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Mr.マリック 経歴
岐阜県岐阜市生まれ。岐阜市立伊奈波中学校、岐阜県立岐阜工業高等学校卒業。
高校卒業後はガス器具メーカーのパロマ工業に就職するが、マジックへの夢を達成するために数多くのコンテスト番組で優勝し、ようやく親の理解を得て転職。デパートのおもちゃ売り場でテンヨーマジック用品の店頭販売を始める。デパートでのマジック用品店頭販売の後、マジックショップ経営や新人指導、全国でマリックマジック教室を開設。
20歳のときに上京し、マジック用品メーカーに勤務する。この年ハワイで初めて開催されたPCAM(環太平洋のマジックアソシエーション)の「クロースアップ部門」コンテストで日本人で初めて優勝する。
名門ホテルでのラウンジでクロースアップ・マジックのテーブルホッピングショーを確立しラウンジライブを全国展開する。そのさなかに日本テレビのディレクターと出会ったのがきっかけで、1988年、日本テレビ系『11PM』に出演するようになる。クロースアップ・マジックに超能力的な演出を付け加えた「超魔術」は、マリックが番組制作スタッフらと考え出した造語である。ユリ・ゲラーの"超能力"番組を見たのが超魔術を編み出すきっかけになった。
ユリ・ゲラーの“超能力”がマリックの“超魔術”を生んだ!
超能力者ユリゲラーが来日して大ブームが起きた際、それまで受けていたマジックが全くお客に受けなくなったマリック。超能力は本物で、マジックはニセモノだからという事で、子供は正直だからマリックの前でそう言ったそうです。テレビのユリゲラーを一目見て「これは手品」と気づいたマリックは、一念発起してユリゲラーを超える超マジシャンになると決意。マリックはステージ上の「これから手品を見せます」というスタイルを一切やめて、マリック本人もユリ・ゲラーの超能力と酷似するショーを行って収入を得るように。
やがてそれはテレビ局のスタッフの目に留まるようになり、テレビに出演するようになりました。
ちなみに、TVに出だした頃のMr.マリックは、後にトレードマークとなる“サングラス”はかけずにテレビに出演してました。
やがてそれはテレビ局のスタッフの目に留まるようになり、テレビに出演するようになりました。
ちなみに、TVに出だした頃のMr.マリックは、後にトレードマークとなる“サングラス”はかけずにテレビに出演してました。
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空前の超魔術ブーム!Mr.マリック自身が“きてました”
1989年
日本テレビ系『木曜スペシャル』でマリック単独の特別番組の放送が始まり、28%を超える視聴率を獲得。「超魔術」「ハンドパワーです」「きてます!!」で一大超魔術ブームを巻き起こした。その後木曜スペシャルは1992年第8弾まで放送された。この年、韓国SBSでもマリックのスペシャル番組が組まれ、視聴率50.1%を記録する。
名言「ハンドパワーです!」の誕生
あるイベントにおいてマリックの技を見た観客が超能力肯定派と否定派で真っ二つに対立し、一触即発の緊張状態となった会場でマリックは咄嗟に「ハンドパワーです」とアピール。これにより殺気立っていた観客は得心して平静を取り戻す。
後、「本物の超能力者?」「手品と同じでタネがある?」という疑問には全て「ハンドパワーです」と答え、この台詞はマリックの専売特許とも言うべきものとなっている。
後、「本物の超能力者?」「手品と同じでタネがある?」という疑問には全て「ハンドパワーです」と答え、この台詞はマリックの専売特許とも言うべきものとなっている。
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超能力や占いの類を蛇蝎の如く嫌っていた元タレントの上岡龍太郎もマリックの技を懐疑的な目で見ていたが「ハンドパワーです」の説明でマリックと打ち解けた。
Mr.マリック 超魔術3 - YouTube
「ハンドパワーです!」の決めゼリフもですが、実はトーク自体が結構面白いんですよね。Mr.マリックって。
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Mr.マリック超魔術の最高傑作! - YouTube
Mr.マリック超魔術!!!
