「人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアント」 その桁外れの破壊力!
2017年1月2日 更新

「人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアント」 その桁外れの破壊力!

身長2m23cm 体重230kg 伝説の最強巨人レスラー、アンドレ・ザ・ジャイアント。今や伝説となった大巨人!

28,102 view

人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアント

アンドレ・ザ・ジャイアント(André the Giant、本名:André René Roussimoff、1946年5月19日 - 1993年1月27日)は、フランス・グルノーブル出身のプロレスラー。

公式プロフィールでは身長が7フィート4インチ(約223cm)、体重が520ポンド(約236kg)とされ、北米では "The 8th Wonder of the World"(世界8番目の不思議)、日本では「大巨人」などの異名で呼ばれていました。

圧倒的な体格もさることながら、アームロックなどのレスリングテクニックでも観客を惹きつけることができる巨人レスラーとして、世界各地で活躍したレスラーです。
223cmの大巨人「アンドレ・ザ・ジャイアント」

223cmの大巨人「アンドレ・ザ・ジャイアント」

ガチで戦ったら最強、の呼び声が高かったですよね。

初来日は国際プロレス。「モンスター・ロシモフ」時代。

モンスター・ロシモフ時代

モンスター・ロシモフ時代

初来日は1970年、国際プロレスに「モンスター・ロシモフ」のリングネームで来日しました。
この頃はまだ線が細く、カール・ゴッチに投げられたりサンダー杉山のヒップドロップの餌食になっていたりしていたのですが、フィニッシュホールドとしてここ一番の時に使用していたツームストン・パイルドライバー等巨体のアドバンテージを生かしたいくつかの技には、この当時から危険な香りを漂わせていたようです。
残念ながらツームストン・パイルドライバーは、ターザン・タイラーを頸椎損傷に追い込んだアクシデントの後、自ら封印してしまいましたが、この頃から170キロ前後の体重が200キロ以上にまで増え、いよいよ敵うものが居なくなってきます。
そしてWWFを経て1974年に新日本プロレスに主戦場を移したあたりから、怪物レスラーとして本領を発揮することになります。
アントニオ猪木でもフォール出来ない最強のライバルとして、70~80年代の日本マットで「無冠の帝王」の名を欲しいままにしてきたのです。

アンドレVSハンセン 伝説の田園コロシアム決戦!

NJPW Stan Hansen vs. Andre The Giant 1of2

得意技はヒッププッシュ、ヒップドロップ、そして230kgの全体重で相手を押しつぶすジャイアント・プレス。
また、自分の体重を巧みに使ったレスリングテクニックの上手さは特筆するべきものであり、他の巨漢レスラーにないものでした。
対猪木、対ホーガン等名勝負も多いアンドレですが、その中でも伝説の名勝負と称されたのが、この1981年に東京田園コロシアムで行われた対スタン・ハンセン戦。
このド迫力のスーパーバトル、戦った両者にとってもベストバウトの呼び声の高い試合です。
またこの年にはレネ・グレイとのタッグで「第2回MSGタッグリーグ戦」に優勝しています。
このタッグリーグ、コーナーでフランス語で小声で指示を飛ばすレネ・グレイのコントロールで、ほとんどハンディキャップマッチと呼べる無類の強さを発揮し、大本命の猪木、藤波組を破って堂々の優勝を飾っています。
ちなみに、このレネ・グレイという人、かつてはカール・ゴッチのパートナーとしてWWWFタッグチャンピオンにもなった実力者らしいのですが、「アンドレに指示を飛ばす謎のフランス人」といった風体で妙な存在感を放っていたことも記憶に残っております。

ジャイアント・マシーン

戦慄の殺戮ユニット!!ストロング・ マシーンズ ~お前平田だとう!~

アンドレに関する珍?エピソードとして外すわけに行かないのが「ジャイアント・マシーン」への変身でしょう。
将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」の新メンバーとしてマスクド・スーパースターの変身であるスーパー・マシーンと共に登場したジャイアント・マシーン。
結果的に1シリーズだけの企画に終わりましたが、この世界最大のマスクマンは大当たり!
アンドレ自身もノリノリで、後にWWFマットで再登場するという予想外のサプライズを生みました。

謎のシュートマッチ。疑惑の前田戦。

前田日明 vs アンドレ ザ ジャイアント② - YouTube

前田日明 vs アンドレ ザ ジャイアント③ - YouTube

そして、アンドレを巡る逸話と言えば1986.4.29津市体育館での「前田VSアンドレ」戦に触れないわけには行かないでしょう。
何の前触れも無く、突如地方試合で組まれたこのカード。
当初から「アンドレは前田にセメントを仕掛けるつもりだ」という噂が選手の間に流れるなど、不穏な空気が流れておりました。
それでも、試合当初は普通のプロレスをしていたのですが、アンドレはロープの反動を使って突進してきた前田に対し、”セメントモード”で容赦なくエルボーを顔面に叩き込んだり、己の全体重(約236kg)を浴びせて、前田をガブり、前田を「コ」の字状の、極めて窮屈な体勢を強いらせるなど明らかにプロレスの枠を超えた攻撃を浴びせかけるのです。
その後も全圧力をかけ、前田の背後からフルネルソンで絞り上げるなど、前田危機一髪の状況が続きます。
並みのレスラーならこの時点で簡単にギブアップするのですが、身体が人一倍柔軟な前田は、何とかこれを耐え忍びます。
その後も一進一退の展開が続きますが、不穏な試合に決着をつけるべく前田が遂に反撃に出ます。
腕ひしぎ十字固めやアキレス腱固めは、思ったほどの効果を上げられなかったものの、当時まだ正式名称のなかったヒール・ホールドでアンドレの左膝を破壊。
これにはさすがにアンドレも、グラウンドからスタンディングに移行した後、かすかに左足をかばい出しました。
やがて前田は、リングサイドで見ていた星野勘太郎に「本当に(セメントを)やっちゃっていいんですか?」と一応の確認をした後、覚悟を決め、重いローキックや、膝の皿にブチ込むセメント仕様の関節蹴りを多用、ついにアンドレを戦闘不能に陥れます。
そしてノー・コンテストの裁定が下った後、大の字で戦意喪失の大巨人アンドレに対し前田が問い詰めます。

