もう一度見たい!山本陽一伝説とは?
1984年9月29日に大阪梅田コマ劇場で行われた『ヤング歌謡大賞'84新人グランプリ』
司会者は、桂三枝、片平なぎさ。「山本陽一伝説」は優秀新人賞の発表中に起こった。
優秀新人賞の一人「山本ゆかり」さんの名前がよばれた時に、同じ「山本」姓の山本陽一が自分が呼ばれたと思い前に出てしまった。司会の片平なぎささんに「山本ゆかりさんですよ。」と言われ間違いに気づいた。
司会者は、桂三枝、片平なぎさ。「山本陽一伝説」は優秀新人賞の発表中に起こった。
優秀新人賞の一人「山本ゆかり」さんの名前がよばれた時に、同じ「山本」姓の山本陽一が自分が呼ばれたと思い前に出てしまった。司会の片平なぎささんに「山本ゆかりさんですよ。」と言われ間違いに気づいた。
ちなみにこの年の最優秀新人賞は岡田有希子さん、「恋、はじめまして」を歌い受賞した。岡田さんは2年後の1986年4月8日に東京四谷にある所属事務所「サンミュージック」のビル屋上から飛び降り亡くなっている。18歳没。
季節はずれの海岸物語 1990 暑かった夏
『季節はずれの海岸物語』シリーズの主題歌は松任谷由実の「DESTINY」。
で流れる「ユーミン」の歌と国道134号にあるトンネルを抜けると材木座海岸の風景が広がるシーンが印象的で、青春の思い出とともにそんな時代を今も憶えている方も多くいると思う。
で流れる「ユーミン」の歌と国道134号にあるトンネルを抜けると材木座海岸の風景が広がるシーンが印象的で、青春の思い出とともにそんな時代を今も憶えている方も多くいると思う。
『季節はずれの海岸物語』は海岸沿にある喫茶店「QUE」(キュー)のマスター圭介(片岡鶴太郎)を中心に隣人理恵(渡辺美奈代)や店を手伝う女友達の徳子(可愛かずみ)の恋を描いている。冬や夏などの季節折々の海を舞台にしたトレンディードラマでもある。
また、圭介の恋の相手として毎回違うマドンナが登場、森尾由美、松田聖子、樋口可南子、石田ゆり子、西田ひかる、石野真子、鈴木保奈美、美保純などが出演している。
また、圭介の恋の相手として毎回違うマドンナが登場、森尾由美、松田聖子、樋口可南子、石田ゆり子、西田ひかる、石野真子、鈴木保奈美、美保純などが出演している。
1990年10月11日 季節はずれの海岸物語 1990 暑かった夏 あの夏のDestiny NO 1
1988年から1994年にかけてフジテレビ系列で放送されたテレビドラマ『季節はずれの海岸物語』シリーズの1990年1月に放送された『季節はずれの海岸物語 '90冬』以降に放送された全話に山本陽一は山本幸一の役名で出演している。
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他の出演者は、古尾谷雅人、杉本哲太、田代まさし、ダチョウ倶楽部の寺門ジモン。
出演者の古尾谷雅人さんは 2003年3月25日に東京都文京区の自宅で首つり自殺を図る。45歳没。可愛かずみさんは1997年5月9日に当時交際していた、ヤクルトに在籍する野球選手の川崎憲次郎が住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降りた。32歳没。
出演者のうち二人が自殺をして亡くなっていることもあり、『季節はずれの海岸物語』はDVD化もされていない、事情により公開されない「封印作品」になっている。
出演者の古尾谷雅人さんは 2003年3月25日に東京都文京区の自宅で首つり自殺を図る。45歳没。可愛かずみさんは1997年5月9日に当時交際していた、ヤクルトに在籍する野球選手の川崎憲次郎が住んでいた目黒区駒場のマンション7階から飛び降りた。32歳没。
出演者のうち二人が自殺をして亡くなっていることもあり、『季節はずれの海岸物語』はDVD化もされていない、事情により公開されない「封印作品」になっている。
山本陽一と森尾由美が共演した森永製菓のCM
山本陽一の結婚・引退の理由、病気
2006年に山本陽一は14歳年下の一般女性と結婚している。
娘も授かっている。
娘も授かっている。
2009年8月、40の時に劇症型心筋炎となり北里大学病院に緊急入院した。
山本陽一はウイルスにより心筋の70%が破壊され、5日間昏睡状態に陥る。ICUで治療を受け一命はとりとめたものの心臓の機能が以前の30%までに低下した。
山本陽一はウイルスにより心筋の70%が破壊され、5日間昏睡状態に陥る。ICUで治療を受け一命はとりとめたものの心臓の機能が以前の30%までに低下した。
元アイドルは40歳で失業、離婚を経験する
元アイドル・トレンディー俳優として活躍した元アイドルの山本陽一は40歳で芸能界の仕事を失い無職になる。職探しのためにスーパーや弁当屋、居酒屋のアルバイトの面接を受けても仕事は見つからなかった。
先輩の紹介で、解体現場の作業員として働き始めるが、その会社が倒産。また、無職になる。
2012年に山本陽一は離婚した。子供は妻が引き取った。
2013年、44歳の時に大阪の実家の父親の機械部品会社で働きはじめる。
2012年に山本陽一は離婚した。子供は妻が引き取った。
2013年、44歳の時に大阪の実家の父親の機械部品会社で働きはじめる。
山本陽一は家賃4万円の6畳のアパートに住む。お昼は200円程度の激安弁当やおにぎり、飲み物は家で作ったお茶を持参し節約をしながら、別れて暮らす子供に養育費を仕送りした。