ザ・グレート・サスケとは
【プロフィール】
●出身地 : 岩手県盛岡市
●誕生日 : 1969年7月18日(50歳) ※2019年6月現在
●身 長 : 180㎝
●体 重 : 85㎏
●デビュー: 1990年3月1日
【経 歴】
1992年8月、メキシコ修行から帰国し活動拠点を日本に置くことを機に『ザ・グレート・サスケ』として活動を開始しました。
【地域活性を胸にみちのくプロレス旗揚げ】
その後約半年間の準備期間を経て、1993年3月16日岩手県矢巾町民体育館にて記念すべき旗揚げの日を迎えました。当時から業界のセオリーをぶち壊す奇想天外な興行形態で話題となりました。
一例を挙げると「プロレスはパイプ椅子に座って観戦するもの」が常識でしたが、みちのくプロレスでは「全席ゴザ」というスタイルにしました。
老若男女問わず、全員がリングの四方に敷かれたゴザにあぐらをかいて観戦するアットホームかつ経費を掛けないスタイルを確立しました。
これによって、選手とお客さんの距離がグッと近くなり親しみが湧いてくるようですね。
【テーマ曲が格好いい】
百聞はなんとやら…お聴きください。
ザ・グレート・サスケのファイティングスピリット
【新日本プロレスのリングで全国区に】
【テーマソング】 みちのくプロレスのテーマ
1994年4月、新日本プロレス主催で『第1回スーパーJカップ』が両国国技館にて開催されました。
この趣旨は団体の枠を超えてジュニアヘビー級の活性化を目的としたもので、全14名の選手がトーナメント形式で戦いを繰り広げました。
日本中のプロレスファンが注目した大会でサスケは、準決勝で「獣神サンダーライガー」からピンフォールを奪い、迎えた決勝戦では「ワイルド・ペガサス」に惜敗したものの、そのファイティングスピリットに胸打たれた人は多いはずです。
そして遂に東北の英雄が全国に知られることとなりました。
NJPW Super J Cup 04 16 1994 Jushin Thunder Liger VS The Great Sasuke
【大仁田厚との電流爆破デスマッチ】
参考までに当時の滝沢村の人口は約52,000人ほどです、その集落に位置する「岩手県滝沢村産業文化センター第一展示場」で一大イベントが開催されました。
『ノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾デスマッチ』!
こんな無謀な試合を行うのはサスケと当時「涙のカリスマ」と呼ばれていた「大仁田厚」の2人です。リングにロープは張られていません、その代わりに2面には小型爆弾が取り付けてある電流が流れる有刺鉄線、もう2面の場外には地雷爆破が設置されており落ちればもれなく被爆。
14分58秒という過激な試合の2秒後、時限爆弾が爆発という並の人間なら命の補償は出来ない試合内容、結果的にサスケは惜敗しましたがまた一つプロレス史に名を残す試合をやってしまいました。
【プロレス-今日は何の日】1994年10.30 岩手 サスケVS大仁田 首都圏外初電流爆破戦 場外へサスケスペシャル2→ジャーマンも大仁田の爆破使いとSFボムで轟沈、そして大爆破っ!
— AJスレンダー【旧アカ】 (@yasusurfandmore) October 29, 2014
今日もプロレス最高っ!#プロレス #今日は何の日 pic.twitter.com/UZPSiBxvXF
「俺はどんなに怪我していてもリングに上がればプロレスラーだ。お客さんは俺のケブラーダを見に来てんだから、それが出来なくなったらプロレス辞めちゃうよ。」
引用記事がないのが非常に残念ですが、プロレス雑誌のインタビューでこう語っていました。
これがサスケのファイティングスピリットの表れじゃないでしょうか。