日本語ロックを確立した不動のKing of LIVE! 【RCサクセション】
2016年4月4日 更新

日本語ロックを確立した不動のKing of LIVE! 【RCサクセション】

日本のロックシーンを語るには絶対に外せないバンド、RCサクセション。このバンドが現代の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。

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Gee2wo(key) 1954年9月17日生まれ 兵庫県神戸市出身

高校時代から音楽活動を始める。国立音楽大学作曲科で学び、1974年-1975年頃、同級生の佐山雅弘の誘いでRCサクセションのシングル・マンのレコーディング(「夜の散歩をしないかね」)に参加。その後、原田真二のサポートなどのバックミュージシャンとしての活動を経て、1979年頃からRCサクセションにサポートとして参加。翌1980年に正式加入。キーボード奏者としての活動の他、忌野清志郎と数多くの曲を共作した。
1990年に同バンドを脱退。その後、Zion High Playersに参加。PUFFYのバックとしての活動とパーカッションの修行を経て、2007年から長野県のミュージックスクールでGee2wo名義でピアノ・パーカッションの講師を務めている。

厚見玲衣(key) 1957年5月18日生まれ 東京都多摩区出身

1979年、 MOON DANCERにてプロデビュー。1980年 、MOON DANCERを解散後に渡米してTACHYONを結成しデビュー。しかし同年解散
1984年、 人見元基と共にVOW WOWに加入。1990年に VOW WOWが解散後、RCサクセションのライブにサポートメンバーとして参加
その後、 元レッド・ウォーリアーズの木暮武彦率いるCASINO DRIVE、忌野清志郎 Little Screaming Revueのライブにサポートメンバーとして参加。
2003年、忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNSに加入 
2004年、 PANGAEAプロデュース。

軌跡

1960年代

・1966年 中学の同級生だった清志郎、小林、破廉の3人でバンド「ザ・クローバー(The Clover)」を結成する。

・1967年 高校進学によりザ・クローバー解散。清志郎と小林は、上級生の武田清一(のちに「日暮し」でデビュー)を迎えて「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー (The Remainders of the Clover(「クローバーの残党」の意))」を結成。初めてギャラをもらう仕事をする。

・1968年 「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー」が自然消滅した後、破廉がバンドに戻りバンド名を「リメインダーズ・オブ・ザ・クローバー・サクセション (The Remainders of the Clover succession(「クローバー〜からの継続」の意)」の省略形から「RCサクセション」と命名する。RCサクセション誕生。

・1969年 テレビ番組「ヤング720」(TBS系)のオーディションに合格。続いて8月29日、東芝主催の「カレッジ・ポップス・コンサート」オーディションで第3位に。この模様を収録したオムニバス盤が初めての公式音源となる。収録曲は「泥だらけの海」。

1970年代

・1970年 「宝くじは買わない」で東芝音工(現EMIミュージック・ジャパン)よりシングルデビュー。

・1971年 RCが活動拠点の一つとしていた渋谷のライブハウス「青い森」で当時フォークグループ古井戸として活動していた仲井戸麗市と出会う。

・1972年 ラジオ番組「ハロー・パーティ」「バイタリス・フォーク・ビレッジ (後に、『ライオン・フォーク・ビレッジ』に改題)」 などへの出演を始める。3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒット。1stアルバム「初期のRCサクセション」をリリース。

・1974年 当時のマネージャー奥田義行が事務所 (ホリプロダクション)に造反、独立してプロダクション「りぼん」を設立。RCはその騒ぎに巻き込まれ、ホリプロ内で仕事を干される。

・1976年 ホリプロダクションから「りぼん」へ移籍。前年にすでに制作済みだった3rdアルバム「シングル・マン」がようやくリリースされるも、1年後に廃盤となってしまう。破廉は精神状態が不安定になり、ギターが弾けなくなる。

