いまをときめく有吉弘行さん、若き日に電波少年で猿岩石としてブレイクした時代も魅力的でした!
2016年5月13日 更新

いまをときめく有吉弘行さん、若き日に電波少年で猿岩石としてブレイクした時代も魅力的でした!

「猿岩石」一発屋芸人のポジションから華麗に復活し、いまや押しも押されぬ一流芸人として大人気の有吉弘行さん。若き日の電波少年での活躍も大好きでした。そんな有吉弘行さんの猿岩石時代のブレイクと再ブレイクについて、振り返りましょう。

23,143 view

猿岩石時代の有吉弘行

「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」で一躍ブレイク

猿岩石時代の有吉弘行

猿岩石時代の有吉弘行

当時コンビを組んでいた森脇和成と。
有吉 弘行(ありよし ひろいき、1974年5月31日 )は、日本のお笑いタレント。広島県安芸郡熊野町中溝出身。
身長172cm、体重62kg。太田プロダクション所属。名前の読みは「ひろゆき」ではなく、「ひろいき」である。
広島の実家は古くから熊野筆を製造する工場を経営。

ツイッターも大人気です

「有吉弘行」略歴

1996年、猿岩石として大ブレイク

1994年、お笑いコンビ猿岩石を結成し、猿岩石のボケ担当としてデビュー。
1996年に『進め!電波少年』でのヒッチハイクの旅企画で話題となりブレイク。
帰国後、CDや著書が爆発的に売れることに。

「お笑い」としては泣かず飛ばず、ブーム後は7、8年の低迷期に

「お笑い」で結果を残すことができず、ほどなくして人気は低迷し仕事が激減。
本人によれば「天狗」になっており、あまり人に好かれていなかったようだと言う。
そのためブームが去るとその後の転落速度は相当なものであったという。

それから7・8年間、広島のローカル局での出演以外は仕事がなく、経済的に自活することもできずに食事などは上島竜兵らの世話になっていた。

再デビューのつもりで臨んだ「内P(内村プロデュース)」

2004年、ピン芸人として活動開始。
このころから、『内村プロデュース』に度々出演するようになり、これが久方ぶりの全国ネット番組への出演となり、復活へのきっかけとなった。
有吉によれば、自身の復活は「内Pのおかげ」であり、「内Pで再デビュー」と言った気持ちでもあったという。
なお、内P出演時は基本的にリアクション芸、基本的に裸、であった(そのために、体力も錬成しダイエットも行ったと言う)。
内Pで再出発したころの有吉弘行

内Pで再出発したころの有吉弘行

「おしゃべりクソ野郎」を契機に毒舌芸人に

2007年、『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』で発生した「おしゃクソ事変」が話題を呼ぶ。
これは2007年8月23日放送回で、品川庄司の品川祐に対し世間が持っているイメージを「おしゃべりクソ野郎」と表現し、これが爆笑を呼んだと言うもの。
このコメントは同番組の年間流行語大賞となり、有吉本人も「久々に爆笑と言う感覚を味わった」と言う。
この後有吉はあだ名、毒舌芸人として人気を得ることとなる。
再ブレイクのきっかけ「おしゃべりクソ野郎」(→品川祐)

再ブレイクのきっかけ「おしゃべりクソ野郎」(→品川祐)

via http://blog.livedoor.jp/k_sfv8539/archives/51252966.html

再ブレイク後は着実にポジションを固め、いまや押しも押されぬ一流芸人に

その後順調に仕事は増え、2011年にはメディアの調査・分析を行うニホンモニターの調査による「2011年テレビ番組出演本数ランキング」において、出演総本数499本で1位となった。
2013年時点でテレビのレギュラー番組15本、そのうち8本が有吉の冠番組となっている。特に、2013年だけで5本のレギュラー番組が増え、そのうち4本が冠番組を占めるなど、2013年は仕事の幅を広げた。
なお有吉が2010年に述懐したところによれば、決して自分から「再ブレイク」などと言って反感を買うようなことはせず、できるだけ目立たず、名誉より金、と言うことである。
42 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

猿岩石 ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅。29日目、タイ入国、ちょっとズルしたミャンマー、情熱の国インド、そしてネパールへ

猿岩石 ユーラシア大陸横断ヒッチハイク旅。29日目、タイ入国、ちょっとズルしたミャンマー、情熱の国インド、そしてネパールへ

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。野宿、絶食当たり前、あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠をこえる「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。
RAOH | 1,295 view
猿岩石 1996年4月13日香港出発    6日目 中国突入

猿岩石 1996年4月13日香港出発 6日目 中国突入

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、イギリス。野宿、絶食当たり前、あるときは山を登り、あるときは川を渡り、あるときは砂漠をこえる「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。
RAOH | 971 view
猿岩石 決して白い雲のように生きていなかった有吉弘行 &フラッとついていった森脇和成

猿岩石 決して白い雲のように生きていなかった有吉弘行 &フラッとついていった森脇和成

広島で生まれた有吉弘行は、高校卒業直前にテレビの規格に応募し、オール巨人の弟子になった。数ヵ月間、数々の失敗を繰り返した上、兄弟子を殴って謹慎処分に。処分中、無断で広島に帰り、同級生の森脇和成を誘って上京し、太田プロ入り。あるときはヒマラマ山脈を登り、あるときはガンジス川を渡り、あるときはゴビ砂漠を超える旅に出るのであった。
RAOH | 5,448 view
猿岩石のヒッチハイク旅  名曲「旅人よ」誕生!!インド脱出!!!

猿岩石のヒッチハイク旅 名曲「旅人よ」誕生!!インド脱出!!!

アジアは、香港、中国、ベトナム、ラオス、タイ、ミャンマー、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ。ヨーロッパは、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、フランス、そしてゴールの大英帝国、イギリスまで。野宿、絶食が当たり前の「香港-ロンドン ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」旅。
RAOH | 1,971 view
「有吉弘行」再ブレイクの踏み台?あだ名をつけられた有名人辞典!【総勢300名以上】

「有吉弘行」再ブレイクの踏み台?あだ名をつけられた有名人辞典!【総勢300名以上】

再ブレイクの代表格といえば有吉さんですが、きっかけとなったのは即興であだ名をつける芸でしたよね。そこで有吉さんにあだ名をつけられてしまった(?)有名人のみなさんを一挙まとめてみました。300名超いますので50音順で並べてみました。
青春の握り拳 | 384,140 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト