歴史
via www.nengahaku.jp
今では、官製の年賀はがきといえば当たり前になっているお年玉くじ。この制度が始まるのは、1949(昭和24)年です。というより、それ以前は、通常の官製はがきを年賀状として使っていただけで、官製の年賀専用はがきというものが誕生するのが、このお年玉くじ付きはがきからなのです。
もう60年以上も続いているのですね。
via www.nengahaku.jp
このお年玉くじ付きという発想は、官ではなく、民からでたもの。京都在住の全くの民間人、林正治氏(当時42歳)が、「年賀状が戦前のように復活すれば、お年玉はがきのポスターお互いの消息もわかり、うちひしがれた気分から立ち直るきっかけともなる」と考え、このアイデアを思いつきます。<年賀状に賞品の当たるくじをつける。> <料金には寄付金を付加し社会福祉に役立てる。>林氏は、そのアイデアをもとに、自ら見本のはがきや宣伝用のポスターまでつくり、郵政省に持ち込みます。
郵政省の会議では「国民が困窮している時代に、送った相手に賞品が当たるなどと、のんびりしたことを言っていられる状態ではない」との反論もありましたが、紆余曲折を経た後、採用が決定。世界にも類を見ない制度が実現するのです。
via www.nengahaku.jp
平成に入っても増加を続けた年賀郵便は1997(平成9)年の約37億通をピークに、停滞ないし微減傾向が続いています。これは、景気の長期低迷が続いたことや、インターネットの普及で電子メールがさかんになったことなど、さまざまな理由が考えられます。しかし、現在でも国民1人あたり約35通の年賀状が出されています。
via www.nengahaku.jp
1968(昭和43)年7月には、増加する郵便物への対応と配達のスピードアップをねらって、郵便番号制度が導入されます。これに合わせ、年賀はがきの表面にも郵便番号枠が加わります。むしろ、この年の年賀状によって、郵便番号が国民の中に定着したと言ってもいいでしょう。宛先の郵便番号だけでなく、自分の住所の郵便番号を必ず書くよう推奨したことで、相手に知らせる役割も果たしたのです。
時代を映し出す賞品 まずは第1回の賞品
via f.st-hatena.com
via ks.c.yimg.jp
この時代の庶民の夢のひとつに、ホームメイドで洋服をつくれる家庭がありました。収入に比べ、既製服が高いということなのかもしれません。また、視線が子供に向けられているのも、ベビーブームの反映と考えられます。
毎年の最高賞品(昭和30・40年代)
via cdn.mainichi.jp
毎年の最高賞品(昭和50・60年代)
via stat.ameba.jp
via takizawa.gr.jp