日本語ロックを確立した不動のKing of LIVE! 【RCサクセション】
2016年4月4日 更新

日本語ロックを確立した不動のKing of LIVE! 【RCサクセション】

日本のロックシーンを語るには絶対に外せないバンド、RCサクセション。このバンドが現代の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。

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まずはこの曲を!

1980 RCサクセション  雨上がりの夜空に - YouTube

1980年年末、大阪毎日ホールにて。

KING OF LIVE!!RCサクセション

RCサクセション(アールシーサクセション、RC SUCCESSION)は、日本のロックバンド。
忌野清志郎をリーダーとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど「日本語ロック」の成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。バンド名の「RC」とは、清志郎自身が「ある日(RC)バンドを作成(サクセション)しよう」からだとジョークで言ったこともあったが、実際は「The Remainders of Clover (リメインダーズ・オブ・クローバー)」の略である。
彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。
その後、1991年より無期限の活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年5月2日に清志郎が癌性リンパ管症のため死去。事実上、バンドは解散となった。

メンバー

 (1616792)

'68~'77
忌野清志郎(vo)/林小和生(b)/破廉ケンチ(g)
'77~'79
忌野清志郎(vo)/林小和生(b)/仲井戸麗市(g)/新井田耕造(ds)/小川銀次(g)
'80~'89
忌野清志郎(vo)/小林和生(b)/仲井戸麗市(g)/新井田耕造(ds)/Gee2wo(key)
'89~'90
忌野清志郎(vo)/小林和生(b)/仲井戸麗市(g)/春日博文(ds)/厚見玲衣(key)

サポートメンバー
三浦友和(パーカッション)’70年代前期 佐山雅弘(key)'75~'76 鈴木ウータン正夫(dr)'75~'76
阿部昇(g)'75~'76 土井耕太郎(dr)’77 

忌野清志郎(VO・G) 1951年4月2日生まれ~2009年5月2日逝去(享年58歳) 東京都中野区出身。

国分寺市立第三中学校時代にエレキブームに刺激を受け、ベンチャーズなどのカバーバンド「No Name」を結成、音楽活動を始める。
1966年初頭、フォークブームに刺激を受け、同級生でバンド仲間だった小林和生(のちの林小和生)、桶田賢一(のちの破廉ケンチ)と共に「The Clover」を結成するが、東京都立日野高等学校進学に伴い、活動は停滞する。ちなみに高校の同級生に三浦友和がいる。
高校時代は学校に馴染めず、かと言って不良でもなく、物静かな少年だった。あと何日休んだら単位が落ちるかを計算して、サボれるだけサボッていた。「トランジスタ・ラジオ」の中に授業をサボッて屋上でタバコを吸っているという歌詞があるが、これは清志郎の実体験である。(2014年5月2日放送のNHK「ラストデイズ」」より)
高校時代、清志郎はサイケデリック・ミュージックの流れでビートルズやザ・バンドを聞き込んでいたが、ジョン・リー・フッカー好きの友人の影響で、ブルースに傾倒するようになる。
その後、バンドの解散/再編(The Clover→「The Remainders of The Clover」→「The Remainders of The Clover Succession」、1968年に「R.C.サクセション」に定着)を繰り返す。
1970年、フォークグループRCサクセションとしてシングル「宝くじは買わない」でデビュー。
RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。RCサクセションの「KING OF LIVE」からの流れで、KING OF ROCKの異称を取った。
2009年5月2日午前0時51分、癌性リンパ管症により死去した。

仲井戸”Chabo"麗市(G・VO) 1950年10月9日生まれ 東京都新宿区出身。

古井戸、RCサクセション、麗蘭などのほか、ソロのシンガーソングライターとしても活動。。CHABO (チャボ) の愛称で知られる。
ステージ・ネームの「麗市」は彼が敬愛するフォーク・シンガー、ドノヴァン・フィリップ・レイチのファミリー・ネームから取った。妻はフォトグラファーのおおくぼひさこ。
10代前半でビートルズ、エレキギターと出会う。ブルースやソウルの偉大なミュージシャンたちに深く傾倒し、ギター演奏やボーカルスタイルに影響を受けている。また、ソロ・ミュージシャンとしての活動と並行して取り組んでいるポエトリー・リーディング(詩の朗読会)も活動の柱の一つである。
文筆家であり、発表作品のライナーノーツには、長めの文章を仲井戸自身が書き下ろすことがよくある。

小林和生(B) 1951年12月5日生まれ 東京都国分寺市出身

RCサクセション時代の愛称は「リンコ」「リンコさん」。
東京都出身。忌野清志郎とは小学生の時からの同級生。清志郎とともにRCサクセションの最古参メンバー。 1966年に忌野、破廉ケンチと共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは後の1968年にRCサクセションとなる。
RCサクセションの不遇時代には芸大のベース科に入学して腕と理論を強化した。実弟の小林キンスケ(一樹)もPAエンジニアとしてRCサクセションと関わっている。
RC解散後はフリーのベーシストとして加奈崎芳太郎のツアーなどにも参加。同時期に遠藤ミチロウとジョイントライブを行ったりしていた。その後音楽活動から引退し現在は都内で左官をしているらしい。

破廉ケンチ(G) 1951年9月19日生まれ 九州出身

中学時代に国分寺市立第三中学校に転校し、忌野清志郎、小林和生らと出会う。1966年に忌野、小林と共にバンド「ザ・クローバー」を結成。ザ・クローバーは後の1968年にRCサクセションとなる。主にアコースティック・ギター(リード)を担当。コンサートでの毒舌は清志郎と双璧をなしていた。RCのセカンドアルバム「楽しい夕に」には彼の数少ないソロ・ヴォーカル曲「忙しすぎたから」が収録されている。
RCの不遇時代には福生で三浦友和と同居していた。次第にバンドがそれまでのアコースティックサウンドから、エレクトリック・ギターを前面に押し出したサウンドへと移行する中、1976年頃にはエレキに上手く順応することができないことなどから鬱状態となり、アルバム『シングル・マン』リリース後、RCを脱退した。
現在は株式会社ポリスターに音楽プロデューサーとして在籍

新井田耕造(dr) 1953年3月25日生まれ 東京都台東区出身

1978年にRCサクセションに加入。フォークトリオだったバンドのロックバンド化と1980年代のメジャーブレイクに貢献。『Baby a Go Go』(1990年)制作中にRCサクセションを脱退し、その後は梅津和時率いる「シャクシャイン」、「こまっちゃクレズマ」や「KIKI BAND」、ヒカシュー、ヤプーズなどで活動。
2013年12月1日、再結成した憂歌団に加入。

春日博文(g・dr) 1954年1月25日生まれ 東京都港区出身

ギタリスト、ドラマー、音楽プロデューサー。カルメン・マキ&OZなどで知られる。愛称はハチ(Hachi)。
カルメン・マキ&OZ解散後、 RCサクセションにギタリストとして参加。
1983年 カルメン・マキ&OZ時代の盟友川上茂幸(B)、後にVOWWOWのボーカリストとして活躍するひとみげんき(Vo)、元スペース・サーカスの火野玉男(Dr)らと共に『NOIZ』を結成。アルバム「NOIZ」をリリースするもすぐに解散。
仲井戸麗市、『THE仲井戸麗市BOOK』『絵』プロデュース。RCサクセションにドラマーとして参加。『Baby a Go Go』など、プロデュースを数多く行っている。

小川銀次(g) 1956年9月24日生まれ~2015年8月2日逝去(享年58歳)

『RCサクセション』、『カルメン・マキBand』、『川上シゲ&Zone』等にギター担当として参加して活動して来たギタリスト。
17歳の時にギターを始め、18歳で「ねずみ小僧」(後に「Bem」と改名)を結成。
1976年7月CROSSWIND を結成、コンテストで優勝し1978年にファースト・アルパム『CROSSWIND 』でプロデビューを果たした。翌79年にセカンド『CROSSWIND 2』をリリースしたほか、RCサクセション等自らのバンド以外でもギター担当として参加していた。
2015年8月2日、癌のため逝去。
闘病中は「自分らしいギタープレイが出来なくなるから」と、抗がん剤治療を拒否していた。
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