天龍源一郎はジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー!プロレス界の風雲児でした!!
2021年5月26日 更新

天龍源一郎はジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った唯一の日本人レスラー!プロレス界の風雲児でした!!

闘志を前面に出した天龍の妥協なきファイトは見る者を熱くさせました。ジャイアント馬場・アントニオ猪木からピンフォールを奪った彼もまた伝説となることでしょう。全日本プロレス時代のジャンボ鶴田との死闘、天龍同盟は全国に熱いプロレスを届けました。どこにいっても激しいプロレスを体現する、天龍源一郎はまさにプロレス界の風雲児です。

18,446 view
1994年1月4日の東京ドーム大会でアントニオ猪木にピンフォール勝ちを収め、これにより天龍はB(馬場)、I(猪木)の双方からピンフォール勝ちしたことのある唯一の日本人レスラーとなる。

1994年5月に、当時「邪道プロレス」と呼ばれていたFMWのマットで、大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチで対戦した。1996年10月グレート・ムタ、同年12月に高田延彦からもシングルでそれぞれ勝利。

フリー~WJプロレス

あらゆる団体に闘いの場所を求めた天龍

あらゆる団体に闘いの場所を求めた天龍

1998年2月からフリーとなり、女子プロレスラーの神取忍とも対戦。

1999年12月大阪府立体育会館で行われたタイトルマッチで武藤敬司に勝利しIWGPヘビー級王座を獲得、ベイダーに続く史上2人目の全日本・新日本国内2大メジャーシングルタイトル制覇を達成。

新日本プロレス~プロレスリング・ノア~ハッスル

全日本プロレスの遺伝子を受け継いだ「プロレスリング・ノ...

全日本プロレスの遺伝子を受け継いだ「プロレスリング・ノア」にも参戦した天龍

2005年初頭から、元全日本勢が多く所属するプロレスリング・ノアに参戦。
三沢光晴や仲田龍は三沢社長時代の全日本プロレスに参戦させようと働きかけたものの、当時は馬場元子が認めなかったとされる。ノア発足後もしばらく参戦のタイミングが合わなかったが、2004年まで主戦場としていた新日本プロレスから離脱したことでスケジュールに余裕が出来、参戦が実現した。

7月18日のプロレスリング・ノア 東京ドーム大会では元付き人の小川良成と対戦し勝利を収めた。 他にも、ノア参戦時にはKENTA、潮﨑豪など次世代のエース候補選手ともシングルで対戦。

まさに全てのプロレスラーを知り尽くした男、天龍

サンダーストーム 天龍源一郎のテーマ - YouTube

強い強い鶴田を破って三冠王座戴冠!

1989.6.5 全日本 鶴龍対決5 3冠戦 ジャンボ鶴田対天龍源一郎① - YouTube

1989.6.5 全日本 鶴龍対決5 3冠戦 ジャンボ鶴田対天龍源一郎② - YouTube

1989.6.5 全日本 鶴龍対決5 3冠戦 ジャンボ鶴田対天龍源一郎③ - YouTube

天龍が放つ強烈で多彩な持ち技の数々

53歳

独特のタイミングで落とす変形の垂直落下式ブレーンバスター。
初期はジャックハマーのように体を浴びせる別物の技であったが、徐々に現在の形へと変化。
パワーボムを使用しなくなってからは、こちらがフィニッシュ・ホールドとして使用されている。53歳は開発当時の年齢。

天龍稲妻落とし

天龍が風雲登り龍として最初にブレイクした際の決め技。ジャイアント馬場から直々に指導を受けている。

WARスペシャル

44 件

思い出を語ろう

     
  • 記事コメント
  • Facebookでコメント
  • コメントはまだありません

    コメントを書く
    ※投稿の受け付けから公開までお時間を頂く場合があります。

あなたにおすすめ

関連する記事こんな記事も人気です♪

【ジャンボ鶴田】強すぎた怪物レスラーの足跡を辿る!数々の激闘を繰り広げた完全無欠のエース!!

【ジャンボ鶴田】強すぎた怪物レスラーの足跡を辿る!数々の激闘を繰り広げた完全無欠のエース!!

1980~1990年代の日本プロレスマットで、最強の日本人レスラーと言われたジャンボ鶴田。スタン・ハンセンや天龍源一郎、三沢光晴、そして長州力らとの激闘の記憶はいまだ色褪せることはありません。全日本プロレスの完全無欠のエースと呼ばれたジャンボ鶴田、そのナチュラルな強さを足跡とともに振り返りましょう。
青春の握り拳 | 205,878 view
【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

【プロレスラー入場テーマ曲・80~90年代】まさに花道、プロレスラー達の入場テーマ曲を主なヘビー級レスラーの歴史とともに振り返る。

プロレスを愛する人々にとって贔屓のプロレスラーの入場ほど気持ちが高揚する瞬間はありません。アントニオ猪木、ジャイアント馬場から始まる数々の名レスラー達、その入場時には自らとファンのボルテージが一気に高まる入場テーマ曲を用意して試合に臨んでいました。そんな興奮を味わいたくて会場に足を運んだ人も多いのではないでしょうか。80~90年代の名レスラー達とともに振り返ってみましょう。
青春の握り拳 | 568,133 view
【川田利明】「デンジャラスK」三沢を追い続け、選手大量離脱後の全日本プロレスを守った男、川田利明。

【川田利明】「デンジャラスK」三沢を追い続け、選手大量離脱後の全日本プロレスを守った男、川田利明。

1990年代に全日本プロレスの異端児として数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した川田利明。妥協を嫌いリング上に緊迫した空気を作り上げる川田は「デンジャラスK」と称されました。高校時代の先輩三沢光晴を慕って全日本に入門した川田、しかし三沢がプロレスリング・ノアを設立した際には袂を分ち全日本プロレスを守りました。三沢との物語やキック主体の激しいファイトスタイルに私たちは魅了されました。
青春の握り拳 | 31,262 view
【小橋建太】「ミスタープロレス」まさにプロレス一途に駈け抜けた男!「プロレスの鉄人」とも称された青春の握り拳、小橋建太!!

【小橋建太】「ミスタープロレス」まさにプロレス一途に駈け抜けた男!「プロレスの鉄人」とも称された青春の握り拳、小橋建太!!

1990年代に大型外人レスラーと数々の激闘を繰り広げ、全日本プロレス四天王に君臨した小橋建太。バカがつくほど真面目にプロレス一筋な彼は、いつしか「ミスタープロレス」「鉄人」と称されるようになりました。多くのプロレスラーやアスリートが尊敬するプロレスラー小橋建太の剛腕ラリアットやマシンガンチョップは日々の尋常でない練習量の賜物。青春の握り拳は見る者に勇気を与えてくれました。
青春の握り拳 | 11,961 view
【存在自体反則】初代三冠統一ヘビー級王者ジャンボ鶴田のベストバウト

【存在自体反則】初代三冠統一ヘビー級王者ジャンボ鶴田のベストバウト

ミュンヘン五輪でレスリングのグレコローマンスタイル最重量級代表を経て、全日本プロレスへ入団。「若大将」とファンから人気を集めたジャンボ鶴田はレスリングでの実績と恵まれた体格で一躍トップレスラーへのし上がり、存在自体が反則と呼ばれるようになります。
ウラ・ヤマト | 16,946 view

この記事のキーワード

カテゴリ一覧・年代別に探す

あの頃ナウ あなたの「あの頃」を簡単検索!!「生まれた年」「検索したい年齢」を選択するだけ!
リクエスト