オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト・ライヴ」に文句を言えるヤツなどいない。
2016年10月13日 更新

オールマン・ブラザーズ・バンドの「フィルモア・イースト・ライヴ」に文句を言えるヤツなどいない。

「フィルモア・イースト・ライヴ」は、オールマン・ブラザーズ・バンドの代表作にしてライブアルバムの金字塔です。1曲目は4分17秒と若干演奏時間が長めなのですが、実はアルバムの中ではこれが一番短い曲です。そして最後の曲に至っては23分3秒にも及びます。長い。とても長いのですが聴き始めると退屈するどころかあっという間に終わってしまう感じです。もっと長くてもいい、そんな気にさせるオールマン・ブラザーズ・バンドをお勧めします。

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デュアン・オールマンのスライドギターがうなると同時に、聴く者はサザンロックの熱い世界に引き込まれる。
自由にうねるスカイドックのスライドは誰にも真似ができない。
ツインドラムの生み出すリズムは、コンボイのように力強いかと思うと、時に早瀬のようになめらかに、また大河のように滔々と流れる。
熱い中にどこかクールさを秘めたグレッグ・オールマンのヴォーカルとオルガンは、バンドに独特のリズムとカラーを与えている。

The Allman Brothers Band - Statesboro Blues

ステイツボロ・ブルース
神がかりといってもいいほど素晴らしすぎる「フィルモア・イースト・ライヴ 」ですが、その成功から間もない1971年10月29日に、なんとデュアン・オールマンがオートバイ事故を起こし、僅か24歳という若さで他界してしまいます。

Eat A Peach

デュアン・オールマンの突然の死により制作途中であったスタジオ録音の新曲6曲に、1971年のライブ音源を収録した変則的な内容で1972年に発売されたのが「イート・ア・ピーチ」です。

アルバムタイトルはデュアン・オールマンがインタビューで「平和(Peace)のために何をしている?」と聞かれ「桃(peach)を食べている」と答えたことに由来しています。
イート・ア・ピーチ

イート・ア・ピーチ

1972年リリース

【収録曲】
1.時はもう無駄に出来ない
2.レ・ブレル・イン・Aマイナー
3.メリサ
4.マウンテン・ジャム
5.ワン・ウェイ・アウト
6.トラブル・ノー・モア
7.スタンド・バック
8.ブルー・スカイ
9.リトル・マーサ
バンド屈指の名ギタリスト、デュアン・オールマンの死後初めて出たアルバムです。
しかし没後とはいえ、デュアンが最後に残した演奏の数々が詰まっており、オールマンのスライドギターも十分に堪能できるようになっています。
ハイライトはなんといっても、世紀の名演、マウンテンジャムでしょう!これはエリザベスリードに次ぐ、いやそれ以上の名セッションと言っても他言はありません。30分という長さにもかかわらず流れるように一気に聴けてしまう。ここでも最高にデュアンのスライドギターが冴えるんですよね〜。

The Allman Brothers Band - Mountain Jam (Love Valley Festival, July 17, 1970)

マウンテン・ジャム
後任のギタリストを補充することなく、「イート・ア・ピーチ」は、ディッキー・ベッツが中心となって完成させています。
このことにより、以後、ディッキー・ベッツが新たなバンドのリーダーを務めるようになります。
Dickey Betts

Dickey Betts

出生名:Forrest Richard Betts
別名:Dickey
生誕:1943年12月12日
出身地:アメリカ合衆国フロリダ州ウェストパームビーチ
担当楽器:ギター、ボーカル、ドブロ・ギター
しかし、新たな悲劇がオールマン・ブラザーズ・バンドを襲います。
本作の発売から1年も経たない1972年11月11日に、デュアン・オールマンの事故現場から僅か3ブロックしか離れていないところでベリー・オークリーもオートバイ事故を起こし他界してしまったのです。

Brothers And Sisters

ベリー・オークリーがオートバイの事故で亡くなったのは、1973年に発売されたアルバム「ブラザーズ&シスターズ」のレコーディングの最中でした。
立て続けに起こった悲劇ですが、しかし、「ブラザーズ&シスターズ」は充実作であり全米初の1位を獲得するという大成功を収めています。
シングル・カットされた「ランブリン・マン」は全米2位、「ジェシカ」が65位とシングルでも好結果を残しています。
ブラザーズ&シスターズ

ブラザーズ&シスターズ

1973年リリース

【収録曲】
1.むなしい言葉
2.ランブリン・マン
3.カム・アンド・ゴー・ブルース
4.ジェリー・ジェリー
5.サウスバウンド
6.ジェシカ
7.ポニー・ボーイ
デュエイン・オールマンに続いて、ベリー・オークリーをこのアルバム録音中に失うという悲劇を乗り越え、バンドとしてのキャリアの頂点を極めたアルバム。
前作「EAT A PEACH」に片鱗の見えたディッキー・ベッツのカントリー色が表面に出て、ヒットナンバーの「RAMBLIN' MAN」を産み出す。
一方グレッグ・オールマンは「COME AND GO BLUES」でレイドバックしたヴォーカルを聞かせる。
アルバムのハイライトはインスト・ナンバーの「JESSICA」だ。

The Allman Brothers Band - Ramblin' Man - 11/2/1972 - Hofstra University (Official)

ランブリン・マン
この後、オールマン・ブラザーズ・バンドは1975年にアルバム「ウィン、ルーズ・オア・ドロウ」を発売します。セールスこそ全米5位となりゴールドディスクに輝いていますが、このレコーディング中に全メンバーがスタジオに揃うことが殆どなかったというほど人間関係はこじれていました。
結局、翌1976年にオールマン・ブラザーズ・バンドは解散してしまいます。

なんともあっけない幕切れとなってしまいましたが、オールマン・ブラザーズ・バンドがライブで聴かせてくれたインタープレイの素晴らしさは永遠に輝きを失うことはないでしょう。
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