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ブームから一転!詐欺師扱いされたMr.マリック
1989年に最初の放送から大反響が起こり、すぐに第2弾、第3弾が決まった。
超能力を信じている人には、一度信じ込んだらもう言い出せる雰囲気ではない。
今更「手品でした」では済まされそうに無いほどブームは加熱した。
マリックの元には宝探しや呪いを依頼する人々などが訪れ、大金を積んで「この人を超能力でころして欲しい」と依頼されたりしたそうである。
反動はすぐにやってきて、超能力は嘘ではないかと週刊誌などが騒ぎ始め今度は凄まじい非難の対象になった。
この頃顔面麻痺で顔の半分が硬直してしまい、1年入院し治療を受けている。
「根がまじめなので何でも真剣に受けてしまう」と語っている。
勝手に超能力者に仕立て上げたテレビ局も、「なぜ騙したのか?」とバッシングする方に回る始末で、社会の敵のように非難している。
数年間テレビからは声がかからなくなり再び静かな生活に戻ったが、1995年の阪神大震災やオウム事件が社会の流れを変えたのか、再びバラエティ番組で「マジシャン」として声が掛かるようになった。
「栗間太澄(くりまたすみ)」と「松尾幻燈斎(まつおげんとうさい)」
栗間太澄(くりまたすみ)
くりまたすみ(栗間太澄)を逆から読むと……そう、=Mr.マリックです(笑)
90年代のテレビ番組『1億3000万人の投稿!特ホウ王国2』で「謎の男 栗間太澄の新たなる挑戦シリーズ」というコーナーに出演していました。
謎の郵便局員「栗間太澄」が、自身の持つ「手力」(てぢから)を駆使して奇想天外なマジックのような現象を起こすという内容。名前から実はMr.マリックではないかと多くの視聴者から問われたが、本人は否定し続けていました。(ただし、最終回でMr.マリックと対決するが、その際に手違いで栗間太澄とMr.マリックが同一人物であることが発覚したらしいです。)
一時期、詐欺師呼ばわりされて精神的に追い込まれたMr.マリックが、違うキャラとして世に出ようと必死だったことが伺えますね。
90年代のテレビ番組『1億3000万人の投稿!特ホウ王国2』で「謎の男 栗間太澄の新たなる挑戦シリーズ」というコーナーに出演していました。
謎の郵便局員「栗間太澄」が、自身の持つ「手力」(てぢから)を駆使して奇想天外なマジックのような現象を起こすという内容。名前から実はMr.マリックではないかと多くの視聴者から問われたが、本人は否定し続けていました。(ただし、最終回でMr.マリックと対決するが、その際に手違いで栗間太澄とMr.マリックが同一人物であることが発覚したらしいです。)
一時期、詐欺師呼ばわりされて精神的に追い込まれたMr.マリックが、違うキャラとして世に出ようと必死だったことが伺えますね。
松尾幻燈斎(まつおげんとうさい)
サングラスかけてませんが、Mr.マリックです(笑)
2003年、日本テレビ『エンタの神様』で「松尾幻燈斎」という、またも違うキャラクターに変身し、12月までレギュラー出演しました。仙人のキャラクターで自然を相手に超魔術を見せるというもの。この際は「超魔術」ではなく、「気の極み」と松尾幻燈斎は語っていました(笑)
2003年、日本テレビ『エンタの神様』で「松尾幻燈斎」という、またも違うキャラクターに変身し、12月までレギュラー出演しました。仙人のキャラクターで自然を相手に超魔術を見せるというもの。この際は「超魔術」ではなく、「気の極み」と松尾幻燈斎は語っていました(笑)
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手を開いたままコインの瞬間移動 する - YouTube
松尾幻燈斎による「気の極み」、ご覧ください!
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個性的なMr.マリックの娘の“LUNA”
via kanarikinic.com
1949年1月1日生まれ。
(戸籍上。実際の日付は1948年12月29日)
・「超魔術師」と名乗る。
・「マリック」という名前は「マジック」と「トリック」を合わせた造語。