父の家にひきとられ再婚したジョニー・ダンラップに育てられる。 婦人帽子店をいとなむ優しく、教養があるジョニー・ダンラップに”ビリー”はわが子のように育てられたという。
だが、このような幸せな日々は長くは続かず、10代半ばで家出し、タイヤ工場で働きながらミュージックホールで裏方見習いを始める。一時期、義母であるジョニー・ダンラップの死をきっかけに帰郷。しかし21歳の時、再び家出をして旅興行の一団と共に放浪。
1928年の舞台『Machinal』で主演を張る

1928年の舞台『Machinal』で主演を張る

オレゴン州ポートランドに落ち着きデパートなどで働き、町の劇団に参加する。そこで知り合った14歳年上の女優ジョセフィーン・ディロンと共にハリウッドへ渡り結婚。エキストラのような役で映画に出演するがパッとせず、舞台を中心に活動を続ける。やがて舞台での姿がMGM幹部の目に留まり、MGMと契約して1931年に公開されたB級西部劇『惨劇の砂漠』での悪役として本格的な映画デビューを果たす。
そうそう、1931年と言えば、ジョセフィーン・ディロンと離婚するが、今度は17歳年上のテキサス社交界の花形であったレアー・ラングハム・デイヴィスと再婚する。これは何か意図的な臭いがしてならないのだが・・・。まあ意図的にしろ、意図的でないにしろ、クラーク・ゲーブルがその位、”もてた”のかな??
映画『紅塵』(1932年)で共演女優のメアリー・アスターと

映画『紅塵』(1932年)で共演女優のメアリー・アスターと

続く『夜の看護婦』(1931年)では凶悪な運転手を好演。翌31年には12本の映画に出演。 ジョーン・クロフォード主演の『暗黒街に踊る』(1931年)や、ノーマ・シアラー主演の『自由の魂』(1931年)など主にギャング役で人気を博し、 『Sporting Blood』(1931年)では初の主役を演じてスターの座を獲得した。大きな耳と口ひげをトレードマークに、ゲーブルが演じた短気で快活な皮肉屋のタフガイというキャラクターは男性だけでなく女性をも虜にして幅広い観客の支持を集めた。
『Hold your Man』(1933年)ではジーン...

『Hold your Man』(1933年)ではジーン・ハーローと共演

その後もゲーブルの快進撃は続き、『スザン・レノックス』(1932年)ではグレタ・ガルボと、『白夜の騎士』(1934年)と『男の世界』(1934年)でマーナ・ロイと、『紅塵』(1932年)と『Hold your Man』(1933年)ではジーン・ハーローと共演して、 1930年代前半までにはMGM専属のほとんどのスター女優との共演を果たした。

お灸のつもりが各賞総なめ!!

1933年にはMGMと7年契約を結ぶが、大スターとなったゲーブルは反抗的になり、彼に手を焼いたMGMの会長ルイス・B・メイヤーは、 罰の意味を込めてゲイブルを当時ニ流スタジオだったコロムビア社に貸し出して『或る夜の出来事』(1934)に出演させた。ゲーブルは自分の評判に傷がつく事を躊躇したが、監督だったフランク・キャプラに説得されて出演することになり、完成した映画は大ヒットを記録し、何とゲーブルはアカデミー主演男優賞を受賞しただけでなく、 彼が劇中披露したシャツの下に下着を着ないファッションはたちまち流行となって全米の下着の売上は激減してしまったという。

私が独断と偏見で選ぶ3大ゲーブル映画!!

