猿岩石 1996年4月13日香港出発    6日目 中国突入
2023年2月20日 更新

猿岩石 1996年4月13日香港出発 6日目 中国突入

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。野宿、絶食当たり前、あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠をこえる「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。

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【電波少年】猿岩石 ユーラシア大陸横断 ヒッチハイク旅①

猿岩石は、1995年2月、事務所(太田プロ)に入り。
1年後、
「半年間スケジュールが白紙であること」
という募集条件で内容は明かされないまま、「進め!電波少年」のオーディションを受けた。
そして広島からバスで上京した後、東京ドームで野宿をした経験があったことが決め手になって合格。
まだ外国に行ったことがない2人は、アイマスクと大音量のヘッドホンをつけられ
「だまされて」
香港島に連れていかれた。
まだTVに2回しか出たことがない2人は、すぐに特設スタジオに放り込まれ、
「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」
という企画名と
「これから香港からロンドンまでヒッチハイクで行ってもらいます」
「現在いる場所から西へ西へと直線距離にして、だいたい 2、3万km(実際は3万5000km)」
「期限は無期限なんですが、3ヵ月くらいかなぁということで・・(実際は6ヵ月かかった)」
と超アバウトな説明を聞かされた。
ルールは

・予算は10万円(番組から支給、それ以外のお金は持っていけない)
・移動は徒歩かヒッチハイクのみ(お金を払って乗り物を利用するのは禁止)
・旅の道中、猿岩石の2人に1人のスタッフが同行し撮影するので3名で移動するが、スタッフは一切、手助けはしない。

さっそくヒッチハイクの旅はスタートし、スタジオを出てショッピングモールであるタイムズスクエア前の道の端に立って
「To LONDON」
と書いた紙を掲げ、そのまんま東に
「こんなモンで(車が)捕まるか」
と強めにツッコまれた。
そして白いワンボックスカーをGET。
運転手のポールは工事現場から自宅に帰る途中だというが、車に押し込まれるように乗る2人はヒッチハイカーというより拉致される日本人観光客だった。
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1996年4月13日、香港をスタートした猿岩石は、6日目、4月18日に2ヵ国目、中国へ突入した。
「サンキュー」
国境からヒッチハイクで車に乗せてもらった有吉弘行と森脇和成が、20㎞北、深センの駅前で降ろしてもらったのは夕方に近い時刻だった。
「どうしよう、マジで」
(有吉)
「今日、一晩こして、とりあえず明日、深センから離れよう」
(森脇)
駅前で野宿の準備をしていると中国の人が集まってきて話しかけられたが、
「わかんない」
どうすることもなくとまどっていると
『日本人?』
と日本語で話しかけられた。
「日本人です」
『こんなところいたら危ないですよ』
「危ないですか、ここ?」
「僕ら、ここで野宿しようと思ってるんですけど」
『えっ?!
絶対に危ないッスよ』
その日本人の男性は、猿岩石があまりお金が使えないことを知ると一緒に安いホテルを探してくれた。
そしてフロントと交渉し、1泊1人60元(720円)に値切ってくれた。
猿岩石は男性に感謝して別れたが、通された部屋はなんと10人くらいの相部屋でみず知らずの男たちと一緒に寝た。
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中国の正式国名は「中華人民共和国」
人口は、14億人以上で世界最大。
国土の広さは、ロシア、カナダ、アメリカ合衆国に続いて4位。
それでも日本の約26倍もあって、首都である北京市の大きさは四国に匹敵。
北京市の中心には天安門広場があり、毛沢東の肖像画が掲げられた天安門やかつて皇族が生活した宮殿の紫禁城、日本の国会議事堂にあたる人民大会堂などがある。
猿岩石が訪れる7年前、この天安門広場で大事件があった。

Man vs. tank in Tiananmen square (1989)

1989年6月4日、民主化を求める学生や市民が終結。
警察と軍が、それを包囲して撤退するよう説得したが、数で優るデモ隊は動こうとしない。
やがて中国政府は戒厳令を発動。
突如、発砲し始めた軍隊にデモ隊は抵抗。
軍から数名の死者、デモ隊側から数百人が死亡者と多数が逮捕者が出たといわれている。
翌6月5日、天安門に続く大通りを戦車が縦1列になって走行していると、その先頭車両の前に1人の男が飛び出してきて、行く手を阻んだ。
戦車は何度も回避しようとしたが、、その度に男は前に回り込んで前進を阻止。
心配した数名の男(私服警官という説もある)によって、男は現場から引き離されて群衆の中に消えた。
この様子は外国の記者に撮影され、映像は世界に配信された。
人々は男を
「無名の反逆者」
「中国の自由の象徴」
と称えた。
一連の騒動は、絶対的だった中国共産党に民衆の抵抗を示した画期的な事件として扱われた。
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しかし中国では報道が規制され、多くの中国の人は事件のことを知らなかった。
中国政府は、男についても情報を秘匿。
公式の場で海外メディアから
「あの男はどうなったのか?」
と聞かれても、1990年には
「死んではいないと思うが・・・」
2019年には
「把握していない」
「いえることは、あの政治騒動について中華人民共和国政府はすでに明確な結論を出したということだけだ」
と明確に答えない。
そのため
「その場にたまたま居合わせた普通の若者」
「刑務所の中にいる」
「すぐに処刑された」
「出所して台湾で暮らしている」
など様々な情報や憶測が飛び交ったが、男が誰なのか未だ不明。
ただ「Tank Man」と呼ばれている。
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中国の存在感は大きい。
日本では、インスタント麺のテレビCMで使われたフレーズ
「中国4千年の歴史」
が有名だが、決してそれは大袈裟ではない。
世界最古の文明の1つ、「黄河文明」に始まる中国は、永らくアジアの中心的存在で日本も多くの影響を受けた先進国だった。
しかし1840年のイギリスにアヘン戦争で負けると、莫大な賠償金と香港を奪われた上、欧米諸国と不平等条約を結ばされるという屈辱を味わった。
こうして一時、植民地となった中国だが、数十年後には改革開放路線を打ち出し、人類史上初のスピードと規模で発展。
1980年、3030億ドルだった名目GDPは、2021年には17兆4580億ドルと、40年間で50倍以上。
核拡散防止条約で核兵器の保有を認められた5つの公式核保有国の1つになるなど軍備も増強。
2021年の中国の国防予算は2073億ドルでアジアでは最大、世界ではアメリカ合衆国に次ぐ2位。
経済、軍事、共に大国となった中国は、日本の尖閣諸島周辺を含め、東シナ海や南シナ海でも強引な活動を行い、他国を侵略し領土を拡大しようとしている。
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猿岩石は、旅7日目となる4月19日、相部屋を出てヒッチハイクを始めようとしたが、ホテルの外は暴風雨。
入り口の前の屋根の下で雨宿りしていると、中国人男性が近づいてきて、たどたどしい日本語で
『私の家に日本の友達((がいる)』
といった。
「これは行ってみる価値あるぞ」
と2人は男性についていった。
そして家に入ると
『(友達は)明日、来る。
今日は泊っていきなさい』
といわれ、喜んで案内された部屋に荷物を置いた途端、
『300元です』
と要求された。
「ノーマネー」
と断ったが、向こうも粘り、最終的に2人で150元(1840円)まで値切れたので宿泊することにした。
「今日だけゆっくりして明日から・・・
山下さんに会って情報、手に入れて」
寝る前、有吉は森脇にいった。
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9日目、4月20日、結局、山下さんは現れず、道端で
「広州」
と書いた紙を掲げてヒッチハイク開始。
車が停まり、男性ドライバーが降りてきた。
『広州、行きたいの?』
「広州」
「OK?」
『いいよ』
非常に気前がよかったが、
「無銭」
と書いてみせると
『金ないのか!』
と怒って去っていった。
その後も車は時々停まってくれるが「無銭」をみせると去っていかれて、森脇は
「急変するな、しかし」
2時間が経過した頃、男性が現れた。
『広州まで行くんですか?』
「はい、広州」
「OK』
うなずいて歩き出す男性に、
「なんかOKらしいぞ」
「何がOKなんだよ?」
といいながらも、とりあえずついていくことに。
すると着いたのは駅だった。
男性はお金を差し出し、電車で行けといって去っていった。
「いい人だ」
130元(1560円)の臨時収入を得たものの、運賃を払って乗り物に乗るとルール違反になるので、道に戻った。
さらに3時間が経過したが車は捕まらず、時刻は19時。
「いいよ、もう」
とあきらめた。
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結局2人は3日間、深センから動けず、車なら1時間、高速鉄道なら30分の広州に着いたのは、香港をスタートしてから12日目。
深センと広州は、共に多く集まる大都市だったが、少し個性が違っていた。
広い中国では多くの民族がいて、両都市には少なくとも56民族、56種類の言語(方言)が存在していたが、深センは急速に成長した新しい都市で、住民に特別な帰属意識はなく、他の文化も
受け止め取り込んでしまう寛容さがあった。
一方、広州は、紀元前214年頃から1000年以上の歴史と独自の文化を持ち、広州に生まれ育った人も多かった。
そんな古都で猿岩石は、西方向に向かう長距離トラックを狙った。
森脇は紙に、有吉はTシャツに目的地である
「南庁」
と大きく書いたが、それでも4日間、カーハントできなかった。
「僕ら英語が出来ないんで、笑顔しかないんですよ。
それなのに笑顔がないんですよ、中国人、まったく」
(有吉)
「全然,もう、返ってこないですね。
笑顔が」
(森脇)
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「ヤバいなあ」
広州の道端で絶望してへたり込んで頭を抱える2人に、同行スタッフは
「ギブアップする?」
有吉は、
「いや、しません。
頑張ります」
「やめてもいいんだよ」
「いや頑張ります」
有吉はそう答えながら、心の中では森脇がギブアップするのを期待していた。
しかし森脇もあきらめず、2人は重い腰を上げてヒッチハイク再開.
2時間後、サングラスをかけた男が現れ
『こっち来て』
という。
ついていくとトラックの荷台を扉を開いて『どうぞ』とジェスチャー。
「南宁?」
『そうだよ』
「やったー」
しかし荷台に乗るとたくさんの蛇が入った四角いカゴが数個あり、蛇を輸送中のトラックであることが判明。
「蛇と一緒かよ」
「怖いよ」
しかしついにヒッチハイクに成功し
「広州、さらば」
「イエーイ」
と荷台の中で2人はバンザイ。
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