パトリック・エムボマ
浪速の黒豹ことエムボマ。本来の発音だとンボマが近いらしい。
カメルーン代表では10番を背負い、エトーなどを手下に大活躍。大の親日家らしい。
カメルーン代表では10番を背負い、エトーなどを手下に大活躍。大の親日家らしい。
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パトリック・エムボマ(Henri Patrick Mboma Dem, 1970年11月15日 - )は、カメルーン出身の元同国代表サッカー選手。
唇を閉じて「ンボマ」と発音するのが正しいが、フランス時代に誤って「M'boma」と綴られたため「エムボマ」と呼ばれるようになったとされる。
1997年にJリーグのガンバ大阪に移籍。圧倒的な個人能力を発揮し、28試合出場25得点の大活躍、強烈な存在感を示した。「浪速の黒豹」と呼ばれ、応援スタンドには「神様 仏様 エムボマ様」の垂れ幕が踊った。ベルマーレ平塚戦では驚異的なリフティングシュートを決めた。
(エムボマ)Jクロニクルベスト:1997ベストゴール - YouTube
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セルゲイ・アレイニコフ
覚えている人は少ないだろうが、ガンバ大阪はJリーグ当初はなぜか東欧系の外国人選手が多かった。このアレイニコフをはじめ、メトコフ、ツベイバなど。ガンバのスカウトがロシア好きだったのだろうか。。。
セルゲイ・アレイニコフ(Сергей Евгеньевич Алейников; Serguei Yevgenyevich Aleinikov、1961年11月7日-)は、ベラルーシ出身の元同国代表サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(センターハーフ)。
1989年にイタリアのユヴェントスに移籍、1989-1990シーズンにUEFAカップとコッパ・イタリアを獲得した。その後、USレッチェ、日本のガンバ大阪、スウェーデンのIKオデヴォルドを経て、イタリアのセリエDのクラブで引退した。 2014年現在、日本のJリーグでプレーした唯一のベラルーシ代表選手である。
Sergei Aleinikov in Japan (1993-1995) - YouTube
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ニーノ・ブーレ
2000年セカンドステージに加入し優勝争いに貢献した。長身の割りに足元がすごくうまかった気がする。
ニーノ・ブーレ(Nino Bule、1976年3月19日 - )は、ユーゴスラビア(現ボスニア・ヘルツェゴビナ)のカプリナ出身でクロアチア国籍の元サッカー選手。ポジションはフォワード。
8歳でヴェレジュ・モスタルに入団し、16歳の時にクロアチアへ渡る。18歳でNKザグレブでプロとしてキャリアをスタートさせ、2000年シーズン途中からJリーグのガンバ大阪に移籍。2002年、クロアチアに戻ってハイデュク・スプリトに加入。
2000/08/12 2nd 第09節 G大阪 VS 京都パープルサンガ 1点目 - YouTube
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ジョゼ・レジナウド・ビタウ
ジョゼ・レジナウド・ビタウ(José Reginaldo Vital, 1976年2月29日 - )は、ブラジル・パラナ州出身の元サッカー選手。
2000年にパラナからJリーグ・ガンバ大阪へ完全移籍。2シーズンに渡り、得点力の高い中盤の司令塔として活躍。ガンバ大阪とは2002年度の契約も結んでいたが、前年からの故障のために2002年2月に契約解除となった。
ガンバ大阪 セレッソ戦のゴール(ビタウ).mpg - YouTube
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