・1977年 破廉が正式脱退。

・1978年 春日がメンバーとして参加し、フォーク形態からロック / R&B形態へとバージョンアップされる (当時は、その衝撃の大きさからマスコミでは「パンク・ロック」と評されることが多かった)。さらに、新井田、仲井戸が正式に加入し、RCの黄金期を形成するバンドの基礎が完成する。清志郎は髪を短く切って逆立て、派手な衣裳にどぎついメイクをしてステージに出るようになる。

・1979年 春日に替わって小川が加入。RCはそのライブパフォーマンスが評判となり、マスコミでたびたび取り上げられるようになる。ジョニー・ルイス&チャーの前座として初めて日本武道館のステージに立つ。
音楽評論家の吉見佑子らが3rdアルバム「シングル・マン」の再発売を懇願するため「シングルマン再発実行委員会」を発足、ポリドールとの折衝が繰り返された結果、自主制作というかたちで300枚限定で異例の再発売が決定する。当初は国立の「レコード・プラント」、青山の「パイドパイパー・ハウス」の2店のみでの販売だった。

RCサクセション 『宝くじは買わない』 - YouTube

1970.03.05発売、デビュー曲です。

僕の好きな先生 RC SUCCESSION - YouTube

1972年2月5日リリース。

スローバラード RCサクセション 

1976年1月21日リリース。

1980年代

・1980年 「雨あがりの夜空に」発売記念として渋谷のライブハウス「屋根裏」で4日連続のコンサートを開催。のべ800人の観客を動員し、同ライブハウスの動員記録を打ち立てる。渋谷公会堂でのシーナ&ロケッツ、バウワウとのジョイントコンサートも約2000人の観客動員を達成、RC人気に火がつく。「シングル・マン」が正式に再発売される。
エレキ化後のデビュー盤となる “RHAPSODY” をリリース、半年以上のロングランヒットとなる。このアルバムは、1980年6月、東京・久保講堂におけるコンサートの実況録音盤である。同アルバムリリースと前後し、小川が脱退。替わって、それまでサポートメンバーとして参加していたGee2woが正式メンバーとなる。

・1981年 初の日本武道館単独公演。この年を始めとしてその後10年間連続で武道館クリスマスコンサートを行う。この年はその他にも年間100本近いコンサートを行う。

・1982年 清志郎が坂本龍一(当時イエロー・マジック・オーケストラ)と組んで発表したシングル「い・け・な・いルージュマジック」が資生堂82春のキャンペーンソングとしてヒット。PVでは、どぎつい化粧をして男同士でキスをするなど過激なパフォーマンスを展開、時代を席巻する。 RCとしては同年、サム・ムーア、チャック・ベリーらとのジョイントコンサートを開催(アルバム『THE DAY OF R&B』収録)。ロンドン・レコードに移籍。自身のレーベル「BARCA」を設立。

・1985年 事務所「りぼん」から独立。自分たちの事務所「うむ」を設立。西武劇場(現PARCO劇場)で独立記念コンサート「スーパーエイプリルフール」を開催(泉谷しげる、坂本龍一、矢野顕子、三浦友和らがゲスト参加)。

・1988年 東芝EMIより発売予定だったシングル「ラブ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止となる。同シングルとアルバムは結局古巣キティレコード(現ユニバーサルミュージック)から発売され、RCとして初のチャート1位を獲得する。

・1989年 HARD TIMES LIVE ツアーはリリースされていない新曲中心という異例の構成で行われる。また、レコード会社に対する不満からステージ上で「録音自由化」を宣言。

RC Succession - 君が僕を知っている - YouTube

『雨上がりの夜空に』のB面
1987.06.04のライブです。

RC Succession - トランジスタ・ラジオ - YouTube

1980年10月28日リリース

ロックン・ロール・ショー - RC SUCCESSION - YouTube

1981年12月24日 日本武道館

RCサクセション いい事ばかりはありゃしない - YouTube

1980年にリリースされた4枚目のアルバム『PLEASE』の収録曲。
動画は日本武道館でのライブです。
Chaboもソロライブ等でよく歌っています。

RCサクセション つ・き・あ・い・た・い - YouTube

1982年12月15日リリース

RCサクセッション 忌野清志郎 - ドカドカうるさいR&Rバンド 1983 - YouTube

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