猿岩石 1996年4月13日香港出発    6日目 中国突入
2023年2月20日 更新

猿岩石 1996年4月13日香港出発 6日目 中国突入

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。野宿、絶食当たり前、あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠をこえる「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。

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南宁までは600㎞の長旅だったが、街を出ると驚くほど悪路が続いた。
「スッゲーな、おい!
なんだこりゃ?
スッゲえ揺れるよ」
(有吉)
「痛ッー、ケツ痛いね」
(森脇)
「中国が道が悪すぎる」
(有吉)
「中国、道くらいちゃんとつくれ」
(森脇)
ちなみに2人は、このヒッチハイク旅で座席に乗せてもらえることもあったが、圧倒的に多かったのはトラックの荷台だった。
そこで数時間過ごすわけだが、最長記録は21時間。
最初は痛くて仕方なかったが、いつの間にかケツが鍛えられ、慣れてしまった。
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18時、暗くなると寒さが襲ってきた。
21時、完全に闇になると森脇は
「ヘビ逃げてもわかんないもん、これ。
大丈夫かな。
出てこないかな」
とカゴにライトを当ててチェック。
蛇の恐怖、振動、寒さで寝ることができない。
4月20日、朝5時、トラックは広州を出てから13時間走り通しだったが、猿岩石も一睡もできないまま夜が明けた。
10時、荷台に乗って19時間後、トラックは600km離れた南寧に到着。
「シェイシェイ」
とお礼をいって降車。
「着いたなあ!
何時間たった、車?」
「19時間くらい?
「あー長すぎるよ」
「メシも食えなかったっしょ」
「メシなんて、もう40時間くらい食ってないよ」
一睡もできなかった2人は食堂へ入った。
番組から渡された旅の予算は10万円。

食費 24000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 2000円

と合計85500円を使っており、残りは14500円だった。
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16日目、2人は国境手前20㎞の位置にある凭詳という街までやってきた。
目指すはベトナム入国。
朝8時、
「越南(かんなん、漢字でベトナムという意味)」
と書いた紙を掲げヒッチハイク開始。
すると30分後、トラクターが停まってくれた。
「OK?」
と聞くと運転手はうなずいてくれたので荷台に乗り込んだ。
そして荷台の上に立って
「サヨナラ、中国」
(森脇)
「アリガトウ、中国」
(有吉)
と手を振った。
1時間後、トラクターが国境に到着。
まず中国出入国事務所で出国の手続き。
続いて隣の建物、ベトナム出入国事務所で入国手続き。
そして検問所へ向かい、パスポートをみせて、大陸ならでは、日本では絶対にあり得ない陸路国境越えを行った。
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徒歩で3ヵ国目、ベトナムに入国した猿岩石は、
「よし、やった」
とガッツポーズ。
車がいなかったので、とりあえず1番近い街に向かって、そのまま歩くことにした。
ベトナムは、中国と同じ社会主義共和国。
南北に細長い国土は、北に中国、西にラオス、カンボジア、東に南シナ海に面し、その広さは32万9241km²で日本(37万8000 km²)より少し小さい。
人口も、約1億人で日本(1億2500万人)より少し少ない。
首都のハノイやホーチミンなどの都市部は急激に経済成長したが、電気や水道がない発展から取り残された地域も多数あった。
しかしそういった地域では素朴で親切な人が多いという。
車どころか人すら歩いていない道をひたすら歩いて3時間。
やっと道を行く人が出てきて、猿岩石は道端に建つ家から声をかけられた。
有吉はコップで飲むしぐさをしながら
「コレッ?マジか」
どうやら飲み物がもらえそうな雰囲気。
ノドがカッラカラの猿岩石は
「売店だったら怒るぞ」
といいながら少し上のほうに建っている家に向かって坂道を歩き出した。
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家にはたくさんの人が集まっていて
「コーラがある、コーラ」
と喜んで家の中に入って、荷物を置いて座らせてもらうとコップを差し出された。
「水?」
森脇は、それを飲むと思わず吐き出してしまった。
それは水ではなくお酒。
しかもアルコール度70%の地酒。
有吉はそれを一気に飲み干し
「うまいねえー」
といってコップを返し、おかわりを要求。
「ウワッ、コレ、キツい」
と顔をしかめる森脇を
「なにやってんだ、オイ」
とにらみ、2杯目も一気飲みし、おかわり。
3杯目も一気に飲んで、空けたコップを下に向けて
「ウエーイ」
と雄たけび。
その後も
「もっと酒持って来いよ」
「楽しいじゃんよ」
と調子に乗って飲みまくる有吉。
森脇は
「コイツ、いつもそうだよ」
「何で普通に酔えるんだよ」
「行きつけの飲み屋じゃねえんだぞ」
と小声でツッコんだ。
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1時間後、やっと席を立った有吉は
「また来るよ」
「よし、帰るぞ」
といって家を出て
「あはははは、楽しいなあ」
と笑いながら歩いた。
「どこが楽しいんだよ」
冷たい目でみている森脇。
「なんかもうねえ、なんかもうねえ、ワァー」
有吉は、通りすがりの人や自転車に乗った女性と握手。
道ですれ違った老女には
「OK、最高」
と同郷のスター、矢沢永吉風にいいながら握手、そしてハグ。
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そんな超ゴキゲンだった有吉だったが、しばらくするとなぜか急にグチグチとグチり始めた。
「どうすんだよー、帰ってよおー。
自分の家ねえんだぜぇ。
東京にいったって自分の家ねえの恥ずかしいよ。
金払わねえからだろ、お前がよお」
実際、有吉は東京で家賃が払えずに追い出された後、事務所の先輩、ノンキーズの山崎晋の部屋に居候していた。
「俺、払ってるよ」
ちゃんと家賃を払って自分の部屋がある森脇が答えると
「払ってねえよ。
俺が払ってねえんだよ」
「どっちだよ」
森脇が冷たく返すと有吉は急に泣き始め、
「ごめん。
また迷惑かけたよ、俺よぉー」
オロオロとしながら森脇にスリ寄っていった。
「そんなに迷惑かけてないって」
「いつも迷惑かけてるよぉー
だってさあぁー」
「いいよ!」
路上で2人のカラミは続いた。
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国境から7時間、25kmを徒歩で移動し、やっと街がみえてきた。
「あれが街か」
森脇がいうと、アルコールが抜け、体の力も抜けてゾンビのように歩く有吉は
「ふぁ?」
と返事。
「みえたぞ」
「がんばる」
「みえるか、あの街が」
「はい」
しかし死にそうな顔で歩いていた有吉は、街の手前でダウン。
白目をむいて死人のような顔で道端で眠る有吉に人々が集まってきて取り囲んだ。
時間は17時。
森脇は苦笑いするしかなかった。
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21日目、5月3日、、ハノイに到着。
漢字で「河内」と書くハノイは首都であり、ベトナム第2の都市。
第1の都市、ホーチミンが経済の中心なのに対し、ハノイは政治・文化の中心。
美味しいベトナム料理や果物、スイーツ、安くて可愛いベトナム雑貨や陶器などが素朴なスタイルで売られていた。
しかしそんなおシャレな観光とは無縁の猿岩石は、すぐにラオス領事館へいき
「アイ・ワン・トゥー・ビザ。
トゥー・ラオス」
とビザを申請。
すると
『1人、36ドルです』
といわれ
「はい?!」
と日本語で驚いた。
なんと2人で7800円。
昨日までに旅の予算10万円から、

食費 29000円
宿泊 38000円
ビザ 21500円
地図 3000円

と合計91500円を使い、残金は8500円。
ラオスのビザ代を払うと700円になってしまった。
しかも
『今日は金曜日ですから、月曜日に取りに来てください』
とビザ発行は3日後といわれてしまい、森脇は
「あ~」
といって床に膝をつき、有吉も
「もう何も食えないよ」
と呆然となった。
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領事館を出た2人は歩きながら相談。
「いよいよだな」
「どうしよう」
「水とるか、メシとるかだな」
「水だろう」
結局、断食&野宿でビザの発行を待つことを決めた。
そして公園に移動。
「腹減った」
「昨日の昼から何も食ってねえから、もう」
といいながら芝生の上にリュックを置いて、それを枕に寝転んだ。
すると頭上、数mをカゴを担いだ行商の女性が通過。
カゴの中にはフルーツ。
「何か買おうよ」
森脇の誘惑を有吉は黙殺。
動けば腹が減る。
腹が減っても金はない。
少しでも体力を温存するため、ジッと時間が過ぎるのを待った。
夕方になると雨が降り出し、屋根のある駐輪場に移動し、そのまま1泊。
翌日、雨はやんだが、何もせずに空腹を忘れるためにひたすら寝て、2日目の夜も静かにふけていった。
3日目は、雲1つない晴天。
ギラギラと照りつける太陽の下、1日中、寝た。
一見、楽だが、実はジッと耐えていた。
「助けてー。
1 腹減った
2 水をくれ
3 かゆい
4 泣きたい
5 恐るべし「進め電波少年」
(森脇)
「オバさんを襲うか、万引きするか」
(有吉)
いけないことも頭によぎらせながら断食&野宿3連泊。
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