それに対しアンドレは、
「This is not my business.」

俺のしわざじゃない、と手を広げて弁明したのです。

日本プロレス史上に残る謎の試合は、こうして幕を閉じました。
黒幕は猪木説、坂口説など様々な憶測が飛びましたが、真相は未だに明らかにされておりません。
また、アンドレにとってもこの試合がターニングポイントとなりました。
セメントで前田を仕留められず、逆に試合放棄に追い込まれるという失態を見せたことで「アンドレ最強伝説」に初めて陰りが見えた試合となったのでした。

そして最後に全日本プロレスへ。馬場との大巨人タッグ結成!

全日本プロレス 1990年 世界最強タッグ決定リーグ戦 ジャイアント馬場&アンドレ・ザ・ジャイアント vs ザ・ランドオブ・ジャイアンツ - YouTube

その後、猪木からギブアップを奪われた1986年のIWGPを最後にWWFマットに専念する形で新日マットからフェードアウト。
そしてWWFをお払い箱になった1990年、アンドレが最後の戦い場所に選んだのが、なんと!ジャイアント馬場率いる全日本プロレスでした。
1990年4月13日に東京ドームで開催された日米レスリングサミットにて久々に日本マットに登場し、ジャイアント馬場と大巨人コンビを結成。同年9月30日、馬場のデビュー30周年記念試合でタッグながら初対決してからは全日本プロレスへ主戦場を移し、1990年、1991年と世界最強タッグ決定リーグ戦には馬場との大巨人コンビで出場し、1991年には準優勝しています。
しかしコンディションはどんどん悪化して行き、やがて馬場や木村のファミリー軍団に加わり、悪役商会との明るく楽しいプロレスが中心となって行きました。
この当時のアンドレは、馬場とコンビを組んでいたこともあって、新日本時代とは異なり完全なベビーフェイスとなり。全日本登場第1戦から出番のたびに大アンドレ・コールを浴びせられる人気者として迎えられていました。
29 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

プロレスを愛する人々にとって贔屓のプロレスラーの入場ほど気持ちが高揚する瞬間はありません。アントニオ猪木、ジャイアント馬場から始まる数々の名レスラー達、その入場時には自らとファンのボルテージが一気に高まる入場テーマ曲を用意して試合に臨んでいました。そんな興奮を味わいたくて会場に足を運んだ人も多いのではないでしょうか。80~90年代の名レスラー達とともに振り返ってみましょう。
青春の握り拳 | 435,186 view
【カッキーライド2018開催!】「世界一性格の悪い男」鈴木みのるとの対戦が決定した垣原賢人選手を独占インタビュー!

【カッキーライド2018開催!】「世界一性格の悪い男」鈴木みのるとの対戦が決定した垣原賢人選手を独占インタビュー!

悪性リンパ腫と闘いながらもレスラーとして戦う垣原賢人。去年「生きろ」のテーマで開催されたカッキーライド。今回のテーマは「集え!Uインター魂」。カッキーライドを開催する垣原賢人選手に意気込みと試合への思いを伺ってきました。
プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その2外国人ヘビー級編

プロレス総選挙2017順位結果発表!&マツド・デラックス的プロレス総選挙!その2外国人ヘビー級編

WBCの延長で放送時間がゴールデンから一気に深夜番組となってしまった「プロレス総選挙2017」!!こんな結果だったと言うお知らせとマツド・デラックス的にあたしの独断でそれぞれの部門のベスト10を作ってみたわ!これはひとそれぞれ好きな人が違うから皆にも投稿してもらいたいわよ!今回は、前回の「日本人ヘビー級レスラー」に続く「外国人ヘビー級レスラー」よ!!
「Uに捧げた青春! 悪性リンパ腫と戦うレスラー 垣原 賢人」

「Uに捧げた青春! 悪性リンパ腫と戦うレスラー 垣原 賢人」

1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本のプロレス界・格闘技界を華麗に席巻した伝説の団体「UWF(ユニバーサル・レスリング連盟)」 そんなUWF所属選手たちの強烈な個性から芽吹いた若き天才レスラー「垣原 賢人」。 華々しくスポットを浴びた栄光と影が入り混じる格闘人生を振り返る。
taketake | 7,040 view
意外な経歴、海外でも活躍 異色の「お遍路レスラー」新崎人生

意外な経歴、海外でも活躍 異色の「お遍路レスラー」新崎人生

白装束に身を包み、鋼の肉体から独創的な技を繰り出す異色のレスラー、新崎人生をご存じでしょうか。小さなインディー団体からキャリアをスタートさせ、メジャー団体にも上がり、海外のファンをも魅了した「お遍路レスラー」の足跡をご紹介します。
augusta wen | 14,192 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト