歌を聴くだけで広がるイメージ
『世界名作劇場』という呼び名で親しまれ、スポンサーやアニメ制作会社が変わっても、日曜日の夜7時半にアニメで世界の児童文学に触れた時間枠では、数々の名作アニメが生まれてきました。
幼い頃に見て、まだ家庭用録画機が一般的に普及されていなかった時代、再放送がなければ、一回しか見ることがなかった時代は、あまりにも幼い時に見た作品の内容は覚えてなくても、カセットテープで買ったアニメ主題歌の中にあった主題歌を何度も聞いて覚えていた人も多いのではないかなって思います。
幼い頃に見て、まだ家庭用録画機が一般的に普及されていなかった時代、再放送がなければ、一回しか見ることがなかった時代は、あまりにも幼い時に見た作品の内容は覚えてなくても、カセットテープで買ったアニメ主題歌の中にあった主題歌を何度も聞いて覚えていた人も多いのではないかなって思います。
『世界名作劇場』の枠は1969年虫プロ制作の手塚治虫先生原作の『どろろ』のアニメから始まるカルピス一社提供の『カルピスまんが劇場』と呼ばれるアニメ枠が元になっています。
同じ枠のアニメでも、『どろろ』は『世界名作劇場』には数えません。
では、どの作品から数えるかというと、人や時代によって変化しているようです。
『どろろ』の後番組で始まった1969年10月からの放送の『ムーミン』(企画ズイヨー映像、制作東京ムービー26話まで、27話から虫プロ)から名作劇場と数えたりする人もいるようですが、一番多いのは1974年の『アルプスの少女ハイジ』(ズイヨー映像制作)を『世界名作劇場』の1作目と数える人が多いようです。
でも、1975年の『フランダースの犬』以降にこの枠を最後まで制作した日本アニメーションの公式では、地上波で放送された作品は1975年以降の『フランダースの犬』から1996年の『家なき子レミ』までの23作品と2007年にBSフジで放送された『レ・ミゼラブル少女コゼット』、2008年『ポルフィの長い旅』2009年の『こんにちはアン』の3作品、計26作品を『世界名作劇場』としています。
ちなみに、正式に『世界名作劇場』という名前が使われたのは、1979年の『赤毛のアン』からになります。
1986年の『愛少女ポリアンナ物語』からは、スポンサーのハウス食品の名前が『世界名作劇場』の前につき、1994年の唯一のオリジナル作品『七つの海のティコ』の9話まで、『ハウス食品世界名作劇場』という名称が続いた後、『世界名作劇場』に名称が戻りました。
同じ枠のアニメでも、『どろろ』は『世界名作劇場』には数えません。
では、どの作品から数えるかというと、人や時代によって変化しているようです。
『どろろ』の後番組で始まった1969年10月からの放送の『ムーミン』(企画ズイヨー映像、制作東京ムービー26話まで、27話から虫プロ)から名作劇場と数えたりする人もいるようですが、一番多いのは1974年の『アルプスの少女ハイジ』(ズイヨー映像制作)を『世界名作劇場』の1作目と数える人が多いようです。
でも、1975年の『フランダースの犬』以降にこの枠を最後まで制作した日本アニメーションの公式では、地上波で放送された作品は1975年以降の『フランダースの犬』から1996年の『家なき子レミ』までの23作品と2007年にBSフジで放送された『レ・ミゼラブル少女コゼット』、2008年『ポルフィの長い旅』2009年の『こんにちはアン』の3作品、計26作品を『世界名作劇場』としています。
ちなみに、正式に『世界名作劇場』という名前が使われたのは、1979年の『赤毛のアン』からになります。
1986年の『愛少女ポリアンナ物語』からは、スポンサーのハウス食品の名前が『世界名作劇場』の前につき、1994年の唯一のオリジナル作品『七つの海のティコ』の9話まで、『ハウス食品世界名作劇場』という名称が続いた後、『世界名作劇場』に名称が戻りました。
アンの持つ想像力への誘い
私の記憶で一番古い本放送で見た記憶のある作品は1978年の3歳~4歳の時に見た『ペリーヌ物語』ですが、話の内容、主題歌、終わりの歌をはっきりと映像で覚えているのが1979年の『赤毛のアン』です。
『赤毛のアン』は小学校に上がって子ども向けに翻訳された児童書で読みましたが、この時にアニメ『赤毛のアン』がかなり原作に忠実だったと感じました。空想好きで、何気ない風景をメルヘンの世界にしてしまうアンの持つ想像力、それは既に主題歌の歌詞から漂っていました。
『赤毛のアン』は小学校に上がって子ども向けに翻訳された児童書で読みましたが、この時にアニメ『赤毛のアン』がかなり原作に忠実だったと感じました。空想好きで、何気ない風景をメルヘンの世界にしてしまうアンの持つ想像力、それは既に主題歌の歌詞から漂っていました。
きこえるかしら ひずめのおと
問いかける言葉から始まる出だし、馬車に立ってのって道を走っていくアンの姿。その後に続く
ゆるやかな丘をぬって かけてくる馬車
とつながり映像のアンと馬車が駆けていく森の木々のトンネルの風景、空へと跳んでいくアンと馬車、移り行く四季、雪景色と歌詞と映像の相乗効果で作品への期待が高まります。
『赤毛のアン』の主題歌のタイトルは『きこえるかしら』作詞者は岸田衿子さんです。題名と歌詞を読む、聞くとアンが空想、想像した世界、その世界から生み出されてくる音が、あなたの耳に届いていますか?と問いかけている感じがします。
『赤毛のアン』の主題歌のタイトルは『きこえるかしら』作詞者は岸田衿子さんです。題名と歌詞を読む、聞くとアンが空想、想像した世界、その世界から生み出されてくる音が、あなたの耳に届いていますか?と問いかけている感じがします。
