日本プロレス界の伝説的レスラー、初代タイガーマスク
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初代タイガーマスクであった佐山聡
佐山聡(さやま さとる)は1957年11月27日生まれ。
山口県下関市出身。
中学生(下関市立長府中学校)時代に沢村忠の影響で格闘技を志しレスリングや柔道始め、山口県立水産高等学校に入学。
高1の時点で山口県内では同階級に敵無しというくらい、アマレスの実力があったという。
だが、佐山は高校を1年で中退し、1975年7月に新日本プロレスへ入門した。
山口県下関市出身。
中学生(下関市立長府中学校)時代に沢村忠の影響で格闘技を志しレスリングや柔道始め、山口県立水産高等学校に入学。
高1の時点で山口県内では同階級に敵無しというくらい、アマレスの実力があったという。
だが、佐山は高校を1年で中退し、1975年7月に新日本プロレスへ入門した。
新日本プロレス入門時の佐山聡
「新日本に入門して握力を計ったら左が96キロ。右は計測器の針を振り切ってしまいました。106キロまでしか計れなかったので、実際の数字は分かりません。握力は新日本で1番でした。猪木さんは、とにかく驚いていましたね。」と佐山は語っている。
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身長173cm(公称)とプロレスラーとしては小柄ながら、抜群の運動神経と身体能力を誇り、柔道・レスリング・キックボクシングなど様々な格闘技を吸収し、当時における最強の格闘家とも言われている。
発掘された動画から判明した初代タイガーマスクの身体能力
初代タイガーマスクが体力測定テストを行った際の動画が残っている。
監修は日本体育大学の運動生理学・堀居昭 助教授(当時)。
監修は日本体育大学の運動生理学・堀居昭 助教授(当時)。
タイガーマスクの100m走 12秒7
体重93キロの人が12秒台で走れるのは凄いと解説されている。
ラグビーやアメフトの世界では体重100キロを超えながら10秒台のタイムを持つ選手もいるが、瞬発力より持久力が求められるプロレスラーのタイムとしてはかなり速いと考えられる。
ラグビーやアメフトの世界では体重100キロを超えながら10秒台のタイムを持つ選手もいるが、瞬発力より持久力が求められるプロレスラーのタイムとしてはかなり速いと考えられる。
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タイガーマスクの背筋力 293kg
アマレス日本代表選考の平均値230Kgであり、タイガーマスクの背筋力はそれを大幅に上回っているとのこと。
ちなみに、ゴジラ松井秀喜の背筋力は240~270kgであった。
ちなみに、ゴジラ松井秀喜の背筋力は240~270kgであった。
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タイガーマスクの垂直飛び 73cm
これは陸上の走り高跳び日本代表の平均値と同レベルであった。
ミズノスポーツ科学研究所が調べた平均値は、野球選手が65.5cm、サッカー選手が61.2cm、ラグビー選手が58.9cm、陸上短距離選手が73.2cm、一般成人(25〜34歳)が55.2cmとなっている。
ミズノスポーツ科学研究所が調べた平均値は、野球選手が65.5cm、サッカー選手が61.2cm、ラグビー選手が58.9cm、陸上短距離選手が73.2cm、一般成人(25〜34歳)が55.2cmとなっている。
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以上の結果から、タイガーマスクはスピードとパワーを兼ね備えた身体能力の持ち主であり、それは各スポーツの日本代表と比較しても遜色ないレベルであったことが判明した。
そして、私たちが当時タイガーマスクの試合を見ながら、「この人なら何のスポーツをやっても一流になれたのでは?」と思っていたことが間違いではないことが立証されたのである。
そして、私たちが当時タイガーマスクの試合を見ながら、「この人なら何のスポーツをやっても一流になれたのでは?」と思っていたことが間違いではないことが立証されたのである。
動画で見る初代タイガーマスクの体力測定
【動画】初代タイガーマスク 体力測定
山本小鉄が若い!
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この撮影時にタイガーマスクは足を怪我しており、全力ではなかったと言われている。
新日本プロレスのリングドクターであった富家孝によると、後日あらためて日本体育大学にてタイガーマスクの体力測定をおこなわせたところ、100mは11秒5、垂直跳び87cm、握力107kg、背筋力288kgであったという。
新日本プロレスのリングドクターであった富家孝によると、後日あらためて日本体育大学にてタイガーマスクの体力測定をおこなわせたところ、100mは11秒5、垂直跳び87cm、握力107kg、背筋力288kgであったという。
タイガーマスク佐山聡の身体能力を示すエピソード
タイガーマスクは、トレーニングで片手懸垂や片手腕立て伏せを数十回ずつ、さらに逆立ちプッシュアップは90回こなしたと言われている。
当時の新日本プロレスで腕相撲においてタイガーマスクと互角に渡り合えるのは、世界の荒鷲・坂口征二だけだった。
長州力は、「あとにも先にも、僕が驚かされたのは、藤波さんとタイガーマスク(佐山聡)の2人だけですよ。」と語っている。
当時のタイガーマスクの動きを見ると、その身体能力の高さが改めて実感できる。
これだけの逸材がプロレスラーとして活躍している姿をリアルタイムで見れたことに感謝感謝!
当時の新日本プロレスで腕相撲においてタイガーマスクと互角に渡り合えるのは、世界の荒鷲・坂口征二だけだった。
長州力は、「あとにも先にも、僕が驚かされたのは、藤波さんとタイガーマスク(佐山聡)の2人だけですよ。」と語っている。
当時のタイガーマスクの動きを見ると、その身体能力の高さが改めて実感できる。
これだけの逸材がプロレスラーとして活躍している姿をリアルタイムで見れたことに感謝感謝!
【ダイジェスト】初代タイガーマスク 必殺技紹介
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ジュニアヘビー級戦線で活躍、それまでのプロレスでは考えられないような空中殺法でファンを魅了し、新日本の黄金時代を築くのに貢献した。
わずか2年4か月にすぎない「タイガーマスク」としての新日本プロレスにおけるシングル通算戦績は「155勝1敗9分」。
1敗はダイナマイトキッドをフェンスアウトさせての反則負けであった。