和菓子とは??
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和菓子は、明治時代以降にヨーロッパなどから新しく日本に入ってきた洋菓子に対する言葉で、餅(もち)菓子、羊羹(ようかん)、饅頭(まんじゅう)、最中(もなか)、落雁(らくがん)、煎餅(せんべい)などが含まれる。また遣唐使がもたらした唐菓子(からかし)、近世にスペイン・ポルトガル・オランダからもたらされ日本で独自の発展を遂げた南蛮菓子(なんばんがし)も和菓子の一種として扱われる。
洋菓子と比べて油脂や香辛料、乳製品を使うことが少なく、米・麦などの穀類、小豆・大豆などの豆類、葛粉などのデンプン、および砂糖を主原料としたものが多いのが特徴である。特に豆類を加工して作る餡が重要な要素となるものが多い。
一般に緑茶に合わせることを想定して作られており、日常的な茶請け菓子として親しまれているだけでなく、茶の湯との関係も深い。その他各種の年中行事や慶弔事における引き出物などにも用いられる。
四季との結びつきが強いことも特徴の一つで、特に上生菓子(じょうなまがし)と呼ばれる上等な生菓子では、各種の製法を駆使し、味だけでなく視覚的な美しさが豊かな季節感をもって表現されている。
和菓子といっても種類が超~豊富ざんす!!
果子(くだものの意)から菓子に、そして和菓子へ
もともと、日本では木の果実、草の実を総称して「くだもの」と呼び、中国より文字や漢字が伝来すると、その当て字として「菓子」の字をあてるようになった。要するに、古くは「菓子」とは、果実のことで、果物と実を包括した言葉であったという。それらは主食である穀物などからの栄養分やビタミンなどの不足を補う役割があり、また、甘みを持つものもあったため、嗜好品としての役割もあったそうだ。昔も今も、甘い刺激には人間はもろに弱いところがあるようだ。
甘さの元は石蜜(蜜をかためた物)や甘蔗(サトウキビ)!!
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穀物を原料とした食べ物も加わる!!
奈良・平安時代になると仏教の伝来と共に大豆餅、小豆餅といった米や麦、胡麻などの穀物を原料とした食べ物も加わり始めた。この頃の砂糖の代わりとなる甘いものは石蜜(蜜をかためた物)や甘蔗(サトウキビ)などで、中国から運ばれ、餅類に加えて食されている。
奈良時代に唐より伝来した唐菓子の登場!!
奈良時代には果物を菓子と称していたため、中国からも菓子類が伝来し、唐菓子(からくだもの・からかし)と呼ばれた。そのような唐菓子が京都にはまだ伝統として残っている。
奈良時代に唐より伝来した日本の菓子のルーツの一つ 清浄歓喜団
緑豆、米の粉、蒸し餅、ケシ、乾燥レンゲなどを練ってゆでたもの。団喜(だんき)とも呼ぶ。現存する清浄歓喜団は、小麦粉の生地で小豆餡を茶巾状に包み胡麻油で揚げたものとなっている。元はインドの菓子「モーダカ」。
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これらの唐菓子の中から各々が進化をし、今日の団子、饅頭、煎餅などが生まれた。
時代は下り鎌倉時代には、茶の湯文化の広まりに伴う点心の一つとしての菓子作りも発達
鎌倉時代には、宋から茶苗を持ち帰った栄西によって茶の栽培と普及が進められて茶の湯文化が広まったことにより、点心の一つとしての和菓子作りも発達していった。1341年に日本にもたらされた饅頭(蒸し饅頭)は、現在も続いている最も古い菓子の一つである。
1970年初期ぐらいまではどの駅前でも2~3軒の甘味処が存在した!!
ほうじ茶の店「森乃園 甘味処」
私がときどき立ち寄る東京日本橋人形町にある、大正三年創業のほうじ茶専門店「森乃園 甘味処」
淹れたてのほうじ茶とほうじ茶スイーツなどが絶品!!。私の一押し店なので、近くに行かれることがあれば、ぜひお立ち寄りください!!。
昔はわざわざ東京日本橋人形町に行かなくても地元で舌鼓を打てたのですが・・・
淹れたてのほうじ茶とほうじ茶スイーツなどが絶品!!。私の一押し店なので、近くに行かれることがあれば、ぜひお立ち寄りください!!。
昔はわざわざ東京日本橋人形町に行かなくても地元で舌鼓を打てたのですが・・・
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甘味処の和菓子といってもいろいろ!!
読者の方もご存知だろうとは思いますが、甘味処のメニューで代表的なもの3つをおさらいしましょう!!
なつかしい方もおられるのでは・・・??。
なつかしい方もおられるのでは・・・??。