【訃報】80年代フジのバラエティをけん引したディレクター・佐藤義和さん死去。
フジテレビの元プロデューサーで、80年代に同局における数々のバラエティ番組をヒットに導いた佐藤義和さんが11月、沖縄県内で亡くなっていたことが明らかとなりました。72歳でした。
第一報はこちらです!
【ひょうきん族D佐藤義和氏死去】https://t.co/2urSm70Aso
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) December 1, 2020
元フジテレビのプロデューサー、佐藤義和さんが、亡くなっていたことが分かった。72歳。「オレたちひょうきん族」では「ひょうきんディレクターズ」の一員として画面にも登場した。
佐藤さんは1948年、宮城県生まれ。大学卒業後の1971年、フジテレビの制作系子会社「フジポニー」に入社し、その後1980年にフジテレビに転籍。翌1981年には「オレたちひょうきん族」のディレクターを担当し、「ひょうきんディレクターズ」の一員“ゲーハー佐藤”としてレコードをリリースするなど、人気ディレクターとして数々の番組を手がけました。またプロデューサーとしても「森田一義アワー 笑っていいとも」などをヒットに導くなど、80年代~90年代におけるフジのバラエティ黄金期を支えていました。その後の佐藤さんですが、2005年に退社後はフリーのプロデューサーに転身。沖縄に移住し活動を継続していましたが、2019年にはプロデューサー業からの引退を表明していました。
佐藤義和さんの手掛けた番組を振り返る!
1980年から2005年までフジテレビに在籍し、ディレクター・プロデューサーとして様々な番組にかかわった佐藤さん。彼の手掛けた番組の数は非常に多岐にわたっており、すべてをご紹介することはとても出来ないのですが、中でも特に有名な番組についてここで軽く振り返っておきましょう。
オレたちひょうきん族
佐藤さんの代表作と言えるのが、1981年から1989年にかけて放送された「オレたちひょうきん族」。佐藤さん自身は1987年まで同番組のディレクターを担当し、ビートたけしと明石家さんまをスーパースターへと成長させるとともに、「タケちゃんマン」「アミダばばあ」「ホタテマン」「アダモステ」といった名物キャラクターを輩出し、「ひょうきん族」は80年代のフジを代表するお笑い番組として君臨することとなりました。
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森田一義アワー 笑っていいとも!
1982年から2014年にかけて放送された「森田一義アワー 笑っていいとも!」。日本のお昼を象徴するバラエティ番組として長年愛された同番組ですが、佐藤さんはディレクターおよび2代目プロデューサー(1987年から1994年まで)を担当し、また「笑っていいとも!増刊号」「笑っていいとも!特大号」のプロデューサーも兼任していました。
ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!
若手時代のウッチャンナンチャンを代表するバラエティ番組「ウッチャンナンチャンの誰かがやらねば!」「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」のプロデューサーも担当していました。「CHAKE&YASKA」「クイズ5、6人に聞きました」など、有名人や他局の番組のパロディが展開されたのを覚えている方も多いかと思います。
ダウンタウンのごっつええ感じ
1991年から1997年にかけて放送された「ダウンタウンのごっつええ感じ」の初代プロデューサーも務めていました。ダウンタウンが全国区の人気を獲得するきっかけとなった番組であり、今田耕司、東野幸治といったレギュラー出演陣も、現在大物芸人として活躍しています。
このように、日本のバラエティ番組史において非常に大きな功績を残した佐藤さん。彼が世に送り出した番組はこれからも人々に愛されていくのは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
このように、日本のバラエティ番組史において非常に大きな功績を残した佐藤さん。彼が世に送り出した番組はこれからも人々に愛されていくのは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
📺cx 2021/3/23 15:09
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