当初は「悲劇の夫」とされていましたが…?
1981年に当時の妻がカリフォルニア州ロサンゼルスで何者かに銃撃されて意識不明の重体となる事件が発生し、自らも足を撃たれて負傷した。当初マスコミは「悲劇の夫」として三浦を扱い、アメリカ軍の協力を取り付けて妻を日本の病院に移送する際に、妻を乗せた上空のヘリコプターに対して地上から発炎筒で誘導する場面を好意的に報道していた。その後1982年11月に、妻が死亡したことで、この事件の報道は収束することになった。
しかし、1984年に『週刊文春』をはじめとするマスコミにより『保険金目当ての殺人であり、その黒幕である』との報道がなされ(いわゆる「ロス疑惑」)、また三浦自身もテレビなどのメディアに積極的に露出し(逮捕時はテレビ朝日の「独占密着取材」中であった)、ミッキー安川やジミー佐古田などと丁々発止のやりとりを行うなど、その特異なキャラクターが視聴者(読者)の興味を引いたことも相まって、ワイドショーや雑誌、全国紙など日本中のマスコミによる過熱報道が行われた。
前後して1979年から行方不明になっていたフルハムロードの元・取締役だった女性が失踪後、ロサンゼルス郊外で遺体として発見されていた事実が判明。失踪直後に三浦が本人の銀行口座から400万円もの現金を引き出していたことも判明した。
その結果、マスコミによる三浦の報道がエスカレートし、現在よりも「プライバシーの尊重」の概念が発達していなかった当時の日本のマスコミによって、三浦本人のプライバシーが著しく侵害されただけでなく、マスコミによる住居不法侵入や私信の無断開封などの行為が公然と行われていた。
銃撃事件の無罪判決
過剰報道騒動の最中の1985年、三浦夫人銃撃事件の4カ月前に起こった三浦夫人殴打事件(知人の元ポルノ女優に、宿泊先のニューオータニホテルで妻をハンマーで殴打させた事件)での殺人未遂容疑で逮捕され、後に銃撃事件での殺人と詐欺で再逮捕された。
殴打事件では懲役6年の有罪が確定したが、銃撃事件の裁判では検察側は実行犯の証明がネックとなり三浦の関与の事実を立証する事ができず、1994年には東京地裁は氏名不詳者との殺人の共謀として有罪判決、1998年の東京高裁で無罪判決となり、2003年には最高裁も無罪判決となった。
この事件に絡み三浦が拘置所や刑務所にいたのは13年間にものぼる。この事件を機に報道被害の問題などでも積極的に発言を行っていた。
アメリカ捜査当局に逮捕
弁護側は一事不再理を根拠に逮捕状の無効を主張していましたが、ロサンゼルス郡上級裁判所が共謀罪を有効とする判決を下しました。その後はサイパン・北マリアナ上級裁判所により身柄をロサンゼルスに移送することが決まりました。
死亡
オウム一斉捜索を担当した
— アブラハム (@abraham_sarah7) October 25, 2018
捜査1課 寺尾正大は、
三浦和義のロス疑惑を担当。
三浦和義の叔母は、
石原裕次郎を育てた
日活のプロデューサー。
三浦和義の親友 石原慎太郎の
四男 延啓はオウムの幹部で、
石原の都知事選 対策本部長は、
寺尾の上司 佐々淳行。https://t.co/12QMd1fBhi pic.twitter.com/53WndzTN2O
彼の死亡が確認された搬送先の病院は偶然にも、1981年の銃撃事件で妻が搬送された病院と同じだったそうです。
遺体はロサンゼルスで荼毘に付され、同年10月25日、妻とともに日本に”帰国”しました。
いまも残る様々な事件・人物検証
イチロー氏がロス事件を分析・推理 - YouTube
のぞきからくり 「ロス疑惑 疑惑の銃弾」 三浦和義物語 - YouTube
3月31日に放送されたフジテレビ開局60周年特別企画「報道スクープ映像 昭和・平成の衝撃事件!大追跡SP」にて、ロス疑惑が取り上げられました。
番組内、当時を再現したドラマで、俳優の要潤が三浦和義を好演。日本への帰国前日の取り調べでポリグラフ(嘘発見器)にかけられる事になった際の、刑事との舌戦は非常にリアリティがあり、惹きつけられました。
それもそのはず、同特集は元ロス市警のジミー佐古田氏の証言をもとに制作されていました。当時、なんとしてもアメリカ領内での逮捕を狙っていたという彼の証言が反映されているので、リアリティがあるのも当然で、非常に優れた再現ドラマになっておりました。