プロレスラー三沢光晴。全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子
2020年11月9日 更新

プロレスラー三沢光晴。全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子

1990年代にスタンハンセンやジャンボ鶴田と数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した三沢光晴。数々の難敵を撃破した魂のエルボー、ヘビー級離れした華麗な跳躍力、どんな技も真正面から受け立ち上がる不屈のスピリット。黙して語らない男の美学に私たちは酔いしれました。後にプロレスリング・ノアを設立してプロレス界の頂点に君臨した三沢。2009年に急逝したものの、彼の栄光が色褪せることはありません。

28,283 view
2代目タイガーマスク、超世代軍の旗手、全日本プロレスのエース、全日本プロレス社長を経てのプロレスリング・ノア立上げ。

常に先頭に立って闘い続けるプロレスラー、そして背中で語る男でした。

エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

みっさ~わ!みっさ~わ!!

後楽園ホールで、武道館で、東京ドームで。
私は声を枯らして三沢光晴を応援していました。
エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

エルボーの貴公子、プロレスラー三沢光晴

ヘビー級ながら並外れた身体能力で、持ち技には華麗な技が多かった三沢。
一撃必殺のエルボーは彼の代名詞でもあり、またその受け身の凄さでいくつもの死闘を制し、名試合を生み出すこととなった。
三沢 光晴(みさわ みつはる、本名は三澤 光晴、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は、日本のプロレスラー。1981年に全日本プロレスにてデビュー。
同団体のトップレスラーとして活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同団体を牽引。
2009年6月13日、試合中リング禍により死去、46歳没。
全日本プロレス 3冠ベルトレプリカ 3種セット

全日本プロレス 3冠ベルトレプリカ 3種セット

三沢光晴も巻いた三冠ベルトがあなたの手に!
三冠ベルトはこちらの画像リンクから購入できます!

三沢が魅せる至高のプロレス

プロレスには名勝負と呼ばれス試合が数多くある。
猪木vsホーガン、馬場vsレイス、藤波vs長州、鶴田vs天龍、ハンセンvsアンドレ、ブッチャーvsテリー、前田vsニールセン、武藤vs高田、川田vs健介、橋本vs小川、棚橋vsオカダ、
その中でも最高の名勝負は三沢VS小橋。
30分を越える死闘、派手で華麗な技の数々、見る者を魅了する
垂直落下技、カウント2,9の攻防、三沢VS小橋を語ろう。
数々の死闘の中でも、ともに死を賭して闘っていた「VS小橋建太」が至高のプロレスと呼んでよいと思います。
プロレスはガチか八百長か、とかいった議論はどうでもよく、互いに鍛え上げた心身を技と技の応酬でぶつけ合うものだと、そんな絶大な信頼感を持って三沢のファイトに酔いしれたものです。

大激闘! 2003年ベストバウト 三沢光晴 vs 小橋建太 他 - YouTube

永遠の黄金カード「三沢対小橋」
NOAHとなってからの二人の至高の戦い、小橋が勝った試合だが壮絶すぎる試合が後々までの語り草に。

三沢 vs 小橋 1998.10.31 三冠戦 - YouTube

解説席に座っていたジャイアント馬場が三沢、小橋二人の戦いの壮絶さに涙した試合。

「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

プロレスだけでなく実業においても多くのレスラー、従業員を抱えて常に重責と向き合う人生だった三沢光晴。

そんな「背負っていた」男の美学があります。
「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

「プロレスラーとして男として」三沢の魅力

ジャイアント馬場亡き全日本プロレスを、社長として引っぱった三沢。
全日本プロレス社長を退任して、小規模ながら自分の理想とするプロレスを追いかけようとするも、全日本プロレス所属のほとんどのレスラーが彼を慕ってついてくる事態に。

想像するだけでも恐ろしいほどのコストを立上げ当初からやり繰りするのは、もはやレスラーとしてでなく男としての覚悟なくして成し得なかったでしょう。
圧倒的なリング上での壮絶ファイトの一方、プロレスラーや格闘家に見られる矯激な発言や挑発的な言葉とは一切無縁。黙して語らなかった三沢には男の美学がありました。

高校時代から三沢を追い続けた男、川田利明

33 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【田上明】「ダイナミックT」もう一人の四天王、三沢亡き後のプロレスリング・ノアを支える田上明。

【田上明】「ダイナミックT」もう一人の四天王、三沢亡き後のプロレスリング・ノアを支える田上明。

1990年代に全日本プロレスでジャンボ鶴田のパートナーとして超世代軍と数々の激闘を繰り広げ、後に川田利明と聖鬼軍を結成して全日本プロレス四天王に君臨した田上明。恵まれた体格を生かしたダイナミックな動きから「ダイナミックT」と称されました。三沢光晴がプロレスリング・ノアを設立した際はともに行動し、2009年三沢急逝の後は2代目社長として活躍しています。
青春の握り拳 | 13,326 view
【小橋建太】「ミスタープロレス」まさにプロレス一途に駈け抜けた男!「プロレスの鉄人」とも称された青春の握り拳、小橋建太!!

【小橋建太】「ミスタープロレス」まさにプロレス一途に駈け抜けた男!「プロレスの鉄人」とも称された青春の握り拳、小橋建太!!

1990年代に大型外人レスラーと数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した小橋建太。バカがつくほど真面目にプロレス一筋な彼は、いつしか「ミスタープロレス」「鉄人」と称されるようになりました。多くのプロレスラーやアスリートが尊敬するプロレスラー小橋建太の剛腕ラリアットやマシンガンチョップは日々の尋常でない練習量の賜物。青春の握り拳は見る者に勇気を与えてくれました。
青春の握り拳 | 12,075 view
【川田利明】「デンジャラスK」三沢を追い続け、選手大量離脱後の全日本プロレスを守った男、川田利明。

【川田利明】「デンジャラスK」三沢を追い続け、選手大量離脱後の全日本プロレスを守った男、川田利明。

1990年代に全日本プロレスの異端児として数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した川田利明。妥協を嫌いリング上に緊迫した空気を作り上げる川田は「デンジャラスK」と称されました。高校時代の先輩三沢光晴を慕って全日本に入門した川田、しかし三沢がプロレスリング・ノアを設立した際には袂を分ち全日本プロレスを守りました。三沢との物語やキック主体の激しいファイトスタイルに私たちは魅了されました。
青春の握り拳 | 31,418 view
【秋山準】策士の役を買って出た秋山準、プロレスリング・ノアが一気にメジャー団体に駆け上がった影の立役者はこの人か。

【秋山準】策士の役を買って出た秋山準、プロレスリング・ノアが一気にメジャー団体に駆け上がった影の立役者はこの人か。

全日本五強⇒プロレスリング・ノアのエース⇒全日本プロレス社長へ。波乱万丈のマット界で常に自ら仕掛け行動し続ける賢者、そして「鉄人」バーニング小橋建太の永遠の盟友でもあった秋山準を追う。
青春の握り拳 | 10,677 view
天龍源一郎はジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー!プロレス界の風雲児でした!!

天龍源一郎はジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー!プロレス界の風雲児でした!!

闘志を前面に出した天龍の妥協なきファイトは見る者を熱くさせました。ジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った彼もまた伝説となることでしょう。全日本プロレス時代のジャンボ鶴田との死闘、天龍同盟は全国に熱いプロレスを届けました。どこにいっても激しいプロレスを体現する、天龍源一郎はまさにプロレス界の風雲児です。
青春の握り拳 | 18,635 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト