かつて奈良県奈良市北部にあった遊園地、「奈良ドリームランド」のお話。
奈良ドリームランド
奈良ドリームランドは、千土地興行(後の日本ドリーム観光、松尾國三代表)の手によって1961年7月1日に開業した遊園地です。
最盛期の年間入場者数はのべ160万人を数えましたが、閉園時にはのべ40万人にまで減少していました。閉園は2006年8月31日。
最盛期の年間入場者数はのべ160万人を数えましたが、閉園時にはのべ40万人にまで減少していました。閉園は2006年8月31日。
奈良ドリームランドは、ディズニーランドを模して作られ、パーク内には「未来の国」「幻想の国」「冒険の国」「過去の国」「メインストリート」の5つのエリア(開園当時)が作られ、まさにディズニーランドをテーマとしたテーマパーク、と言ってもよい画期的な遊園地だったようです。
via www.tok2.com
via www.tok2.com
ディズニーランドになれなかった遊園地
奈良に住んでいる大人の人なら誰でも知っていた「奈良ドリームランド」。開園したのはアメリカに最初のディズニーランドができた1955年からわずか6年後の1961年。松尾國三氏(千土地興行代表、後の日本ドリーム観光)が開園当時のディズニーランドに感激し、ウォルト・ディズニーに直接面会し日本に誘致しようとした事が始まりだと言われています。
松尾國三がアメリカ・アナハイムにあるディズニーランドに感激し、ウォルト・ディズニーに直接面会し日本に誘致しようとした事が建設のきっかけである。当初、ウォルトは本気に受け取っておらず、「その時が来たら力になる。」と返事。しかし松尾が技術者を連れて再び訪れた事で松尾の熱意に打たれたウォルトは、ディズニーランドのノウハウを無償で与え、建設時にもディズニーランド側から技術者を派遣させたという。なお、この無償のノウハウ提供と技術者派遣は日本にディズニーランドを作る目的ではなく、あくまでも日本人が日本に独自の遊園地を作ることに協力するという目的であった。
奈良ドリームランド側が一方的にディズニーランドを名乗るためにディズニー側と交渉したが、無論ディズニー側にはそんなつもりもなく、東京ディズニーランド建設の経緯から分かるように、細部にまでディズニーの「イマジニア」がデザイン・設計するこだわりがあるように、ノウハウ提供・一部での技術協力のみで作られたパークがディズニーランドと名乗ることなど無かったのである。一方、パーク側によればフランチャイズ契約交渉にはこぎ着けたが、フィー(契約料)で折り合わず破談になったという。
日本人独自のパークを作ることを前提に協力したにも関わらず、奈良ドリームランド側がディズニーランドを模倣し、質の低い施設を勝手に作ったことが、日本でのディズニーランド誘致の障害となった。東京ディズニーリゾートの運営母体であるオリエンタルランドの代表取締役会長(兼)CEOを務める加賀見俊夫は著書の中で、直接名称を挙げてはいないものの、生前のウォルト・ディズニーが奈良ドリームランドの一件に強い不快感を示し、「日本人は二度と信用しない」とした上で、ディズニーランド側が京成電鉄・三井不動産によるディズニーランド誘致交渉を当初は拒否したため、実現は非常に困難だったと述べている。
紆余曲折あって誘致契約はうまく行かず“ディズニーランド”と名乗ることはできなかったようです。
現在の感覚で言えば単なる“パクリ遊園地”になってしまいますが、何しろ60年近く前のこと。ビジネスの習慣も知的財産権に対する意識も今とは全然違う時代の出来事で、交渉がかみ合わなかったことは想像に難くありません。
驚くべきは、まだ日本において“現在に通じるような近代的遊園地”がほとんど出現していなかった時代に、当時最先端をゆくディズニーランド(アメリカにおいても従来の遊園地とは一線を画する新しい施設であった)を模倣した遊園地が誕生したということです。
それでは本家、アメリカ・ディズニーランドと見比べてみましょう。
現在の感覚で言えば単なる“パクリ遊園地”になってしまいますが、何しろ60年近く前のこと。ビジネスの習慣も知的財産権に対する意識も今とは全然違う時代の出来事で、交渉がかみ合わなかったことは想像に難くありません。
驚くべきは、まだ日本において“現在に通じるような近代的遊園地”がほとんど出現していなかった時代に、当時最先端をゆくディズニーランド(アメリカにおいても従来の遊園地とは一線を画する新しい施設であった)を模倣した遊園地が誕生したということです。
それでは本家、アメリカ・ディズニーランドと見比べてみましょう。
アメリカの元祖ディズニーランドにそっくり!
via stat.ameba.jp
via www4.kcn.ne.jp
ホント、ディズニーそっくりですね!!
via www.hariinfo.jp
via www.hariinfo.jp
via www.hariinfo.jp
来園者数 160万人(最盛期)
開園 1961年7月1日
閉園 2006年8月30日
ん?どこかで見たような建物?