メカドックの次原隆二さんとコブラのジョージ高野さん!
2018年1月10日 更新

メカドックの次原隆二さんとコブラのジョージ高野さん!

メカドックの次原隆二さんとコブラのジョージ高野さんが同級生って知ってましたか?ずいぶん前の話ですが次原さんに突然言われたんです。「ナカガーくん、ジョージ高野って知ってる?」もちろんプロレスファンのボクが知らないわけないです。「実は同級生なんだ!」「え~っ!」ちょっとビックリしました。

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同級生

次原さんのサイン

次原さんのサイン

これはその場で描いたものですが、以前友人に頼まれて頼んだ時などお持ち帰りで描いてきてくれた時のクオリティの高さは脱帽ものです!
いつの時だったか全然覚えてないのですが、突然次原さんにジョージ高野選手と同級生だって教えてもらったのでした。ゆっくり話したような気がするので何かの手伝いに入った時だったと思います。

元々僕がプロレスファンだという事を知っていたからかもしれませんが、ある日突然そんな話になったのでした。

ジョージ高野…当時はSWS(メガネスーパープロレスリング)に所属していたころでしょうか?

雑誌の取材の関係か何かで次原さんのTEL番号を教わったジョージ高野選手が突然電話をかけてきたそうです。

「もしもし高野ですけど覚えていますか?」
「もしかしてジョージ?」なんていう会話をしたと言ってました。

次原さんはクルマ…F1などは当然詳しく、後は年代的にプロ野球もかなり好きで詳しいのですが
(元々巨人ファンだったのがまだ日本にいたころのイチローの取材でオリックスのキャンプに
行ってからオリックスファンになったって言ってました)プロレスはあまり興味なくほとんど見ないので、当時のジョージ高野選手と話してもなかなか話は弾まずちょっとした昔話で終わってしまったそうです。

「何ですかそれ!」…プロレスファンのボクから見たらなんともったいない!いくらでも聞きたいことはあるのに…なんて思いました!その時は…

でもそんな簡単に話なんてできるものじゃないんですね。

というのは…

不運の覆面レスラー「ザ・コブラ」

ザ・コブラとメカドック・ダブルエックス

ザ・コブラとメカドック・ダブルエックス

せっかく電話をもらったのですからこんなコラボをしてくれたら…なんて思っちゃうのはボクがプロレスファンだからですね(笑)
ほとんど使わなかったコーナーからの飛び回し蹴り「スコードロンサンダーって呼んでくれ!」っていうインタビュー記事がカッコよかったです。(でもほとんど使わなかったですけど)
1983年の初代タイガーマスク佐山聡の突然の引退を受けてその後釜としてか謎の覆面レスラー「ザ・コブラと」して凱旋帰国したものの、タイガーマスクの後釜ということもあって妙にハードルが高くなってしまったのか成功とは言えなかったのです。

ですが、そのスラっとした体躯などボクは結構好きだったんです。
週プロか何かのオマケだったのですがコブラの等身大のポスター(デカい!)なんて持っていたくらいです。

マスクを脱いだ後は素顔のジョージ高野としてスーパーストロングマシーンと組んでの「烈風隊」など脚光を浴びた時期もありました。

その後新日本プロレスの中心が闘魂三銃士にシフトしていったのをうけて新日を離脱、部屋別制度をとっていたSWSで弟の高野拳磁らとともに「パライストラ」という部屋を起こしたのですがSWSは解散、1992年に弟の高野拳磁とともにPWC(レスリングクルセイダース)を旗揚げするものの弟との仲たがいからかすぐに離脱…

その後95年に北海道でFSW(ファイティングスピリットレスリング)という団体を起こすのですがその間に数年の空白期間があります。

で、その頃の話なんですが…

そこにジョージが!

ふと見ると目の前にジョージ高野が!

ふと見ると目の前にジョージ高野が!

背が高くスラっとして(いた)ジョージ高野!
足も長いせいか座っていると大きく見えず全然目立たなくて、こちらを見るまで全然気が付きませんでした。
カッコ良かったです!
プロレスファンとはいっても雑誌や本を買いあさって会場に試合を見に行く(最近はご無沙汰ですが)程度で、追っかけとかしているわけではありませんから何かの機会で取材でも入らない限りプロレスラーと会う事なんてありません。

ところがある日…ちょうどそのSWS、PWCから北海道FSR旗揚げまでの空白期間だったと思うのですが…ジョージ高野選手に会ったのでした。

場所は近所のパチンコ屋さん、パチンコ屋の通路って結構狭くて反対側から人が来た時に十分にすれ違う余裕がないところが多くその近所のパチンコ屋さんでもそんな感じでした。

反対側から人が来た時にやりすごそうと開いていた席のところにはいったんです。
その時その隣でパチンコを打ってた人が僕の方を振り向きました。ジョージ高野選手!その人でした。

数秒間目が合って…次原さんにジョージ高野選手の話を聞いたとき、ボクだったらいくらでも話を…なんて思っていたのでしたが一声もでませんでした。

でもじっと顔を見ていて視線を外せなかったので僕が高野選手を知っているという事は伝わったと思います。

結局一声も発せられないまま反対側から来た人が通り過ぎて行ったのでその場を離れました。

何だよ、全然話しかけられないじゃないですか!
(パチンコ屋ですし話しかけられたら迷惑だったかもしれないですね)

今何をやってるのか、これからどうするのか、次原さんの事も含めて話したいことはたくさんあったのですが一言も…そんなものですね(笑)

ここでしか読めない!ナカガー書き下ろしの「時空探偵マツ・de・DX」はコチラから

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