少し横道にそれて私事で恐縮ですが、私の家庭教師の先生は、『赤毛のアン』の世界を理解出来ないと言っていました。
多分、アンのもつ空想壁、つまらない日常を楽しくする想像力についていけなかったのかと思います。
つまり、主題歌を作詞された岸田衿子先生は、そんなアンのなんでもない風景、日常を楽しく考える空想、想像する力を主題歌に思いを寄せて、問いかける形で『きこえるかしら』を作詞されたのではないか?と思うのです。
これは、全く私個人の想像に過ぎないのですけれども。また、『赤毛のアン』の終わりの歌『さめない夢』もアンの世界を大事にされた作詞だと思います。
多分、アンのもつ空想壁、つまらない日常を楽しくする想像力についていけなかったのかと思います。
つまり、主題歌を作詞された岸田衿子先生は、そんなアンのなんでもない風景、日常を楽しく考える空想、想像する力を主題歌に思いを寄せて、問いかける形で『きこえるかしら』を作詞されたのではないか?と思うのです。
これは、全く私個人の想像に過ぎないのですけれども。また、『赤毛のアン』の終わりの歌『さめない夢』もアンの世界を大事にされた作詞だと思います。
はしっても はしっても
おわらない 花の波
みずうみは遠く
もえるくもはもっと遠く
花の中で 一日は終る
さめない夢みたいに
さめない夢みたいに
歌に物語があり、それが難しくない言葉で作品のイメージが広がっていく『赤毛のアン』の歌詞。それは、岸田衿子さんが『赤毛のアン』の世界を熟知されていて、また言葉を多く知っていたからだと思います。
岸田衿子さんについて
via ja.wikipedia.org
岸田衿子さんは、詩人であり、童話作家、絵本作家でもあり、翻訳家でもありました。
父親は劇作家岸田國士(きしだ くにお)先生、従弟に俳優の岸田森さん(きしだ しん)がいます。
岸田森さんは、私と同じ世代の方には『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)の嵐山長官役を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
または、『怪奇大作戦』(1968年)の牧さん、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)坂田さんシルバー仮面』(1972年)の津山博士、『傷だらけの天使』(1974年)の辰巳を思い浮かべる人も多いと思います。
岸田衿子さんの1歳年下の妹は女優の岸田今日子さん。
岸田今日子もさんもた『傷だらけの天使』に綾部役で出演されていましたが、1969年と1972年の『ムーミン』で主役のムーミンを演じたことでも有名です。
父親、妹、従弟と有名なすごい人達が並びますが、岸田衿子先生自身も素晴らしい功績を残されています。
幼児、児童向けの童話、絵本を数多く発表し、中でも1966年に発表された絵本『かばくん』が有名です。
海外の児童文学の翻訳も数多く手がけています。
その翻訳された海外の児童文学の中に『赤毛のアン』がありました。
父親は劇作家岸田國士(きしだ くにお)先生、従弟に俳優の岸田森さん(きしだ しん)がいます。
岸田森さんは、私と同じ世代の方には『太陽戦隊サンバルカン』(1981年)の嵐山長官役を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
または、『怪奇大作戦』(1968年)の牧さん、『帰ってきたウルトラマン』(1971年)坂田さんシルバー仮面』(1972年)の津山博士、『傷だらけの天使』(1974年)の辰巳を思い浮かべる人も多いと思います。
岸田衿子さんの1歳年下の妹は女優の岸田今日子さん。
岸田今日子もさんもた『傷だらけの天使』に綾部役で出演されていましたが、1969年と1972年の『ムーミン』で主役のムーミンを演じたことでも有名です。
父親、妹、従弟と有名なすごい人達が並びますが、岸田衿子先生自身も素晴らしい功績を残されています。
幼児、児童向けの童話、絵本を数多く発表し、中でも1966年に発表された絵本『かばくん』が有名です。
海外の児童文学の翻訳も数多く手がけています。
その翻訳された海外の児童文学の中に『赤毛のアン』がありました。
via www.amazon.co.jp
1979年のアニメ『赤毛のアン』が参考にした翻訳本は神山妙子先生の訳の本ですが、岸田衿子先生も1969年4月に学習研究社(学研)から『少年少女世界名作全集9』で『赤毛のアン』の翻訳本を出されています。
つまり、少なくともアニメ『赤毛のアン』の作詞をされる10年前には、『赤毛のアン』の世界を充分熟知されていたわけです。
だからこそ、アンの飛躍すする豊かな想像力の世界に入り込める入り口になるオープニング主題歌の歌の出だしを問いかけの形から始めたのだと思うのです。
つまり、少なくともアニメ『赤毛のアン』の作詞をされる10年前には、『赤毛のアン』の世界を充分熟知されていたわけです。
だからこそ、アンの飛躍すする豊かな想像力の世界に入り込める入り口になるオープニング主題歌の歌の出だしを問いかけの形から始めたのだと思うのです。
via www.amazon.co.jp
赤毛のアン―フォトロマン | モンゴメリー, 西川 治, 岸田 衿子 |本 | 通販 | Amazon
¥
赤毛のアン―フォトロマン 単行本 – 1982/8
モンゴメリー (原著), 西川 治 (写真), 岸田 衿子 (翻訳)
モンゴメリー (原著), 西川 治 (写真), 岸田 衿子 (翻訳)
【声】:山田栄子、槐柳二、北原文枝、高島雅羅、井上和彦 ほか
制作年
1979年初放送
話数
全50話