CDデビューまで
伊藤銀次さんは、大阪府池田市出身。実家は歯医者です。
元々は実家を継ごうと考えていたのか、大阪教育大学附属高等学校池田校舎卒業後、大阪歯科大学歯学部に入学しますが2年で中退しています。中退後は京都でヒッピー生活をしていたそうです。
そして「ごまのはえ」というバンドでプロミュージシャンとして活動を開始。その後、「ココナツ・バンク」と名前を変えました。布谷文夫さんのバックバンドとして「悲しき夏バテ」という楽曲に参加していました。
その後、大瀧詠一さんのプロデュースで本格的にデビューする予定だったのですが、その前にバンドが解散してしまったのです。デビューしていたら大瀧詠一さんが主宰していたレーベル「ナイアガラ・レーベル」の第一号アーティストになる予定だったんですよ。その後1976年に大瀧詠一さん、山下達郎さんと「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」を発表しています。すごいメンバーですよね。
1676年には山下達郎さんの楽曲に歌詞提供もされています。
元々は実家を継ごうと考えていたのか、大阪教育大学附属高等学校池田校舎卒業後、大阪歯科大学歯学部に入学しますが2年で中退しています。中退後は京都でヒッピー生活をしていたそうです。
そして「ごまのはえ」というバンドでプロミュージシャンとして活動を開始。その後、「ココナツ・バンク」と名前を変えました。布谷文夫さんのバックバンドとして「悲しき夏バテ」という楽曲に参加していました。
その後、大瀧詠一さんのプロデュースで本格的にデビューする予定だったのですが、その前にバンドが解散してしまったのです。デビューしていたら大瀧詠一さんが主宰していたレーベル「ナイアガラ・レーベル」の第一号アーティストになる予定だったんですよ。その後1976年に大瀧詠一さん、山下達郎さんと「NIAGARA TRIANGLE Vol.1」を発表しています。すごいメンバーですよね。
1676年には山下達郎さんの楽曲に歌詞提供もされています。
佐野元春さんのアルバムをプロデュース
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佐野元春さんがデビューシングルのレコーディングのため、スタジオに入った時、伊藤銀次さんに出会ったそうです。
そして1981年にリリースしたアルバム「Heart Beat 」は佐野さんと連名で編曲を担当、プロデュース荷も携わっています。伊藤さんにとって初めてのプロデュース作品ですね。佐野さんも他のアーティストのプロデュースをしていたりしたのですが、自分のアルバムには別のミュージシャンと共同で制作していたというのはちょっと意外ですね。
伊藤さんいわく、このアルバムが一番「銀次色」が出ている、とのこと。特に佐野さんの代表作の1つでもある「硝子のジェネレーション」のアレンジには深くかかわっていて「あれは半分僕の作品だといっても佐野君は怒らないだろう」と話しています。
佐野さんにとっても思い入れのあるアルバムなのか、このアルバムの楽曲は今でもアレンジしてライブで披露されることが多いです。
そして1981年にリリースしたアルバム「Heart Beat 」は佐野さんと連名で編曲を担当、プロデュース荷も携わっています。伊藤さんにとって初めてのプロデュース作品ですね。佐野さんも他のアーティストのプロデュースをしていたりしたのですが、自分のアルバムには別のミュージシャンと共同で制作していたというのはちょっと意外ですね。
伊藤さんいわく、このアルバムが一番「銀次色」が出ている、とのこと。特に佐野さんの代表作の1つでもある「硝子のジェネレーション」のアレンジには深くかかわっていて「あれは半分僕の作品だといっても佐野君は怒らないだろう」と話しています。
佐野さんにとっても思い入れのあるアルバムなのか、このアルバムの楽曲は今でもアレンジしてライブで披露されることが多いです。
ウルフルズのプロデューサーとしても有名!
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伊藤銀次さんは1994年からウルフルズのプロデューサーも務めていました。1992年にデビューしたものの、なかなかヒットが出なかったウルフルズですが、伊藤さんがプロデューサーになってから徐々に認知度がアップします。
「ガッツだぜ!!」「バンザイ」などのヒット作も伊藤さんと一緒に作られているんですよ。
編曲は基本的にメンバーで行っていることが多いですが「トコトンで行こう!」「大阪ストラット・パートII」「SUN SUN SUN'95」「ガッツだぜ!!」「バンザイ 〜好きでよかった〜(」は編曲にも関わっています。
「SUN SUN SUN'95」のPVでは喫茶店のマスター役として出演もされています。「SUN SUN SUN'95」のPVはドラマ仕立てになっていて面白いので、機会があればぜひ見てみてください。
ウルフルズのプロデュースは1994年から活動休止する2007年のアルバム「KEEP ON, MOVE ON」まで行っていましたが、2014年の活動再開後からは関わっていないようです。
最初は別のミュージシャンにプロデュースをお願いしていても、その後セルフプロデュースになる方は多いので特に仲たがいした、とかではないと思われます。
ちなみに、1998年、1999年にはユースケ・サンタマリアさんに楽曲提供をされています。ウルフルズのボーカル、トータス松本さんとユースケさんはCDで「夕陽のドラゴン」という番組を一緒にやられていました。その関係で伊藤さんがユースケさんもプロデュースしたのかもしれませんね。
「ガッツだぜ!!」「バンザイ」などのヒット作も伊藤さんと一緒に作られているんですよ。
編曲は基本的にメンバーで行っていることが多いですが「トコトンで行こう!」「大阪ストラット・パートII」「SUN SUN SUN'95」「ガッツだぜ!!」「バンザイ 〜好きでよかった〜(」は編曲にも関わっています。
「SUN SUN SUN'95」のPVでは喫茶店のマスター役として出演もされています。「SUN SUN SUN'95」のPVはドラマ仕立てになっていて面白いので、機会があればぜひ見てみてください。
ウルフルズのプロデュースは1994年から活動休止する2007年のアルバム「KEEP ON, MOVE ON」まで行っていましたが、2014年の活動再開後からは関わっていないようです。
最初は別のミュージシャンにプロデュースをお願いしていても、その後セルフプロデュースになる方は多いので特に仲たがいした、とかではないと思われます。
ちなみに、1998年、1999年にはユースケ・サンタマリアさんに楽曲提供をされています。ウルフルズのボーカル、トータス松本さんとユースケさんはCDで「夕陽のドラゴン」という番組を一緒にやられていました。その関係で伊藤さんがユースケさんもプロデュースしたのかもしれませんね。
ドラマ仕立てが画期的!ウルフルズのPVを見てみよう! - Middle Edge(ミドルエッジ)
現在はスマホに特化するなど様々なPVがありますが、90年代当時、ウルフルズのPVはかなり画期的でした!曲は知っているけどPVは知らないという人もぜひチェックしてみてください。
他にはこんな楽曲も提供!
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伊藤銀次さんは他にも友部正人さん、浜田省吾さん、小幡洋子さん、憂歌団などのプロデュースもされています。
そして様々なアーティストに楽曲提供を行っていますよ。プロデューサーは作詞家、作曲家のどちらか、もしくは常に両方担当している人が多いと思いますが、伊藤さんは作詞のみの楽曲も作曲のみの楽曲も多いです。珍しいですよね。
1975年にはシュガー・ベイブに「DOWN TOWN」をはじめ、楽曲提供されています。歌詞提供が多いですが、「こぬか雨」は作曲も担当。他の楽曲の作曲は山下達郎さんです。
他には竹内まりやさん、沢田研二さん、原田知世さん、長江健次さん、川島なお美さん、研ナオコさん、小柳ルミ子さん、アン・ルイスさん、吉川晃司さん、バブルガム・ブラザーズ、荻野目洋子さん、日髙のり子さんなどミュージシャン、アイドル、声優と幅広く楽曲提供されています。
そして「笑っていいとも!」のオープニングテーマ「ウキウキWATCHING」も伊藤さんの作曲なんです。一定の世代以上なら誰もが聞いたことがあるあの楽曲は伊藤さんの作曲だったんですね。
1989年から1990年には「いかすバンド天国(通称イカ天)の審査員も務めていたんですよ。やはり実力のあるミュージシャンですよね。
そして様々なアーティストに楽曲提供を行っていますよ。プロデューサーは作詞家、作曲家のどちらか、もしくは常に両方担当している人が多いと思いますが、伊藤さんは作詞のみの楽曲も作曲のみの楽曲も多いです。珍しいですよね。
1975年にはシュガー・ベイブに「DOWN TOWN」をはじめ、楽曲提供されています。歌詞提供が多いですが、「こぬか雨」は作曲も担当。他の楽曲の作曲は山下達郎さんです。
他には竹内まりやさん、沢田研二さん、原田知世さん、長江健次さん、川島なお美さん、研ナオコさん、小柳ルミ子さん、アン・ルイスさん、吉川晃司さん、バブルガム・ブラザーズ、荻野目洋子さん、日髙のり子さんなどミュージシャン、アイドル、声優と幅広く楽曲提供されています。
そして「笑っていいとも!」のオープニングテーマ「ウキウキWATCHING」も伊藤さんの作曲なんです。一定の世代以上なら誰もが聞いたことがあるあの楽曲は伊藤さんの作曲だったんですね。
1989年から1990年には「いかすバンド天国(通称イカ天)の審査員も務めていたんですよ。やはり実力のあるミュージシャンですよね。
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