なのに、かわいらしい芦田豊雄キャラ
これで、キャラクターがたとえば大友克洋デザインとかだった日にゃ、もう「蠅の王」な道筋しか予期出来ないところを、実際はなにせミンキーモモのキャラクターデザイン芦田豊雄氏のかわいらしい絵柄な訳です。
この“アンバランス”さというか、バランスというかが、バイファムの最大の発明ではないか、と筆者は思うわけです。ここがしっくり嵌るかどうかで、バイファムという作品に嵌るかどうかが分かれる—正直筆者はあまり嵌らなかった方だったのですが、、f^^;
ついでに加えておくと、オープニング主題歌がすべて英語歌詞というのも、“アンバランス”で印象深かったですね。
この“アンバランス”さというか、バランスというかが、バイファムの最大の発明ではないか、と筆者は思うわけです。ここがしっくり嵌るかどうかで、バイファムという作品に嵌るかどうかが分かれる—正直筆者はあまり嵌らなかった方だったのですが、、f^^;
ついでに加えておくと、オープニング主題歌がすべて英語歌詞というのも、“アンバランス”で印象深かったですね。
受難の旅の果て
さて、地球へ向けて旅立ったジェイナス号でしたが、
ほどなく、親たち大人がタウト星なるところに囚われていることを知ります。
それでタウト星へと針路を変え、追撃のなかなんとかタウト星に到着するも、両親たち捕虜はククト星に移されていました。で、ククト星に辿り着くと、今度は捕虜たちは地球軍に救出されて星を去るところと入れ違いに、、こうして短縮して書いているとなんだそりゃ、というべたで古いメロドラマ展開ですね。
ほどなく、親たち大人がタウト星なるところに囚われていることを知ります。
それでタウト星へと針路を変え、追撃のなかなんとかタウト星に到着するも、両親たち捕虜はククト星に移されていました。で、ククト星に辿り着くと、今度は捕虜たちは地球軍に救出されて星を去るところと入れ違いに、、こうして短縮して書いているとなんだそりゃ、というべたで古いメロドラマ展開ですね。
本作は初期の段階では2クールの予定でスタートしたが、企画が具体化するにつれ、4クールの作品として体裁が整えられていった[2][3]。しかし主役ロボ登場の遅れや、宇宙航行の暗い背景描写が不評などの理由から視聴率が低迷し、当初は子供たちだけで地球まで目指すストーリーで進められていたのをテコ入れのため敵衛星タウトに同胞捕虜救出のため襲撃へ向かう展開に差し替えられたが、その後も低迷は続いたことから23話での打ち切り案がTV局側より持ちかけられ、スタッフの間では「内回り・外回り」などと言って打ち切り版と通常版のシナリオを同時制作していた(途中で駆逐艦レーガンと接触するエピソードは打ち切り版脚本の流用である、本来は子供たちがそのまま地球へ連れて行かれて終わる予定だった)。結局、アニメ誌上で打ち切り予定を知ったファンが署名活動を展開してTV局に提出したこともあって23話での打ち切りは回避されたが、その後も39話前後での短縮エンディング、または12月までの3か月延長など、さまざまな提案があった。最終的に46話で完結することが決まった時には制作の最終段階(1984年6月)だった。
というような、制作の裏側の受難の旅もあったそうです。
航海の途中、子どもたちはククト星の和平派の人たちと接触、地球との和平の橋渡しとなります。
ようやく両親らが待つ地球へと帰る一行。
しかし、自分の両親を捜し出したいカチュアと、彼女に付き添うジミーは、地球には降りず別れることを決心します。
涙の別れのなか、友情のしるしに、たくさんの紙飛行機を宇宙に舞わせ二人の新たな旅への餞とする子どもたち。こうして13人がともにした長い旅は終わりを告げます。
いかがだったでしょう、SF宇宙版十五少年漂流記。
13人もの子どもたちの成長を最後まで描ききった本作、ひとつのマイルストーンであることは確かだと筆者は思います。
航海の途中、子どもたちはククト星の和平派の人たちと接触、地球との和平の橋渡しとなります。
ようやく両親らが待つ地球へと帰る一行。
しかし、自分の両親を捜し出したいカチュアと、彼女に付き添うジミーは、地球には降りず別れることを決心します。
涙の別れのなか、友情のしるしに、たくさんの紙飛行機を宇宙に舞わせ二人の新たな旅への餞とする子どもたち。こうして13人がともにした長い旅は終わりを告げます。
いかがだったでしょう、SF宇宙版十五少年漂流記。
13人もの子どもたちの成長を最後まで描ききった本作、ひとつのマイルストーンであることは確かだと筆者は思います。