キューティーハニー(テレビ朝日)
1973年から1974年にかけて、テレビ朝日系列で土曜20時30分から放送されていた「キューティーハニー」。前述の「キカイダー」の後に放送されており、こちらの放送枠も子供向けに特化する戦略をとっていました。「キューティーハニー」以外にも、1972年から1973年にかけて「デビルマン」が放送されるなどしています。
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暴れん坊将軍(テレビ朝日)
1978年から2002年にかけてテレビ朝日系列で放送された「暴れん坊将軍」。当初は土曜20時から放送されていました。子供向けに特化したアニメ・特撮で一定の成果を上げていたテレビ朝日でしたが、次第に「全員集合」から子供の視聴者を奪うことが出来なくなり、ファミリー向けの時代劇に転換を図ることを決定。「将軍・徳川吉宗が江戸市中で大立ち回りを演じる」という斬新な設定の「暴れん坊将軍」が誕生しました。スタート時の視聴率は一桁だったものの、次第に人気を獲得し翌1979年には視聴率15%を超える成績を残しています。
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お笑いオンステージ(NHK総合)
1972年から1982年にかけてNHK総合で放送されていた「お笑いオンステージ」。三波伸介、中村メイコが司会を務めたスタジオ公開型バラエティで、当初は土曜20時からの放送でしたが「お笑い」というテーマが重なる「全員集合」には勝てず、1973年には日曜19時20分からの放送に移動を余儀なくされています。
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刑事コロンボ(NHK総合)
1972年から1979年にかけてNHK総合で放送されていた海外ドラマ「刑事コロンボ」。1974年から「全員集合」と被る時間帯に不定期で放送するようになり、「うちのカミさんがね」の名台詞は昭和の海外ドラマを象徴する台詞となりました。「全員集合」とは全く趣向の異なる作品であり、視聴者層が被らなかったためか大ヒットを記録しています。
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国際プロレスアワー(東京12チャンネル)
東京12チャンネルで放送されていたプロレス中継番組「プロレスアワー」。1980年から1981年にかけて、「国際プロレスアワー」のタイトルで土曜20時から放送されていました。第2次ダイナマイト・シリーズを放送するなどしていましたが、視聴率は前述の「ピーマン白書」と最下位争いを繰り広げるほどの低調ぶりであり、この枠での放送は20回で打ち切りに。これが引き金となり、国際プロレスは崩壊へと向かっていくこととなりました。
@kcskamekiti カメ吉さんこんばんは、お元気でしょうか。『国際プロレスアワー』の時間です。 pic.twitter.com/owttqYlAVx
— 高田誠 (@711makoto1) October 20, 2017
全員集合の独り勝ちを止めた「オレたちひょうきん族」
今回ご紹介した番組以外にも、多数の番組が「土曜20時枠」に挑戦しては散っていく結果となりました。そんな「全員集合」一強状態に変化が訪れたのは1981年のこと。それはフジテレビ系列で同年10月から放送が開始された「オレたちひょうきん族」の存在です。
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ビートたけし、明石家さんまなど、人気のお笑い芸人が多数出演した「オレたちひょうきん族」。当初は「全員集合」の視聴率には遠く及ばなかったものの、ドリフメンバーのギャンブル関連の不祥事や、志村けんの人形の首をギロチンで落として抗議が殺到した「ギロチン事件」といった「全員集合」側のマイナス要素が重なり、徐々に人気を獲得。1984年には、ついに視聴率で「全員集合」を上回ることとなりました。その後、「全員集合」が「ひょうきん族」の後塵を拝する状況が続いた1985年10月、「全員集合」は番組改編を機にその歴史に幕を下ろすこととなったのです。
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(^欽^)(@ドリフ@)(😎タモリ)(^吉本^) 2023/6/25 18:49
自分が初診は昭和最後のころの大学の精神科のお医者さんに診察で「民放バラエティーにあわせなければみんな気分を害す」といわれました
📺cx tbs 2021/7/27 20:00
妹とのばかなやりとりで
兄「土曜よるは・・・?
はちじ・・・(<_>;)」妹「ザンゲ、タケチャンマン!」と突っ込まれタジタジ・・・