その1.或る夜の出来事

或る夜の出来事 [DVD]

或る夜の出来事 [DVD]

『或る夜の出来事』(あるよのできごと、It Happened One Night)は、1934年のアメリカ合衆国のスクリューボール・コメディ映画である。コロンビア映画製作、白黒映画。

監督 フランク・キャプラ
脚本 ロバート・リスキン
原作 サミュエル・ホプキンス
製作 フランク・キャプラ
   ハリー・コーン
出演者 クラーク・ゲーブル
    クローデット・コルベール

1934年アカデミー賞、主要5部門(作品・監督・主演男優・主演女優・脚色賞)を独占すると言う快挙を果たした古典的恋愛コメディの傑作で、キャプラ監督やコルベール、そしてゲーブルの名を一躍有名にし、不動のものにした作品。

It Happened One Night 1934 Clark Gable Claudette Colbert

大金持ちの一人娘エリー(クローデット・コルベール)は、勝手に婚約を交わしたことに怒った父親によって豪華船に監禁されるも恋人に逢いたくてそこから脱走、ニューヨーク行きのバスに乗り込んだ。そのバスには失業中の新聞記者ピーター(クラーク・ゲーブル)も乗っていて、ちょっとしたごたごたからお知り合いになる。

It Happened One Night (1934)


娘を探そうとする父親は新聞にデカデカと彼女の記事を載せ、それを読んだピーターは特ダネをモノにしようと何食わぬ顔で世間知らずのエリーに手を焼きながらも愉快な旅(あの有名なヒッチハイクなどなど・・・)を続けるのだった。やっとの思いでニューヨークに着いた二人。しかしそこで目にした新聞には“婚約を許す”と言う父親の記事が載っていた。が、その記事に困惑する二人・・・。そう、既に二人はお互いに惹かれ合う仲になっていたのだった・・・!!
結婚式ドタキャンものはこれが元祖か?ラブコメの名作中の名作で後の映画にもかなり引用されているが、オリジナルはテンポが良いだけでなく、脚本が素晴らしい。この脚本とクラーク・ゲイブル、この二つだけは替えが効かないと思われる。コルベールの上品な色気もいまでは出せない魅力だろう。

その2.風と共に去りぬ

映画『風と共に去りぬ』(1939年)で共演女優のヴィヴ...

映画『風と共に去りぬ』(1939年)で共演女優のヴィヴィアン・リーと

『風と共に去りぬ』(かぜとともにさりぬ、原題: Gone with the Wind)は、1939年に製作された米国映画。カラー製作、スタンダードサイズで日本での初公開は戦後の1952年だった。1940年のアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演女優賞(ハティ・マクダニエル・黒人俳優初)、脚色賞ほか特別賞を含め9部門を受賞した。

監督 ヴィクター・フレミング
脚本 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル
製作 デヴィッド・O・セルズニック
出演者 ヴィヴィアン・リー
    クラーク・ゲーブル

Frankly My Dear, I Don't Give a Damn - Gone with the Wind (6/6) Movie CLIP (1939) HD

南北戦争前後のアトランタを舞台に、炎のような女、スカーレット・オハラの波乱万丈な半生を、完璧なまでの配役とこの上ないほどの豪華なセットや衣装……と、今更語り尽くされた紹介はせずとも、その魅力あふれる内容とスケールの大きさはすでにご存じの方も多いのでは??

Gone with the Wind (4/6) Movie CLIP - Leaving for Battle (1939) HD

私なんか、あの音楽と、タイトルの・G・の文字が横に流れて行くのを見ただけで、もう目がウルウルしてきちゃうんだよね!!(パブロフの犬状態、条件反射かも??)
何度観ても飽きないし面白いし、溜め息が出てくる。本当に素晴らしい映画だ。
ヴィヴィアン・リーは映画史上最高のヒロインの一人だし、勿論クラーク・ゲイブルも超カッコイイ!!
太平洋戦争の緒戦において、日本軍による被占領地となった上海、シンガポール、マニラなどで、主に軍隊関係(陸軍中野学校出身者)の日本人がこの作品(他、ディズニー・アニメ映画「ファンタジア」)を見る機会を得たが、「こんな映画を作る国と戦争しても勝てない」と衝撃を受けたという。
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