また、LDのデジタル音声領域にCD-ROMと同様のデジタルデータを記録した「LD-ROM」も登場し、パイオニアが自社パソコンとして発売していたMSX機器との連携がなされましたが、こちらはほとんど企画倒れに終わります。
レーザーディスクの衰退
DVDの登場
出足は鈍かったものの、1998年~1999年より洋画作品をLDで数多く発売していたパイオニアLDCやソニーピクチャーズ、ワーナーホームビデオといった洋画メジャー系のコンテンツを中心に、比較的廉価な価格帯で充実したソフトを発売するようになりました。
レンタルを解禁したDVD
「PlayStation 2」でDVDは一気に普及
2000年3月には当時のDVDプレーヤーよりも安価でDVD-Videoが視聴できる家庭用ゲーム機「PlayStation 2」が発売され爆発的ヒット商品に。
DVDビデオの再生機器台数が急増し、DVDレンタルの躍進などDVDビデオソフト市場が急速に拡大することとなります。
LDからDVDへの過渡期だった1999年頃は、同一タイトルをLDとDVDで併売するスタイルがパイオニアLDCが発売元の洋画とOVAを中心に見られました。当時はバンダイビジュアルもアニメ作品を中心に併売を行っています。
2002年に、パイオニアがLDプレーヤー事業から撤退する報道があったものの、消費者からの要望があったために細々と生産・販売を継続する方針を続けました。
レーザーディスクの終焉
2007年、LDのプレスメーカーが製造ラインを廃止に
最後まで制作を続けたのはテイチクの家庭向け市販カラオケソフト(20cm LDシングル)「音多ステーション」シリーズで、2007年3月発売の三門忠司の楽曲が収録された規格番号「22DK-1018」まで、毎月4タイトル以上の新譜ソフトの発売を続けました。
そして2009年度、LDプレーヤーの販売終了が決定されました。
当時の映像ソフトはレンタル向けが中心で個人が購入する例は少なく、LDソフトの低価格化も進まないことに。
また録画ができないこともあり、普及率はビデオテープレコーダ(VTR)に遠く及ばず、ソフトの発売種と量が増える一方で、生産ラインの少なさが次第に影響し始めました。