「料理の鉄人」開始~終了まで
ミシュランガイドなど料理界の権威へのパロディ要素を持たせた企画としてスタート
元々はフジテレビ局内で「プライムタイム枠で、従来の料理番組(レシピ紹介)のスタイルとは全く異なる新しい料理番組を作ろう」というアイデアが持ち上がり、同時期に田中経一から本番組の企画が持ち込まれたことが番組誕生のきっかけとされています。
当初はキッチンスタジアムのセットや鹿賀丈史の大袈裟な衣装など、ミシュランガイドなど既存の料理界の権威に対するパロディとしての要素を多分に含んだ企画となっていました。
当初はキッチンスタジアムのセットや鹿賀丈史の大袈裟な衣装など、ミシュランガイドなど既存の料理界の権威に対するパロディとしての要素を多分に含んだ企画となっていました。
1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぐ人気番組に
1995年には23時台の放送でありながら20%弱の平均視聴率を稼ぎゴールデンタイムの番組にも勝る結果に。
最高視聴率は、1995年3月31日に放送されたスペシャル「完全なる料理の鉄人 香港決戦」で23.2%。
同年にはATP賞グランプリを獲得したほか、海外での放映もスタートしエミー賞にもノミネートされるなど番組は絶頂期を迎えます。
当初「既存の権威のパロディ」として始まったはずの番組が、人気の高まりにつれ番組自体が権威と化し、多くの料理人が出演を希望するようになるという、番組スタッフにとっては皮肉な現象も。
最高視聴率は、1995年3月31日に放送されたスペシャル「完全なる料理の鉄人 香港決戦」で23.2%。
同年にはATP賞グランプリを獲得したほか、海外での放映もスタートしエミー賞にもノミネートされるなど番組は絶頂期を迎えます。
当初「既存の権威のパロディ」として始まったはずの番組が、人気の高まりにつれ番組自体が権威と化し、多くの料理人が出演を希望するようになるという、番組スタッフにとっては皮肉な現象も。
看板鉄人・道場六三郎の降板など
1996年の年明け早々、番組の看板の一人である和の鉄人・道場六三郎が降板。
1999年にスポンサーの日産自動車が一社提供を降板(その後は筆頭提供)し、番組の制作費がシビアとなったことや出演者のスケジュール調整が問題化。
視聴率的には以前と比較し落ち込んではいたものの二桁をキープしてきたが、1999年9月に6年にわたるレギュラー放送の終止符を打つことに。
1999年にスポンサーの日産自動車が一社提供を降板(その後は筆頭提供)し、番組の制作費がシビアとなったことや出演者のスケジュール調整が問題化。
視聴率的には以前と比較し落ち込んではいたものの二桁をキープしてきたが、1999年9月に6年にわたるレギュラー放送の終止符を打つことに。
名勝負:道場六三郎VS周富徳
それぞれの鉄人と挑戦者の間に、多くのドラマが生まれましたね。
料理の鉄人 #11 周富徳 vs 道場六三郎 テーマ:豚 - YouTube
via www.youtube.com