プロレスラー三沢光晴。全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子
2018年1月12日 更新

プロレスラー三沢光晴。全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子

1990年代にスタンハンセンやジャンボ鶴田と数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した三沢光晴。数々の難敵を撃破した魂のエルボー、ヘビー級離れした華麗な跳躍力、どんな技も真正面から受け立ち上がる不屈のスピリット。黙して語らない男の美学に私たちは酔いしれました。後にプロレスリング・ノアを設立してプロレス界の頂点に君臨した三沢。2009年に急逝したものの、彼の栄光が色褪せることはありません。

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2代目タイガーマスク、超世代軍の旗手、全日本プロレスのエース、全日本プロレス社長を経てのプロレスリング・ノア立上げ。

常に先頭に立って闘い続けるプロレスラー、そして背中で語る男でした。

エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

みっさ~わ!みっさ~わ!!

後楽園ホールで、武道館で、東京ドームで。
私は声を枯らして三沢光晴を応援していました。
エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

ヘビー級ながら並外れた身体能力で、持ち技には華麗な技が多かった三沢。
一撃必殺のエルボーは彼の代名詞でもあり、またその受け身の凄さでいくつもの死闘を制し、名試合を生み出すこととなった。
三沢 光晴(みさわ みつはる、本名は三澤 光晴、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、日本のプロレスラー。1981年に全日本プロレスにてデビュー。
同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同団体を牽引。
2009年6月13日、試合中リング禍により死去、46歳没。

三沢が魅せる至高のプロレス

プロレスには名勝負と呼ばれス試合が数多くある。
猪木vsホーガン、馬場vsレイス、藤波vs長州、鶴田vs天龍、ハンセンvsアンドレ、ブッチャーvsテリー、前田vsニールセン、武藤vs高田、川田vs健介、橋本vs小川、棚橋vsオカダ、
その中でも最高の名勝負は三沢VS小橋。
30分を越える死闘、派手で華麗な技の数々、見る者を魅了する
垂直落下技、カウント2,9の攻防、三沢VS小橋を語ろう。
数々の死闘の中でも、ともに死を賭して闘っていた「VS小橋建太」が至高のプロレスと呼んでよいと思います。
プロレスはガチか八百長か、とかいった議論はどうでもよく、互いに鍛え上げた心身を技と技の応酬でぶつけ合うものだと、そんな絶大な信頼感を持って三沢のファイトに酔いしれたものです。

大激闘! 2003年ベストバウト 三沢光晴 vs 小橋建太 他 - YouTube

永遠の黄金カード「三沢対小橋」
NOAHとなってからの二人の至高の戦い、小橋が勝った試合だが壮絶すぎる試合が後々までの語り草に。

三沢 vs 小橋 1998.10.31 三冠戦 - YouTube

解説席に座っていたジャイアント馬場が三沢、小橋二人の戦いの壮絶さに涙した試合。

「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

プロレスだけでなく実業においても多くのレスラー、従業員を抱えて常に重責と向き合う人生だった三沢光晴。

そんな「背負っていた」男の美学があります。
「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

ジャイアント馬場亡き全日本プロレスを、社長として引っぱった三沢。
全日本プロレス社長を退任して、小規模ながら自分の理想とするプロレスを追いかけようとするも、全日本プロレス所属のほとんどのレスラーが彼を慕ってついてくる事態に。

想像するだけでも恐ろしいほどのコストを立上げ当初からやり繰りするのは、もはやレスラーとしてでなく男としての覚悟なくして成し得なかったでしょう。
圧倒的なリング上での壮絶ファイトの一方、プロレスラーや格闘家に見られる矯激な発言や挑発的な言葉とは一切無縁。黙して語らなかった三沢には男の美学がありました。

高校時代から三沢を追い続けた男、川田利明

黙して語らず、常に最高のプロレスを魅せた三沢が、唯一感情的な試合をしたとされるのは永遠の後輩、川田利明との試合だったといいます。
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